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本 ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784907497125
作品紹介・あらすじ
病名や障害の名前ではひとくくりにできない、その実情。それゆえにその只中にいる人は、心身のつらさのみならず、誰とも分かち合えない想いに孤独に陥りがちになる。そんな時、外の世界と自分の内とを繋ぐ「窓」となる本は、あったのか。12人12様の病や障害の体験と本との関わりについて綴る本書は、固有な体験としての病や障害の実情と、生きることの「意志」の現れでもある「読む」ことの力を伝える一冊です。
感想・レビュー・書評
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12人の筆者による12通りの人生。
彼ら彼女らの病気や障害のこと。
そして本との関わりを彼ら自身で綴る。
本に助けられた、という経験は、本好きの方なら多くの方が持っているだろうと思う。
本は生涯の友人になりえる存在だ。
私達がどんなに孤独でも、黙って、あるいは喧しく、すぐそばにいてくれる。
人間が煩わしいときでも、人間が恋しいときにでも。
この本に寄稿している方たちはさまざまな病や障害を抱えていたり、障害を抱えた家族を持ってる方々だ。
さまざまな「当事者」の方々がいる。
その一端を知ることができて良かった。
病気や障害なんて数限りなくあって、身近でないものは全く知らないことが多い。
世界は健康な人たちだけで出来ているのではない。
遠いと思っていた他者が近くに感じるのも本のマジックだと思う。
読みたい本もできてお得だった。
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病気や障害を持つ当事者、またその人たちを介護したり身近に目の当たりにする当事者たちと本のはなし。
書き手に結構著書を存じ上げてる方が多くておお、と思いながら読み進めた。
私は元々子供の頃から読書が大好きだが、一度疎遠になってからまたよく本を読むようになったのは、病気で一般的な日常生活を送れなくなってからだった。
この本に寄せてる書き手の方達は、こうして活字にしていろいろなことを教えてくださる。では内にこもって何も発していない自分はなんだろうと、ふと思ってしまう。発さなければならないものでも、ないんだろうけどね。
本を傍らに置いて、私のための本、私のための読書ってなんだろうとぼんやり考える。
そして本が読めることを嬉しく思う。この本の中で気になる本が見つかったので、いずれ読みたい。 -
12人による12通りの生き様とそのとき傍らにあった本について語るエッセイ。
生きていれば病になることも、想像もしない苦しみに直面することもあるだろう。そうは分かっていても、なってみなければ自分がそのときにどう感じ、どう振る舞えるのかは誰にも分からない。苦しみを誰とも分かち合うことができないときが一番苦しく、孤独を感じるだろう。
でも人それぞれ、誰にも分かってもらえないと思う苦しみや辛さの渦中で、出会った本が自分に寄り添ってくれるものだったら。そのときに出会うべくして出会えた言葉があったら、現状は変わらなくとも、その言葉はきっと生きるための支えになってくれる。
自分が必要なときに、本は時間も空間も超えて人から人に言葉を届けることができる。
今後もし自分が何らかの病や苦しい状況に陥ったら、この本を思い出して改めて読みたいと思う。 -
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猫丸さん
確かに三角さんのお名前がありますね。
この本、気になってきたけど、今、図書館にリクエストすると、届くのは真冬なので、行くの...猫丸さん
確かに三角さんのお名前がありますね。
この本、気になってきたけど、今、図書館にリクエストすると、届くのは真冬なので、行くのが大変そう。
春になったらリクエストしてみようかな。2020/11/06 -
2020/11/06
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まさか本書を一気読みすることになるとは思わなかった。
新聞の書評で見つけたのだったような気がする。
筆者の中に鈴木大介さんがあったし、本にまつわるエッセイ集だったし、仕事柄障害のある人の思いや考えに触れるのは好きだったから読んでみようと思った。
なんだろう、どの筆者のエッセイを読んでも泣けてしまう。
まあ中には、病んでるな、と思わずにいられないような筆致のものもあったにはあったけれど、どれもこれも、物事の普遍と人間の本質を突いてくる(だけどさりげなくて、しかもどれも彼らにとっては日常であったり、当たり前であったり)言葉ばかりで心揺さぶられた。
かくも人間は、弱くて強くて、儚くて強靭で、醜くも美しいのだと改めて気づかされる。
生きるってなんだろう、と。
本当に、ただそこにいて、命があること、それだけで何よりも尊い。そのことに気づけたら、それだけで人生満点なんだな。 -
とてもいい本だった・・・。病の当事者10人と、介護者2人のエッセイ。
幸い今のところ大病にも障害にもなっていない私は、病気を抱える人の気持ちを想像するのが難しい――と、ことあるごとに痛感している。寄り添いたい、と思っても、どうしても心からの言葉や行動にならない気がする。それはカゼをひいた人が相手でも同じことで、いたわりの気持ちが欠けているなぁ、と自分についてよく思う。
闘病記はたくさん世に出ているけれど、これはアンソロジーの形で、本というテーマがついているのが特徴的。難聴、うつ病、膠原病、脳梗塞・・・どんな症状があり、そこで「本」はどんな役割を果たしてくれたのか。
エッセイ、詩、写真など著者はみな表現者としての仕事をしている人なので、文章は整理され読みやすい。ある人は客観的に淡々と、ある人は物語のように――それぞれ違った味わいがある。絶望や辛さも書いていながら、過度に悲劇的ではなく、読み手を怖がらせることがない。
私にとっては"趣味"で、ときに"エンターテインメント"である読書が、病と向き合うよすがであったり、回復するための手段であったり、気持ちを整える薬であったり・・・。自分が本好きであるためにいっそう、その無限の可能性に驚かされ、感銘を受けた。また、本という道具を介したことで病を抱える人の気持ちを、いくらか想像しやすくなったような気がする。
カゼをひいた人がそばにいたら、怖がらずに寄り添えるようになりたい。まずはそこから。 -
考えさせられてしまいました。
それも 深く
「ただ生きている」
そのことが嬉しいと思わせられる
人たちの傍らにある
それぞれの「一冊」が
語られる
「病」「障害」
それも「死」と隣り合わせにある
「生」を営む人たちを
支えている「一冊」が
語られる
その「本」が
どんな状況の時に
どんな風に
読まれているのか
「生」と「死」の
ぎりぎりのところで
読まれている
「本」が持っている力を
考えさせられました -
数年前職場の書架でみつけて読んだ本。素敵なタイトルに素敵なメンバー。ふとした時、ああ、あの本は本当に良かった、とよく思い出す。
頭木さんのドストエフスキーのエピソードで、ポロポロ、ポロポロ本当になんだか、素晴らしくて美しくて、涙が止まらなかった。
著者プロフィール
齋藤陽道の作品





