- Amazon.co.jp ・本 (315ページ)
- / ISBN・EAN: 9784907580018
作品紹介・あらすじ
『もの食う人びと』と表裏をなす傑作!復刻に際し、書き下ろし原稿を含め、第6章を追加収録。鉄筆文庫第2弾。
鉄筆文庫版のオリジナル収録作品
「絶対風景」にむかうこと――前書きに代えて
Ⅵ 極小宇宙から極大宇宙へ
極小宇宙から極大宇宙へ(「日本経済新聞」)
「絶対感情」と「豹変」――暗がりの心性(「文學界」)
花陰(書き下ろし)
遺書(書き下ろし)
鉄筆文庫版のあとがき
解説 「赤い背広、消えず」 藤島大
感想・レビュー・書評
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1997年初版発行の「反逆の風景」(講談社文庫)を持っています。
今回のは「100年後も読まれる本の出版を目指す」を理念に掲げた「鉄筆文庫」の創刊第2弾。
ですから私にとっては再読になるわけですが、辺見ファンとしては人後に落ちない私は氏の著作をすべて集めていて、今回も迷わず購入しました。
名著「もの食う人びと」の裏話も交えたエッセー集。
20年近く前に貪るように読んだことを懐かしく思い出しました。
タイトルにある「反逆する風景」とは何なのでしょうか。
たとえば著者は、こんな設定を持ち出します。
一筋の道を歩き、それについて文章を書こうとしている人がいます。
向こうから双頭の人が来てすれ違いました。
だが、構成しようとしている文章の趣旨には、この双頭の人はまったくそぐわない。
その時、双頭の人とすれちがったという事実を入れるべきなのか否か。
実際、「もの食う人びと」で、同じような場面に遭遇したそうです。
フィリピンのキタンラドという山奥の地で、老人から残留日本兵の人肉食の話を聞いていた時のことです。
そこに赤い背広の男がスーッと通り過ぎて行ったというのですね。
著者が書こうとしている残留日本兵の人肉食の話とは、むろん全く関係ありません。
著者は全体の趣旨に整合しないと判断し、この赤い背広の男のことを文章には書かなかったそうです。
そして後年、後悔したといいます。
「私はなぜ、赤い背広の男を、あたかも双頭の人物が風景に含まれていなかったことにするように、あっさり消去してしまったのだろうか。
それは、どう謙虚を装っても権威の臭いの漂う既成の意味世界に、私自身もとらわれているからだ。それがどんなにささいな規模であれ、風景の反逆を描かず、気づかないふりをするのは、つまるところ、書き手が世界に反逆したくないからなのだ。意味を壊すのが怖いからだ。古くさい意味世界を守りたいのである。新聞とはそういうものだ。しかし、不整合のない風景は、字を費やせば費やすほど、そして整合して見えれば見えるほど、嘘である。ひどい嘘である」
私は20年近く前にこの文章を読んで、深く感銘を受けました。
そして自分が文章を書く際のひとつの指針としたのです。
以前、自分がどこかで書いた「夾雑物はこれを書かなければいけない」というのは、著者のこの問題提起に倣ったものにほかなりません。
ノンフィクションの書き手にとって、目の前で生起する「反逆する風景」をなかったことにして恬淡としているのは驕りであり、ごく控えめに言っても怠惰なのではないでしょうか。
結果として「反逆する風景」を排除するのだとしても、少なくとも入念に吟味すべきではないのかというのが私の考えです。
鉄筆文庫版のオリジナル収録作品も読みごたえがありました。
著者の主張は何十年も変わっていないことを改めて気づかされた次第です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
物食う人々では語れなかった本音がまざまざと書かれている。シンプルにちょっと難しいし、思ったよりも思想的だった印象。新聞の連載のために書かれた物食う人々とは結構異なる印象。
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「もの食う人々」が衝撃的な一冊だったので、その続編である本書を楽しみに購読。著名人や責任者ではなく、市井の人々との会話から、本質的なことを抉り出そうという試み。チェルノブイリの廃墟になったマンションから風景を見たいという理由で危険を犯して入り込むが、そこで見たのは、ウクライナ人運転手をあからさまに差別する通訳とガイドの男女。取材のため車外に出る著者についていけと運転手に命令し、二人は社内で情事に耽る。政治もへったくれもない。このような調子で、東南アジアのスラム街や、アフリカのエイズの街を取材する。なんというか、息遣いや体臭が感じられそうな書き振りである。
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「もの食う人びと」のB面。A面があまりに良い作品なので、こちらを読んで安心した。と同時に、無意味な出来事たちも自分の出自も新聞の弱さも曝け出す作者の、おさまりがわるいと思われた感覚を想像する。
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辺見さんの書き方、ものの見方が勉強になる。
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ものすごい描写力
元記者の言葉の豊富さ
映像のように浮かび上がる情景
発想も非常に面白い
堅い文体でありながら、時にユーモラス -
辺見庸の社会批評エッセイ。この人のユニークなところは目線が低いのに俯瞰できているところだ。通常、俯瞰すると言ったら、上から広く全体を見渡すことを指すが、この人は目線が市井の高さにあるのに俯瞰している。読みながらそんな風に感じていた。すると、まさにそれを示すことを彼自身が書いていた。印象に残ったので抜き書きする。
「政治のマクロを無感動に鳥瞰する旧来の望遠鏡をたまにはうち捨てて、名もない衆生の嘆きと喜びの詳細を、データによるだけでなく、生の風景に分け入り、わがことのように書き抜く意気地と、どこまでも人間くさく低いまなざしが、まずもって必要ではないか。」
そして、辺見庸はまさしくこの意気地と低いまなざしを持っている。『もの食う人びと』を再読したい衝動が抑えきれず、注文した。 -
チェルノブイリ原発近くプリピャチの町に放置された観覧車についての記述があった。
「観覧車」…それは、均質的都市空間の中にあって場違いな姿を見せる。「あれあれ、ひとつだけこんなにもまるくていいのだろうか、怒られやしないのかと案じられるほどまるいのである」
…プリピャチの曇天に「凍てつき浮かぶ黄色の何でもない円」が浮かんでいる。観覧車はゆったりくるくる回る古来の時の象徴。直線的に文明が進歩し続ける時間とはまるで違う。そんな観覧車が造られたものの、原発事故があって、いまも時を回すことの出来ぬまま止まっているのだ。この現状をどう言葉で表わそう。悲しくて言葉にならない。「小さな世界」がとてつもなく巨大な怪物に殺されてしまった。ゆるゆる回る小さな時の流れを、瞬時に消し去ったチェルノブイリ原発事故だった。3.11の原発事故があったことを機にこれを読んだ。 -
もの食う人びとが面白かったので、2冊目をと思って読んでみた。が、エッセイを読むのが苦手でなかなか読み進まず、期待外れだったかな…という感想。
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-2014/11/29「もの食うひとびと」の感動が忘れられず読み始める。「反逆する風景・増殖する記憶・汽水はなぜもの狂おしいのか」までは、予期通りの興味深い展開であったが、それ以降は・・・。特に観覧車に関わる章は、どうしようもなく、残念。
気に入ったフレーズ 「他人の入れ歯のように、もともと私の口にはしっくりとはまらない」