- Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
- / ISBN・EAN: 9784907986773
作品紹介・あらすじ
高見順
「私に文学的開眼を与えてくれた人」
織田作之助
「血縁を感じている」「文壇でもっとも私に近しい人」
三島由紀夫
「武田麟太郎の作品を今読んで感心するのは、その文章の立派なことだ。目の詰んだ、しかも四方八方に目配りのきいた、ギュッと締って苦味のある、実に簡潔でしかも放胆ないい文章」
*
関東大震災からの復興をとげた、1930年代の東京。都心から周縁部へと蔓延してゆく不良住宅、工場街、そして貧困。戦争に突入する《非常時》にあって帝都の底辺をアクチュアルに描き出し、ファシズムと対峙した小説家、武田麟太郎の都市文学を集成する。
これはメガイベントで再開発が進む、日本の首都の未来図なのか?
◎発表時に削除され、これまで幻とされていた『文藝春秋』版「暴力」を初収録。
感想・レビュー・書評
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武田麟太郎。かつて刊行,されていた文学全集等に名を連ねていたので、その名と戦前のプロレタリア系作家ということくらいが知っていることだった。
今回、本書の版元の共和国代表者で本書編者でもある下平尾氏の熱い解説を読んで興味を持ったことから、本書を手に取った。
『暴力』、身内も死んでしまい、何をしようという訳でもないが、社会主義運動に従事している友人を頼って東京に出てきた主人公。少しずつ運動に入っていく彼の様子、彼の周りの人々との関わりといったものが、アナとボルの対立、衆議院の選挙運動とそれを妨害する権力、そして三・一五検挙といった大きな時代状況の中で描かれる。
昔から生え抜きのルンペンが親子代々塒として暮らしてきて、よそ者から自分たちの生活を守ろうとする様子が良く分かる『新宿裏旭町界隈』、いろいろな人が出入りする上野駅、中でもやけどをすれば銘酒屋に売られなくて済むと考えて停車場のストーブに顔を押し付けた少女のこれからの人生が一入哀れな『上野ステーション』、三階建てのアパートに住む住民一人ひとりの営みを描いた『日本三文オペラ』、社会の底辺をしっかりと見据えつつ、人間の生活を同じ高さから作者が書こうとしていることが感じ取れる。
解説によると、『日本三文オペラ』は「右翼的偏向」との烙印を押されてしまったとのことだが、本作の登場人物は主義を持つ訳でも運動に目覚めるのでもないし、一見すると最後の終わり方など不真面目に読めてしまうので、硬直的なプロレタリア文学の立場からすると、そういった評価になってしまうのかと思った次第。
『蔓延する東京』、新しく東京となった、いわゆる「場末」を見てきたルポルタージュ。その町村の特徴を著者は端的に次のように言う。「空は常に鈍重に曇っている町、煤煙。密集して林立する煙突。労働の場面。貧困。不完全な下水ー人の住み家。飢えと売淫と無智と無知と泥酔と迷信と政治的無関心と、即ち一切の資本主義悪の露出しているところ」。そして、東には三河島、尾久、千住、寺島町と、西には羽田海岸、六郷川、多摩川畔、洗足池、武蔵小山、品川と足を延ばし、町の様子や人の営みを生き生きと描いていく。
堀野正雄による写真がこれまた良い。密集する建物、工場からの煙、すぐ水浸しになってしまう低地、今とは全然違う子どもや大人の顔や格好。束の間の休日に海水浴や潮干狩りを楽しむ家族、ダラリとした遊郭の女たち。90年近く前ということになるが、本当に貧しい時代だったことが実感できる。
『一の酉』「大凶の籤」。正に市井の人々の生活を描いた作品だが、小説として実に味わいがあり、深い滋味を感じさせられる。
なかなか手軽には読めなくなってしまっているようだが、機会があればまた別の作品を読んでみたいものだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
表題作は1932年東京市に吸収合併された隣接地域を歩き回ったルポ。堀野正雄が担当したグラビアとともに収録されており、東は三河島や亀戸、西は品川・蒲田などの当時の光景がよくわかります。初期の『暴力』(1929年)では労働運動の一員であった若々しい姿が、『隅田川附近』(1932年)では作家然とした姿が書かれ、『好きな場所』(1939年)では酒に酔って南千住の延命寺を訪れ、首切り地蔵の石段に躓いたまま起きあがろうとしない自らの姿が書かれます。東京が変化するなかで、作者も立ち位置や生き方を変えていったのでしょう。