モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語

著者 :
  • 方丈社
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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784908925290

作品紹介・あらすじ

人々にとって、本が遠い存在だった時代、トスカーナの山深き村に、イタリア中に本を届ける人々がいた。

イタリアの権威ある書店賞〈露店商賞(Premio Bancarella)〉発祥の地が、なぜ、トスカーナの山奥にあるのか?
その謎を追って、15世紀グーテンベルクの時代から、ルネッサンス、そして現代へ。
創成期の本を運び、広めた、名もなき人々の歴史が、今、明らかになる。
舞台となった、山深きモンテレッジォ村に居を構え取材した、著者渾身の歴史ノン・フィクション!
全編フルカラー!

感想・レビュー・書評

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  • イタリア北部の山間部に位置するモンテレッジォ村。かつてそこの住人は本の行商で生計を立てていた。「食料や日用品ではなく何故本なのか」という疑問から、彼らの子孫を訪ねる著者(イタリア在住のジャーナリスト)の旅が始まる。

    著者のコミュニケーションスキルが秀でていることにまず感嘆した。
    イタリア特有のフレンドリーなお国柄が後押ししている節もあるだろう。しかしそれを差し引いても彼女のコミュニケーションスキルを構成する語学力・交渉力・熱意のレベルがいずれも高く、難なく意思疎通出来ていたのがシンプルに凄かった。

    人口32人(取材当時)。俯瞰図だと、モンテレッジォは山の中腹にひっそりと息をひそめて佇む寒村にしか見えない。
    確かに過疎化は進行しているが、(フレンドリーまでは行かずとも)人々は新参の著者にも優しく接してくれていた。
    衣食住をとっても華美なところは一つも見当たらず、特に栗(地元名産)の粉で作ったニョッキには関心が湧いた。小麦粉は富裕層しか口に出来なかったらしいけど、今のご時世それくらい入手できるはず。店主や案内人のマッシリミアーノの話から察するに、昔ながらの製法に固執しているというよりも慣れ親しんだ故郷の味を継承していきたい思いが強いのかも。

    「貧しかったおかげで、先人たちは村を出て国境をも越えていった。命を懸けた行商が、勇気と本とイタリアの文化を広める結果へと繋がっていったのです」

    行商人は、例の栗や石といった村の産物を背負ってフランスやスペインにまで遠征。売り捌いて空になった籠には、道中預かり受けた本(時には禁書も含まれていた!)を詰めて帰りの道を辿った。
    本の主な購買層は庶民で、書店よりも比較的リーズナブルな価格で手に入れることが出来たらしい。購入ついでに行商人から貴重な旅の話も聞けるし、販売する側も客層の好みや懐事情を熟知出来てwin-winだ。
    こうした実りあるコミュニケーションと関係性が羨ましい反面、現代の書店ではなかなか再現しづらい気がしている…

    行商人を見送った村人の手記にもグッとくるものがあった。
    出版業界は斜陽産業とされる時代に生きている自分が、行商人らが家族や村人に見送られて一斉に村を発つ場面に涙している。彼らはそれだけ生業を、本を通した村外の人々とのを結びつきを誇りにしていたんだな。。

    毎夏に開催される本祭りを除き、当時をうかがわせるような活気は村には残っていない。
    しかし原点の地がくすぶろうとも、かつて村人達が持っていた誇りは連綿と引き継がれている。(あのニョッキみたいに!←無理やり紐付けない…(-。-;;) 村を離れた者達も移住先で本屋を創業、今も各地で「大樹の実」を実らせている。彼らの“功績”を日本の我々にも知らせようと、著者も本書を出版した。
    やっぱり本と人の関係はこうでなきゃ。

  • 写真が数多く掲載されているため、再読というよりは再見に近い。
    胸がときめくようなドキュメンタリーで、本好きの心をいたく刺激するお話だ。
    1800年代はじめ、モンテレッジォの男たちは本の行商を始めた。
    山奥の小さな村で、まだ文字も読めないひとも多かった時代から、なぜ本の行商を?
    著者は何度も現地に足を運び、その謎を解いていく。
    それは、出版の歴史をたどる旅、そしてイタリアの歴史をたどる旅でもあった。。

    ところで、モンテレッジォってどこ?という方にごく簡単な説明を。
    長靴の形の地図の、向こうずね辺りがローマ。
    そこからずずっと北に行って、膝の手前にトスカーナ地方があり、モンテレッジォという小さな村がある。トスカーナ地方には、あの有名な「ピサの斜塔」もある。

    ベネチアに住んでいた著者が、路地裏でとある古書店を見つけて通うようになる。
    話の始めはここから。
    ある日老店主が「先祖はモンテレッジォで本の行商をしていた」と話し出し、興味をひかれた著者はさっそくその謎を調べ始める。ミラノからようやくたどり着いた目的地は村民は32人のみ。そのうち4人は90歳代という限界集落だった。

    何度も通ううちにヒントはいくつも登場するが、「なぜ本を?」という疑問は解けない。
    しかし夏の祭り(古本市)で他所に移住したひとたちが帰省したとき、行商人の末裔たちに話を聞くことでそれが分かっていく。
    耕地のない山奥の村。自給自足や物々交換が村の経済を支えていた。
    そして、災害が続いた1816年、何か売らなくては生きていけないと、村の材を売る行商人となっていく。最初は護符や暦、剃刀や砥石。
    やがて在庫の本を業者から譲り受けて本も売り出す。
    本が貴重だった時代に、情報や知識を得たがっているひとたちに歓迎され、彼らの得た知見は大いに喜ばれたという。
    それはちょうどナポレオンが台頭し、国の独立気運が一挙に高まった時期でもあり、蛇の道に精通した行商人たちは、本を運ぶことでイタリアの歴史を変えていったのだ。

    村を出たのちに出版社をおこしたり、書店を開くひとも多く、その縁は最初のベネチアの古書店へと繋がっていく。ここは感動の場面だ。
    そして、このベネチアの古書店の主がとても魅力的なのだ。

    解説がないためどこを切り取った写真か分からないのが、唯一困った点。
    そこさえ気にしなければ、趣のある美しい写真だらけだ。
    文章は臨場感にあふれ、著者とともにトスカーナとベネチアを旅しているような気分で読み終えることが出来る。
    後半には歴代の「露店商賞受賞者」たちの名前が載っていて、村民たちによるモンテレッジォ愛の証明を見せられたかのようだ。みんな、帰属意識が強いのね。
    「他力を当てにせず、自力で生きる道を見つけなければ」という言葉は、本著の中で三度繰り返される。まるで今の日本にも当てはまるような言葉だ。
    イタリアは今、どれほど大変な状況だろう。
    この本に登場したひとたちの無事を祈りたい。

  • 【感想】
    モンテレッジォはミラノから車で2時間半ほど行ったところにある。呆れるほど何もなく、道はところどころ舗装が割れて整備されていない。四方を山に囲まれた小さな村である。
    現在、モンテレッジォの人口は32人。村に小・中学校はなく、食料品や日用雑貨を扱う店もない。診療所もなく、鉄道は通っておらず、バスもない。過疎地どころか限界集落の一歩手前だ。
    しかし、この村からイタリア版「本屋大賞」である「露天商賞」が生まれたのだ。いったいどうしてなのか?

    物語は、ヴェネツィアの路地裏に佇む一軒の古本屋から始まる。筆者の内田氏が何気なく入ってみると、本に埋め尽くされた異空間が広がっていた。割と小さな店なのに、何故かひっきりなしに客が訪れる。客は本だけでなく店主のアルベルトに会いに来ているのだ。
    アルベルトはお客と会話を楽しみながら、「こんな本どうですか?」と提案する。その知識の豊かさは、まさしく「本のソムリエ」だ。そのアルベルトの出身が「モンテレッジォ村」である。村人は代々、本の行商で生業を立てていたのだ。

    モンテレッジォの行商人たちは、もともとお札や暦を売り歩いていた。フランス革命後の工業化によって庶民の暮らしにゆとりが出始めると、庶民は知識を渇望しはじめる。モンテレッジォはその商機を見逃さなかった。ヨーロッパ各地に散らばる出版社から様々な本を集めて、大陸中を売り歩いたのだ。
    それまでは本は高額であり、内容もキリスト教関係のものばかりだった。そこで行商人は出版社とタッグを組み、小部数で安く本を売り始めたのだ。露店なら、いくらでも本に触れることができる。冒険や恋愛など、身近な内容の雑誌もある。何より、店主である行商人たちは丁寧に相手になって本を紹介してくれる。
    庶民には庶民の、上流階級には上流階級の関心ごとが存在する。識字率が高い地域もあれば低い地域もあり、売れる本に差が出る。ファシズムが政治の中心に座れば禁書ができ、人々はこぞってそれを読もうとする。本売りを重ねるうちに、行商人たちは庶民の好奇心と懐事情に精通した。「大衆が欲しているもの」を間近で見てきた彼らは、すなわち「文化を売り歩く行商人」であったのだ。

    ――「それにしてもなぜこんなに小さな村から、代々、旅に出て本を売り歩いたのでしょう。皆さんは、不思議に思いませんか?〈世の中に自分が信じるものを届けたい〉。村人にとって、それが本だった。この人たちは、きっと神様から選ばれた特使なのです。〈さあ旅に出なさい。世界じゅうに文化を届けるのです〉とね」
    ―――――――――――――――――――――――
    以上が大まかな本の概要である。
    「あ~本っていいなぁ」。改めてそう実感した。
    この本は、本好きをもっと本好きにさせてくれる。古本屋に行って、手あたり次第本を買いたくなってしまう。そんな魔力を秘めた一冊である。本好きの人には是非おすすめしたい。

    なお、本書の筆者である内田洋子さんには、2020年に、第68回露天商賞の授賞式で、「金の籠賞(GERLA D'ORO)」が授与されたそうだ。「金の籠賞」がイタリア人以外に送られるのは今回がはじめてとのこと。何て数奇な運命なのだろう。
    ―――――――――――――――――――――――

    【まとめ】
    イタリア、トスカーナ州のモンテレッジォ村。この村の人達は、何世紀にもわたり、本の行商で生計を立ててきた。そのおかげで各地に書店が生まれ、読むということが広まった。

    モンテレッジォの行商人は、毎年春になると唯一の産物である石と栗を集め、背負って山を越え谷を越えフランスやスペインまで足を延ばした。往路の荷である石を売りきると、空っぽの籠のまま帰るのはもったいない、と道中で本を預かり受けて籠に詰めなおし、売り歩きながら帰路を辿ったという。

    貧しかったおかげで、先人たちは村を出て国境をも越えていった。命を懸けた行商が、勇気と本とイタリアの文化を広める結果へと繋がっていったのだ。

    モンテレッジォはもともと、山に囲まれた地形と堅牢な造りをした建物から、関所としての役割を持っていた。中世の時代、アペニン山脈周辺を統治していたマラスピーナ家が、モンテレッジォに隣接するムラッツォ村に本拠地を置いた。ムラッツォには「神曲」で有名なダンテも住んでいたことがあると言われている。マラスピーナ一族は詩のパトロンとして広く知られていたからだ。

    1800年代のある年を境に、村人は行商にでかけていくようになった。それまでモンテレッジォの経済は、マラスピーナ家を始めとする荘園領主の土地での農業に依存していたが、1916年に襲った大冷夏によって、農作物がほぼ全滅する事態となった。農業そのものがなくなってしまったのだ。
    まず村人たちが籠に入れて担いだのは、本ではなく聖人の祈祷入りの絵札と生活歴。暮らしに役立つ情報が書かれた生活本だ。往路で神のご加護を売った後、帰路でキリスト関係の本を詰めて届けたのである。

    御札が本に変わったのは、1789年にフランス革命が勃発してからだ。ナポレオンによって解放と国家統一の機運が高まり、イタリア半島でもイタリア統一運動が活発化する。

    ナポレオン勢力圏では工業化が進み、暮らしにゆとりが出始める。それまでは、高額であり限られた内容だったため狭かった本の購買層も、少しずつ広がっていく。とはいえ、知識層に新入りした軍人や小市民たちは知識欲は旺盛でも、経済的な余裕はまだ十分にはなかった。
    そこでモンテレッジォの行商人たちの出番である。当時の出版社の多くは小規模で、印刷も行っていた。編んで、少部数を刷り、売る。在庫を抱えている余裕はない。モンテレッジォの人たちは、そういう版元から売れ残りや訳ありといった本を丹念に集めて、代わりに売りに歩き始めたのである。

    それまでの本を読む人たちとは異なる種類の人たちが、各地で行商人たちの運んでくる本を心待ちにした。書店は高価で難解な専門書ばかり扱っていて、敷居が高い。気軽に手に取り、好きなだけページを繰ってみたい。露店なら、いくらでも本に触れることができる。冒険や恋愛など、身近な内容の雑誌もある。気に入れば、自分たちにも買える本がある。何より、店主である行商人たちは丁寧に相手になってくれるのだった。
    本売りを重ねるうちに、行商人たちは庶民の好奇心と懐事情に精通した。客一人ひとりに合った本を見繕って届けるようになっていく。客たちにとって、行商人が持ってくる本は未来の友人だった。

    1800年代に独立運動がさかんになっていた時代には、行商人たちは反乱分子たちに禁書を運んできた。本を運んで、文化を密売していたのだ。

    1908年、モンテレッジォ村の行商人5人がピアチェンツァで会社を設立する。
    モンテレッジォが出版社から重宝されたのは、「売れる本を見抜く力」のおかげである。イタリア各地の客たちの反応を現場レベルで見聞きしていたモンテレッジォには、どこで何が流行っているのか、どうしたら売れるのかを掴む力があった。ミラノのリッツォーリ出版社の創設者アンジェロ・リッツォーリは、まず行商人たちにゲラを読んでもらってから本に刷るかどうかを決めていたという。

    「モンテレッジォに任せるに限る」。どの出版社も、新刊も含めて信用取引するようになっていく。

    行商の暮らしは、見通しが立たない。商いを大きくしようと思っても、資金繰りは難しい。出版社の計らいで仕入れにかかるコストが「信用」だけとなると、村人たちは預かり受けた本をますます丁寧に運び、売った。
    「本屋をしていると、知らず知らずのうちにたくさんのことを覚えます。知識だけではありません。信用を得るということ。誰にでも礼儀正しく親切であること。本を売ることは、生き方のいろはです」

    5人の実直な働きぶりに、出版人たちは胸を打たれた。ボンピアーニやリッツォーリ、モンダドーリに始まり、ビエッティや辞書出版のヴィンガレッリなど、多くの出版社の社長たちが自らモンテレッジオを訪ねる。「好きな価格で売ってくれればいい」。売値の設定も利鞘も、すべて村の行商人の裁量に任すようになっていったのである。

    5人はその後、各々が独立して出版業や書店経営へと移行する。残念ながら戦争の影響でどこも廃業してしまったが、5人は本を通じてイタリア文化の醸成を担ったのである。

  • はじめにより

    ある日ふと読み始めてみると、面白くてページを繰る手が止まらない。玉手箱の中から次々と宝物が飛び出してくるような、モンテレッジオ村はそういう本のようだ。
    本棚の端で、手に取られるのを静かに待っている。
    薦めてくれたのはヴェネツィアの古書店だった。
    とても居心地の良い店である。
    (中略)
    見知らぬイタリアが、そこここに埋もれていた。
    人知れぬ山奥に、本を愛し、本を届けることに命を懸けた人たちがいた。
    小さな村の本屋の足取りを追うことは、人々の好奇心の行方を見ることだった。これまで書き残されることのなかった、普通の人々の小さな歴史の積み重なりである。
    わずかに生存している子孫たちを追いかけて、消えゆく話を聞き歩いた。

    以上抜粋。

    本、本、本、モンテレッジオに関する本の山に囲まれて毎日を過ごす著者。
    著者はなぜ、こんなにも、モンテレッジオに魅せられているのだろうかと思いました。
    もしかしたら、私がこの本を手にした理由と同じかもしれないと思いました。私はタイトルに『本屋の物語』ということばが入っているこの本を図書館で借りました。
    著者もまた小さな村の旅する本屋に魅せられたに違いないと思いました。『本』ということばには魔力があります。
    モンテレッジオで本を待つ人たちへの本に魂を捧げた人たちへのひとかたならぬ愛情にあふれたノンフィクションです。
    モンテレッジオは本の魂が生まれた村だったのでした。

    主にヴェネツィア、モンテレッジオをはじめとする土地の明るく美しい風景や、本に関する写真が3ページごとにはさまれています。

    • まことさん
      本好きの方なら皆さん楽しめる本だと思います。写真も綺麗でたくさんありますよ!この本もオススメです(^^♪
      本好きの方なら皆さん楽しめる本だと思います。写真も綺麗でたくさんありますよ!この本もオススメです(^^♪
      2019/08/08
  • 本を人力で売り歩く行商人から、書店、出版社、出版取次、そしてイタリア版本屋大賞とでも言うべき〈露天商賞〉までも生み出してしまう。

    本とかかわり続けた村人の歴史は、読み応えがある。

    本=知識が、人びとを動かし、社会を変えていく。
    読書のもつ力のすごさを、あらためて感じさせられる。

    ノンフィクションではあるが、話題は飛び飛びで、抒情的な部分もおおく、エッセイのよう。

  • そんなに簡単な話ではないことは分かっているし、苦労の方が多いことも分かっているけれども、19世紀のイタリア・モンテレッジォに生まれ、本の行商人になることを空想してしまう。
    本の目利きとして、人々に受け入れられる本を仕入れ、知らない土地に行き、その街の広場に露店を出して、本を売る。客と会話を交わすようになり、その人に合った本を見立ててあげる。夜は、貴重な商品である本を見張るためにも、広場に野宿する。
    持って行った本が、だいたい売れたら、新しい本を仕入れるために、故郷に帰る。そうやって何年も、真面目に行商を続け、ある程度のお金を貯めることができたら、これまで露店を出したことがあるなかから、お気に入りの街を選んで、広場に近い場所に書店を出す。
    それでも、旅売りが忘れられず、時々は、書店は妻と息子に任せて、自分は、行商に出かける。
    イタリア版、真面目な寅さん。

    本好きは、自分の本屋を出すことを考えた、あるいは、妄想したことがあるはず。
    妄想先の場所と時代を広げてくれる。
    たくさん素敵な写真が掲載されている。
    これも、妄想を広げてくれる。

  • イタリアで活動する日本人ジャーナリストである著者。

    ベネツィアのとある古書店との出合いから、イタリア北部のある山村を訪ねることになる。そこはかつて、ヨーロッパを股にかけて「本」の行商をした男たちの拠点なのだった。

    なぜそんな場所でそんなことを・・・? その謎を追って、著者の知的遍歴が始まる、そんな本である。

    なんだかハラハラドキドキしながら読み進めて行くと、出版、本そのものの歴史に重なって行く。深いな、イタリア。

    そうした深い歴史とは裏腹に、「電子」の波はイタリアにも忍び寄っている。先人たちの情熱や冒険に触れつつ、改めて本の価値、大切さに思いが致される。感動作だった。

    p177
    箱に保管された鋳造活字は、もう誰からも組まれることもない。… 編まれずに置き去りにされた言葉が、拾われるのを待ち続けている。(古い版元にて)

    p262
    残念ながら、すべての本を仕入れることはできません。本屋は、売る本を選ばなければならない。選んでいると、しみじみ幸福な気持ちになります。そして、選んだからには真剣に売ろう、と背筋が伸びます。(古書店主の話)

  • 本に呼ばれて人や旅や本に出会えた。そして、本・本屋の過去、未来へとつ続く物語でもあった。ヴェネチアの古書店に始まり「本の行商人」を頼りにモンテレッジオという山村へと向かう。モンテレッジオの歴史、何世紀も本の行商をしていたという村人たちを追い、読んでいると本・本屋さんの誇り、そして貴重さを感じた。行商人の家では<本箱の中で生まれ育った>とか「パンと本を食べて育ったようなものでした」など、本との結びつきが強さにうらやましつつも村単位でそういうところがあるのだと驚きでした。本のつながりってあると思う、素敵だなあ。この本に会えたことも幸せでした。お客が欲しい本は何か、必要とされるのは何かを見極めるということ、難しいけれど、あってみたいなあ、そういう本屋さん。

  • ベネチアの本屋と、そのルーツである本を売り歩いた人達の歴史を探るノンフィクション。
    効率重視の現代では、本の行商などあり得ない職業だが、昔はそういう商売が成り立っていたようだ。著者は、ベネチアの書店主から聞いた本の行商に関する情報に興味を持ち、手掛かりを求めてモンテレッジョに向かう。そこで様々な人達との出会いがあり、彼らの話を聞くことでイタリアの出版事情、業界の歴史を知ることになる。
    装丁に惹かれて手に取ってみた。文章が軽くて読みやすく、写真も多く挿入されていて判りやすかった。著者の感性や行動が文章に表現されていて、自分が体験しているような感じがした。昔、自分が住んでいた地域でも、本屋さんが本を配達したついでに、実用書を薦めたり文学全集のチラシを置いて行くことがあった。特に書店が無い地域では、行商的なやり方でも充分成り立っていたのだろう。読んでいて、昔の記憶が蘇ってきて懐かしい気分になった。

  • 険しい山に囲まれた小さな村・モンテレッジオ
    栗の木と石しかない小さな村が
    なぜ「本の魂」が生まれた村と言われるのか…
    そのルーツに迫ったノンフィクション

    生きるために本を売る
    時には「文化の密売人」であり、時には「危険な武器=本」を各所に行商し、時には「大衆の喜び」を与える文化人でもあり、モンテレッジオの行商人はただ単に本を販売していただけでなく多くの文化を運んでいった。
    さらには本屋だけで選出する文学賞「露店商賞」まで作ってしまうとは!!

    こんなすごい歴史がある村があるなんて…
    いつかこの村に行ってみたい

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著者プロフィール

ジャーナリスト

「2022年 『ベスト・エッセイ2022』 で使われていた紹介文から引用しています。」

内田洋子の作品

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