大洪水の前に マルクスと惑星の物質代謝 (Νυ ́ξ叢書 03)
- 堀之内出版 (2019年4月25日発売)


- 本 ・本 (356ページ)
- / ISBN・EAN: 9784909237408
作品紹介・あらすじ
2018年度ドイッチャー記念賞(Deutscher Memorial Prize)を日本人初、最年少受賞。期待の俊英による受賞作邦訳増補改訂版。資本主義批判と環境批判の融合から生まれる持続可能なポスト・キャピタリズムへの思考、21世紀に不可欠な理論的参照軸として復権するマルクス研究。
マルクスのエコロジー論が経済学批判において体系的・包括的に論じられる重要なテーマであると明かし、またマルクス研究としてだけでなく、資本主義批判、環境問題のアクチュアルな理論として世界で大きな評価を獲得。
グローバルな活躍をみせる著者による日本初の単著です。
スラヴォイ・ジジェク 斎藤幸平のKarl Marx’s Ecosocialism(『大洪水の前に』の英語版)は自然の中に埋め込まれた人間を考えるための最も一貫した最新の試みだ。
マイケル・ハート(デューク大学) 気候変動とグローバルな環境危機に対峙しようと決意するなら、資本の批判が必ずや中心的課題になることが今日ますますはっきりとするようになるなかで、より多くの研究者や活動家たちが環境問題にたいしてマルクス主義のアプローチを採用するようになっている。この素晴らしい本によって、斎藤幸平はエコロジカルな資本批判というプロジェクトのために多大な貢献を成し遂げているが、それは、マルクス自身が経済学批判をその生涯にわたる、体系的なエコロジカルな分析に結びつけていたことを示しているからである。この惑星を大洪水から救いたいなら、もう一度マルクスに立ち返り、マルクスを読み返さなくてはならない。
※ドイツ語版
»Natur gegen Kapital: Marx' Ökologie in seiner unvollendeten Kritik des Kapitalismus«, Campus, 2016
※英語版
»Karl Marx’s Ecosocialism: Capital, Nature, and the Unfinished Critique of Political Economy«, Monthly Review Press, 2017
※韓国語版
<마르크스의 생태사회주의> 추선영訳, Secondthesis, 2020
感想・レビュー・書評
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長く誤解や偏見も持たれてきた波乱万丈の経済学者、哲学・思想家カール・マルクス(1818~1883)。
彼はその言説から生産力至上主義やプロメテウス主義だと言われて久しい。技術進歩によってあらゆる自然的限界を打破し、世界を操ることを目指す近代思想だが、でも果たしてそうなのかな? マルクスは『資本論』第1巻の執筆後に世を去ってしまい、盟友エンゲルスが膨大な遺稿や草稿を整理し、取捨選択しながら書いている。つまるところ、マルクスの真の姿はすこし霞んでしまってよくわからないのだ。
これまで真剣に取り上げられなかったマルクスの手記ノート(膨大な草稿や勉強ノートが存在しているらしい*MEGA資料)。著者の斎藤さんたちは、これらを地道に読み解き、あらゆる角度から総合的にマルクスという人物をとらえ、その複雑な思考過程を探っている。その斎藤さんはこう断言している。
「マルクスの経済学批判の真の狙いは、エコロジーという視点を入れることなしには、正しく理解することができない」
これには目からウロコが落ちた。そう思って読んでみると、『資本論』には農学者リービッヒらの影響から「物質代謝の亀裂」を扱っているところが多い。実はこれが書かれる以前の1844年「パリ・ノート」には、すでに人間と自然の関係の歪みと矯正を扱っているようで、本作品を読みながら、おおいに驚き、わくわくしてしまった。ゲーテの言うとおり、読書の醍醐味は<驚き>だ♪
「労働者は自然なしには、感性的外界なしには、何も作りだすことはできない……自然は人間の身体であって死なないために人間はこの身体といつも一緒にやっていかなければならない」(MEGAより)
人間も自然の一部にすぎないことを思えば、あたりまえのように思えるのだが、現実はそのあたりまえすら見て見ぬふりをしているよう。地球環境は一層深刻になっているのに、ひたすら経済成長を唱えて猛進しているのが世界の姿ではないだろうか。
温暖化による氷河や氷床の融解、メガ台風、豪雨・豪雪、スーパーセル・竜巻、熱波・乾燥、森林火災とあらゆる異常が世界各地で同時・多発的に生じている。でも大量の化石燃料の燃焼、あらゆる工業製品の生産、自動車やジェット燃料の費消……温室効果ガスの減る要因はほとんどないように思える。しかも止まらない森林火災にくわえ、コロナウィルスの蔓延で、世界は大量のマスクや注射器や衛生ゴミを毎日焼却しなければならない事態に陥っている。
毎年のように世界中で災厄が降りかかるのは、地球という惑星が、巨大な循環装置なのだと思えば、さながらブーメランのように被るのも当然なのかもしれない。かといって人類の自業自得だと悲観するわけにもいかないだろう。大洪水よ、我が亡きあとに来たれ……では子や孫やあらゆる動植物はどうなってしまうのか? 遠い火星に移住することもできない。
「マルクスの経済学批判の真の狙いは、エコロジーという視点を入れることなしには、正しく理解することができない」という斎藤さんの言葉のとおり、エコの観点は、わたしたちの労働のありかたにも繋がっていることを説得的に論証したマルクスはスゴイ。というのも、私の凝り固まった固定観念から、エコはエコ、労働は労働、食の問題は食の問題と……これらは固有で独立したものだと思い込み、なかなか分野の垣根も超えることができなかったからだ。
「疎外された労働は人間を自然から疎外する」(MEGA資料)
この点で、私的所有は単なる事実ではなく、阻害された労働の帰結なのだ、と斎藤さんは説明する。
ということは、資本構築を実現するためにどうすればいいのか? と逆から光をあててみると、資本というのはどのようにして多くの人間を自然から効率よく切り離し、それを激化させ、スキルアップしていくか? ということを、うんうん……と考えた本が『資本論』ということになりそうだ。
そう思えば、なるほど資本論のスタートがなぜに「商品」なのだ?? という従前からの疑問がとけた気がする。それは紛れもなく「一定の大きさの凝固した労働時間」、悲しくもその多くは、疎外された労働とその時間の塊なのだろう。
資本主義的生産様式やその経済批判とエコロジーは、決して別個の議論ではなく、人間の身体のように繋がり、有機的一体となって存在している奇怪な生き物のようなものかもしれない、そう思うとなんてダイナミックなのだろう~とまたまた驚く。
ところでマルクスという人は、若いころはさほど固まっていた人ではなかったのではないかと勝手に想像している。それは悪い意味であらゆる誤解を招き、いい意味で、誰がなんと言おうと進化し続ける人だったのかもしれない。彼が先達のゲーテの影響を受けたというのを何かで読んだ覚えがあって、たしかにゲーテも決して固まった人ではなかった。文学や芸術にとどまらず、自然科学、生物学、鉱物学といった学問をつねに学ぶ、好奇心旺盛な人だったよう。
ふと私はそれに似たようなものをマルクスに感じることがある。文学的素養のほかに、経済学、哲学、自然科学、生理学、農学や数学・統計といった学問の垣根を取り去り、新しい分野にも向学心を持ち続けた。それらを学び敷衍することで器量を押し広げ、進化していった人なのだろう。だからマルクスの一時期の言葉を捕らえてそれに拘泥し偏見をもち続けることは、自らの狭量や限界を露呈するような気がする。MEGA資料も網羅しながら、マルクスという人の器の形や容量や、ときには人間のもつ両義性を探索していくことはとても興味深いことなんだろう。けど、一筋縄ではいかない人物だから、めっちゃ大変だろうな~斎藤さんたちの研究に心から敬服する。
そしてなぜかマルクスに魅かれるのは、彼が辛口のロマンチストで、その文学愛は深く、遊びがあってお茶目だからだ。彼の本のなかでは、突然シェイクスピアのように芝居がかったかと思えば、ホラティウスのように過激な詩人になり、ダンテのように地獄を遊び倒しては、ディケンズのように優しさが溢れる。一方でトマス・モアやジャック・ロンドン顔負けの、大ブリテンの労働状況のレポートと分析は……あまりにも壮絶で、すさまじい迫力なのだ。その文体も特異で、比喩も奇抜で笑ってしまう。あ~もしマルクスが資本論を最後まで仕上げていたら、もっと躍動しておもしろかっただろうに……ないものねだりの妄想にふける……。
でも新たな研究のおかげで、なかば沈淪してしていたマルクスの生とダイナミックな思索に新たな光があたったようだ。その躍動を味わうことができてすごく嬉しい。時事問題を意識しながら、これからもスルメのように味わい読んでいこう。興味のある方にお薦めしたい(^^♪ (2021.1.6)
***「あとがき」の著者の抜粋も素敵♪
新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴しく美しい構成に変へよ (宮沢賢治)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ー ここでの問題は、物質代謝の亀裂が世界規模の問題となっていることだ。グアノの枯渇に直面して、イングランドとアメリカ合衆国は貴重なグアノと硝石の資源をめぐってのペルー沖のみならず、南アメリカ大陸の諸島をめぐる領土争いを繰り広げるようになっていった。アメリカ議会は一八五六年にグアノ資源のある島の併合をアメリカ市民に認める「グアノ島法」を可決し、太平洋上の島々を占有したのである。こうした帝国主義的掠奪は、自然資源も食いつくし、生態系を攪乱していく。例えば、フンボルトペンギンはグアノのなかに巣を作る習性をもっているため、グアノの掠奪は、ペンギンの繁殖を著しく困難なものとした。さらには、グアノ採掘は海鳥の巣そのものも破壊してしまうことで、海鳥も激減してしまう。また、植民地下では深刻な経済的・政治的不平等が生まれ、グアノ採掘のために原住民の生活が破壊されたのみならず、中国人の苦力も劣悪な環境で働かせたのだった。
物質の循環に亀裂の入った資本主義における掠奪と乱費のシステムは、生産力と輸送手段の発展とともに、世界市場上の商品交換と植民地支配を通じた暴力による収奪によって、ますます大量の自然資源を資本蓄積のために利用しようとする。だが、そうした自然資源の利用は、土地の肥沃度や自然資源をかつてない世界的規模で枯渇させ、より暴力的な争いを生み出す。最終的に、「環境帝国主義 (ecological imperialism)」はグローバルな物質代謝の亀裂を生み出し、グアノ戦争や硝石戦争が勃発することとなったのである。 ー
マルクスが語らなかった地球の有限性と持続可能性について、マルクスの膨大なノートから読み解く研究書。「物資代謝」という言葉を頼りに読み解いていく面白い作品。
最近、SDGsを意識した仕事もあるので、やっぱマルクスから資本主義について考えるところから始めないといけないかなと。 -
斉藤さんにしては、固い文章だなぁと感じていたが、例の博士論文をベースにし、プラスαしたリミックス本。数字やグラフなどもなく、誤魔化してない。ロッシャーによる掠奪農業主観、SDGsへの批判にもカスる所ある。あと、文庫が出ていたとは!特に叢書である必要はないので、文庫がお勧めかな?値段がかなり違うので。
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東京大学農学生命科学図書館の所蔵情報(紙媒体)
https://opac.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2003473603 -
マルクスは、いわゆる経済的な側面しかみていなくて、エコロジー的な側面がないとされる通説に対抗して、エコロジーも視野にはいっている新しいマルクス像を提示。
エコロジカルなマルクスについては先行研究はあるようだが、著者は、新しい全集で整理されつつあるマルクスのノート類や読書記録などを踏まえながら、丁寧に新しいマルクス理解を展開していく。
読み終わったあとには、かなり説得されていて、マルクスはエコロジカルだったんだと自然に思ってしまう自分がいた。
とはいえ、基本、当時は出版されていない、しかも思索のプロセスを残したノートではなくて、読んだ本の抜き書きなどを踏まえて、出版されたテキストを読んでいくというのはどうなんだろう?とも思ってしまう。まあ、ノートも出版されれば、一つのテキストとして流通するわけだから、テキスト外からマルクスは本当はこうだったみたいに議論するのとは違うと言えば違う。
そこまでマルクス自身がどう考えていたかを問題にせずに、マルクスの思想に現代のエコロジーの考えをどう統合すべきかを議論したほうが早いじゃんというのが素朴な感想。
でも、ちょっとだけわかる気がするのは、マルクスの思想自体から内在的にでてくるものとしてエコロジーをダイナミックにとらえるということのインパクトは、後付けしたものよりパワーがあるなということ。
たとえば、エンゲルスもエコロジカルな視点はあって、自然を収奪する経済発展は、どこかで限界に到達して破綻するということは言っている。これは現在で流通しそうなディスコースだと思う。
が、これは資本主義の外部にエコロジカルな限界を設定しているだけの議論であまり面白くはない。
これに対して、マルクスは資本主義の内在的な論理として、エコロジーが捉えられているという議論。そして、それは初期の労働の疎外といった議論も、同じく資本主義が人間という自然を破壊していくプロセスとして、エコロジーと一貫したものとして捉えることができるという視点を提供している。
この辺の議論は、面白いと思う。 -
東2法経図・6F開架:134.5A/Sa25d//K
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氏のマルクス研究を知るには手っ取り早い本。さすがマルクス研究といったところで、前半のマルクスの「疎外」概念のまとめ方のうまさには舌を巻く。
本書の後半では『資本論』第一巻発表後、マルクスが死ぬまでに、彼の資本分析がの手段が哲学から自然科学へと変化していったことが詳細に述べられている。この部分が氏の独自の研究であり、革新性がある部分なのだろう。内容的にも当時の農業や科学に関する知識がまとめられていて哲学的要素はないので、本書の前半部よりもとっつきやすい印象である。
総括すると、たしかに本書はマルクス研究の新しい方向性を示す革新性を持ったものであり、氏の博士論文を核としながらも一般に開かれた比較的わかりやすいものである。
しかしマルクス研究を志さない人が読む必要性はあまり感じられない。この本を読むなら、氏の著作である『人新世の「資本論」』を読んだ方が、一般向けに書かれているためわかりやすいし、内容もマルクスに限定しない現代の思想家なども取り上げられているために幅広い。
『大洪水の前に』は『人新世』で展開される氏の思想が独自のマルクス研究を基盤としていることが分かるが、それゆえに『人新世』の前座のような立場が否めない。
そこまで深く氏の思想を検討するつもりがないなら『人新世』を読むだけで十分であろう。
あと、この本は装丁がとても美しい。この点は本書を手元におくべき本としてあげるのに十分な理由になる。
著者プロフィール
斎藤幸平の作品





