上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

著者 :
  • ミシマ社
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本棚登録 : 286
レビュー : 47
  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784909394033

作品紹介・あらすじ

「50で人格崩壊、60で死ぬ」。医者から宣告を受けて20年——
なぜ、オレだけが脱け出せたのか?

「その後」に待ち受けていた世界とは??
壮絶!なのに抱腹絶倒 

何かに依存しているすべての人へ

アル中は遠くにありて思うものです。
山にかかる雲と同じで、その中にいる人には、なかなか気づくことができません。
一度、雲の外に出てみないと、視界が確保できないからです。
私の告白が、雲の中で苦しんでいる仲間にとっての蜘蛛の糸みたいなものになったら良いなと思っています。
まあ、私はお釈迦さまではないわけですが。
(告白─ 「まえがき」に代えて より)

感想・レビュー・書評

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  • コラムニストの小田嶋隆氏が元アル中であったことを公表し、その体験をつづったもの。アル中というものについて、これほど分析的に、正義ヅラせず、かつわかりやすく書いたものはないのでは。そうかそういうことか!と目から鱗がポロポロ。

    小田嶋氏の書くものには、ズバッとしたことを淡々と言う、ウケを狙わない、多勢に迎合することをしない、という印象がある。アル中であった時期、そして断酒中の現在についても、感傷を排して、しごく冷静に書かれている。第1章のタイトルは「アル中に理由なし」。最初っから、何事にも受け入れやすい「物語」をつい求めがちな世の傾向にNOを唱えているところなど、実に著者らしい。

    アル中者の世間との接点は「逸脱」にしかなく、それがドラマとしては劇的なので、アル中者の転落と死は美しく描かれがちだという指摘は、実にその通り。この実例は、作家や漫画家やミュージシャンなど、枚挙に暇がない。どういうわけか、日本社会は酒飲みに甘い(どころか、下戸には生きづらかったりする)。現実を直視すれば、まあたいていのアル中者は迷惑千万で美しくも何ともないってすぐわかりそうなものだけど。

    自身の体験に基づいて書かれているので、とても具体的で、そうかアル中ってこういうふうになるのね、とよくわかる。さらに、断酒することがいかに困難かということも、これまたすごーくよくわかる。酒を飲まないというのは、単純な「我慢」の問題なのではなくて、「酒抜きの人生」をあらたに構築し直すことだとあって、なるほどな~と思った。私は特に酒好きというわけではないが、それがいかに困難か、想像はできる。

    そしてまたよく考えれば、ことは酒に限らないわけで。自分には依存や嗜癖の対象がない!と言い切れる人はそう多くないように思う。好きなものをやめてまで何の人生か、という心情に共感するところは自分にもある。最後のあたりの一部を引用しておく。

    「年季の入った酒飲みが毎度おなじみの酩酊状態に到達すると( 中略 )架空人格みたいなのが自分に降りてきて、そいつに任せればいいみたいな状態になる。で、自分という主体を取っ払ったとこで暮らしたほうが本人にとっても楽なわけで、だからこそ彼らは酒を飲むわけです。 してみると、何かに依存するってことは、自分自身であり続けることの重荷から逃れようとすることで、逃避という行為自体はスマホでもお酒でもそんなに変わんないんですよね」

  • コラムニストさんのアル中体験?記
    毎日飲まなくっても依存。
    アル中進むと、アル中ではないぞって考えるようになる。要注意ですな。
    現代はネット、スマホ依存。
    そうじゃないよって思ってる人がやばいのかも?

  •  ベテラン・コラムニストが、20年余の断酒経験を経て、「現役」のアルコール依存症患者だった時代を振り返った本。
     高田渡が亡くなったとき、ブログで〝アル中をロマンティックに美化する世間の風潮〟に異を唱えた文章を書いたり、部分的に触れたことはあったが、このようにまとまった形で振り返ったのは初めてである。

     言葉遊びの書名が、オダジマの初期作品(『仏の顔もサンドバッグ』など)を彷彿とさせて楽しい。

     基本は「語り下ろし」(本人の語りを文章にまとめている)で作られているので、コラムにおける「オダジマ節」の魅力は希薄なのだが、それでも随所にこの人ならではの言葉の冴えが見られる。

     たとえば、酒をやめたことで生じた独特の寂しさを、次のように表現するところ。

    《たとえばの話、私の人生に四つの部屋がある。とすると、二部屋くらいは酒の置いてある部屋だったわけで、そこに入らないことにした。だから二部屋で暮らしているような感じで、ある種人生が狭くなった。酒だけではなくて、酒に関わっていたものをまるごと自分の人生から排除するわけだから、それこそ胃を三分の二取ったとかいう人の人生と一緒で、いろいろなものが消えた気がしているのは確かです。》

     このような、「うまいこと言うもんだなー」と感心する箇所がちりばめられている。
     
     語られているアル中体験はかなり壮絶なのだが、それが軽やかなユーモアと明晰な知性でシュガーコーティングされているので、面白く読める。
     「明晰な知性」をとくに感じるのは、アル中時代の自らの心の動きを、過剰な思い入れを排して冷静に分析しているところ。医療者ではなく患者自らが、〝アル中心理〟にこれほど鋭いメスを入れた書物は稀有ではないか。

     対談もしたという吾妻ひでおの話が、何度も出てくる。吾妻の『アル中病棟』が、自らのアル中体験を娯楽マンガに昇華した傑作であったように、本書も著者のアル中体験を上質なエッセイ集に昇華した好著といえる。

     章間のコラムと、最後に収録された短編(小説に近い体裁)は本人が書いているのだと思うが、ここがさすがの読み応え。

     発売から2ヶ月が経とうとしているいま、TOKIOの山口達也が起こした事件によって、かつてないほどアルコール依存症への注目度が高まっている。
     山口は記者会見で、自分がアルコール依存症であることをかたくなに否定したが、本書にも「オレはアル中じゃない」という章がある。アルコール依存症は「否認の病」と呼ばれ、当初はなかなか病識が持てないことも特徴なのである。

     幸か不幸か、山口の事件によって本書にも注目が集まるだろう。

     ……などと他人事のように書いているが、私自身、アル中の一歩手前ぐらいまでは行った時期がある。
     本書にも書かれているように、フリーランサーは家で仕事をするだけに、アルコール依存症になりやすい面があるのだ(朝から飲んでいても、咎める者は家族以外にないし)。
     「他人事ではないコワさ」を感じつつ読んだ。

  • 2020年1月30日読了

  • コラムニストの作者とアルコールとの付き合いの仕方です。すでにアルコールはやめていますが。
    この本、ウィスキーのお湯割りを飲みながら読みました。

    文章を書く事とアルコールについても書かれています。
    ここのブクログにしろ他の媒体にしろ、私は酒を飲みながら書く事もあればシラフで書く事もあります。見比べて読んでみても「これ、飲んで書いた奴だ。」とはっきりわかるようなものはあまりないように思います。もちろん泥酔していたら文章どころではないですが、そうでないほろ酔い位なら文章書くの問題ないかと。

    と思っていたのですが、「酒飲みながらだと量が書けなくなる」と作者の言葉にあります。シラフでも気分が悪いし、泥酔していたらかけないし。ちょっとの間ほろ酔いの時にコラム等の原稿を書いたとも。

    私は文章書きは完全に趣味なのでいいのですが、それを生業にしている人にとってもはいかに書ける状態に持っていくかが大事なんだなぁと思いました。

  •  酒に酔った人間は、本音を言っているわけではない。酒に酔ったふりをして、酔ったなりの計算をはたらかせている。(p.97)

     批評眼に文章力が追いついていない段階は、誰にでもある。いや、本当のことを言えば、文章力は、一生涯批評眼に追いつくことはできない。その、苦しさの中で、自分の書いた文章の至らなさに耐えながら、それでも少しずつ推敲して、その不細工な文章を磨いていくことでしか、文章の技巧は磨かれない。
     おお、精神論だ。
     私としたことが、ど根性礼賛の、精神論をカマしてしまった。(p.98)

    『ふくらはぎをもみなさい』とかくだらない本があるでしょ。あんなことで人生変わったりするはずはないんだけど、でも、単純な指針を欲しがっている人は、何百万人もいるんですよ。ふくらはぎをもめば人生が変わるんだ、長財布を持てば人生が開けるんだ、とかごく単純でわかりやすい何かを一心にやっていくとそれだけで人生が開ける。そんな話ウソに決まってるんだけど、もし万が一本当だったら素敵じゃないですか。(p.154)

     たとえば赤羽から新宿まで電車に乗っている15分ぐらいの間、SNS見てたりスマートニュース見てたり、ついそういう風に過ごしてしまうんだとして、そうやって自分の時間をすべて情報蒐集に費やしてしまう過ごし方は、これは、実のところ、アイデンティティの危機なんです。なぜなら、情報蒐集している間、人は頭を使わないからです。
    というよりも、スマホを眺めている人間は、自発的な思索をやめてしまっているわけで、外部に情報を求めるということは、自分の頭で考えないことそのものだからです。(p.200)

     してみると、何かに依存するってことは、自分自身であり続けることの重荷から逃れようとすることで、逃避という行為自体はスマホでもお酒でもそんなに変わんないですよね。(p.202)

  • アルコール依存状態か否かは、飲む量とは関係ない。
    依存する人は、色々考えるのが面倒くさいから飲む。
    僕はアルコール依存になる素質がある。

  • 著者が 医師に諭される言葉に
    断酒は 坂の途中でボールを止めている状態
    と諭されます
    ボールは いつか飲んでしまえば
    また下まで転がり落ちる
    前よりももっと早く・・・・
    治ることがない病
    一生のお付き合いですが
    上を向いて 歩いていきたいですね

  • 筆者のアルコール依存の体験についてのコラム。飲酒への依存が暇つぶしというのは納得感がある。また、スマホ依存とのつながりも、確かにそうだなぁと感じた。

  • コラムニストの著者がアル中だった20-30代当時のことを赤裸々に分析的に書いた書。アル中の気持ちはわからないが、スマホ依存なども通じるところがあるという後半のくだりはドキッとさせる。

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著者プロフィール

1956年、東京都生まれ。コラムニスト。

「2019年 『街場の平成論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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