数学の贈り物

  • ミシマ社 (2019年3月20日発売)
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本 ・本 (160ページ) / ISBN・EAN: 9784909394194

作品紹介・あらすじ

いま(present)、この儚さとこの豊かさ。

独立研究者として、子の親として、一人の人間として 

ひとつの生命体が渾身で放った、清冽なる19篇。著者初の随筆集。



目の前の何気ない事物を、あることもないこともできた偶然として発見するとき、人は驚きとともに「ありがたい」と感じる。「いま(present)」が、あるがままで「贈り物(present)」だと実感するのは、このような瞬間である。――本書より



『数学する身体』(新潮社、第15回小林秀雄賞受賞)の著者による待望の2冊目がここに誕生――。

感想・レビュー・書評

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  • "数学は行為に先立って意味があるのではない。「意味がわからなく」なってからが数学はおもしろい"
    つまづいたらその先がわからなくなってしまう時があったが、つまづいたところからもう一度見直してみようかと思えた。
    哲学や色んな雑学が絡まって、ずっと新鮮な気持ちで読めるエッセイだった。
    何日かかけて寝る前にゆっくり読んだが、とてもいい時間を過ごせた。

  • 「言葉は簡単に嘘になる。そもそもひとときにひとつずつしか言えないのが言葉だから、どうしたって極端になる。」

    季節ごとの連載は「みんなのミシマガジン」で読んでいたが、著者からの“贈り物”をこうしてまとめて読む愉しさはまた格別。

    いつか、トークライブにも行ってみたい。

  • お腹をこわして他のものが食べられないときの、おかゆのような本だった。正直なところ難しくて全部を理解できたとは言えないけれど、読み進めるうちに、漠然とした不安には名前がつき、理詰めで窮していた思考はふわふわになった。
    トークイベントも参加してみたい。

  • 想像をはるかに超えて、「数学」だけの贈り物ではなかった。ただ、とてもいいエッセイ集。

    一つひとつのエッセイで取り上げられる題材は、とりとめもなく、一瞬、捉えどころが分からず、一貫性がない。
    生まれてすぐに2度の手術を受けることになった息子の話。
    けがを理由に辞めてしまったバスケをしている自分を、昨日の夢に見た話。
    風鈴を眺める話。
    ボーア戦争の有刺鉄線の話。
    息子と公園で遊び、お風呂で数を数えた話。
    ただ、一つひとつの出来事を切り取っていく語りには、数学に本気で取り組んだことあるからこそ感じるのであろう、筆者ならではの視点と着眼点がある。

    そんな中でも、個人的に一番面白かったのは、分かりやすく数学、に関するエッセイだった。
    「−1に−1をかける」とはどういうことか? という問いに対して、「ひとたび記号運用の規則を身につけたなら、意味がわからなくても行為(計算)できる」という。
    そして、数学とは「当初は日常の「意味」を表現するために導入された道具だったが、ひとたび記号として自立してしまえば、今度は記号世界の秩序にしたがって、自律的に展開していく」(p57)もので、「要するに、(−1)×(−1)=1でなければならないというのは記号の側からの要求であって、そこにあらかじめ予定された「意味」などないのだ」と言い切る。

    元々は、何か現実的な意味があって、人は計算することを始めた。けれども、計算のルールが決まると、現実的な意味とは、全く関係のない「何か」が生まれてくる。今度は逆に、これの「意味」は何なのだろう、と考え始める。
    こうしたルールだけが自律していくところに、思いもしなかった新しい「意味」の発見がある、というの発想が面白かった。自分が何をしているのか? この行為がいったい何であるのか? それを一度、括弧に入れて遊んでみる。それが、何であったのかは、後で考えればいい。

    数学という世界の考え方、物事の見方を身につけた人に、みんなにも見えているはずの世界がどう見えるのか。それを体感してほしい。

  • 内容は文学的で哲学的なのでおよそ現代の数学とは程遠い。
    ただ、この空気感というか、感性がとても心地よい。

  • 数学的な考え方は話のきっかけとして少ししか紹介されないけど、静かで哲学的な思索は根源的で、やはりそれは純粋な数学的思考と切り離せないんだろう。
    無垢なこころを思い起こさせる素敵なエッセイ。

  • はじめておとづれる異国への旅の機内で読了.

    旅行や仕事で海外をおとづれると,いかにふだんの自分の生活が日本の東京のある業界で仕事をしている40代うんうんというコンテキストとそれをとりまく情報社会に絡め取られているかを実感として感じるわけですが,森田さんは京都の人気のない土地での普段の生活の中で,数学を通して,そんなコンテキストを異化して「現在」を直視してる.

    読んでいて「生の感覚」がピシピシと伝わってくる.

  • この本を読むきっかけになったのは、娘の高校の国語の教科書に載っていたから。
    『白紙』が掲載されているとのことで、娘から共感したとのことで、私も読みたくなったのだ。ちょうど娘はアニメの『チ。』を観終わり、この『白紙』を読んだ時に共通項を見出し、感慨深かったようだ。タイミングが良かったし、運命的とも思える。私もそう思う。

    読んでいると、イメージされたもの
    静けさ、深淵、一点に集約される温かさ、淡い広がり、知性

    今のこの瞬間を生きるということ

    共感するところがたくさんあった。

  • 数学の贈り物として、著者の感じてきた数学との関わり(贈り物)が書かれていた。数学がそんなに好きではなかった自分にとってはそのような視点、考え方で数学に触れることができるのかと、数学に対しての印象や考え方が変わった。中盤は数学との関わりが薄いと感じる部分があったが、それらも全て著者の数学から贈られた物によって日々の出来事に対してこのように感じていると言うことが書かれていた。数学と今後も関わらなければいけない身としては数学への意識を変えてくれた本著は非常にありがたく、とても良いものだった。

  • 言葉の使い方や、心の動きへの向き合い方が、非常に緻密で感銘を受けました。対象を冷静に愛情深く観察する眼差しが素晴らしく、誠意ある生き方と感じました。

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著者プロフィール

森田 真生(もりた・まさお):1985年生まれ。独立研究者。京都を拠点に研究・執筆の傍ら、ライブ活動を行っている。著書に『数学する身体』で小林秀雄賞受賞、『計算する生命』で第10回 河合隼雄学芸賞 受賞、ほかに『偶然の散歩』『僕たちはどう生きるのか』『数学の贈り物』『アリになった数学者』『数学する人生』などがある。

「2024年 『センス・オブ・ワンダー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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