- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784909394293
作品紹介・あらすじ
ローン地獄、児童虐待、性暴力、障害者差別、
看取り、親との葛藤…「大文字の困りごと」を
「自分事」として考えてみた。
「ここまで曝すか!」と連載時より大反響の明るい(?)社会派エッセイ
わたしたちが「生きる」ということは、「なにかの当事者となる」ことなのではないだろうか。…みんなが隣にいる誰かへの想像力をもつようになれば、まわりまわって思いもかけない方向から、誰かがわたしの小さな困りごとを助けてくれる気がする。そういうのってなんだか素敵で、とてもふくよかな社会に思えるのだ。――「まえがき」より。
感想・レビュー・書評
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すごく、すごく分かるなぁ。
私も青山さんと同様、聞き取りにくい音域があり、50を前に聴力が低下。
春から片耳だけ補聴器をつけている。
遺伝であるのも似ている。
聞き取りにくい音域があると、繋がりのある話もブツギレとなり、結果内容を聞き取れない。
耳に悪いことしたわけでもないのに、なんでこんなことになるんだろ…とやり場のない気持ちにもなる。
いつまで仕事出来るのかな。
もっと悪くなっても、人の中に入れるのかな。
取り上げるエピソードは様々だが、
私のちょっとやり場のない気持ちも慰められた。
2021.3.24詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
第1章を読み終えた時、「むむ、この人とは合わんかも」と思ってしまった。自分で言うのも何だが、私は用心深い。最初の章のエピソードは正直、それ、あんたのせいちゃうんか、という読後感だった。この調子のものを読ませられるのはしんどいなとも思った。経験上、第一印象の悪い本は、読み終えることなく途中で挫折する。
ところが、第2章を読み、3章を読み終えるころには、その印象は「この人、凄っ」というものに180度変わっていた。私にしては珍しい。
どんな人であれ、人に言えない過去の一つや二つはある。もちろん、それを文章にして人目にさらすなんてもっての外だ。ただ、文章はいくらでもごまかしが利く。特に本なんてものは、どこかよそ行きの文章、仮面で書かれるものだ。しかし、本書で青山さんは、自分の嫌な面、恥ずかしい過去を、これでもかとさらけ出す。そして、読者はふと気がつく。これは自分の話だ。私も当事者だ。
本書のタイトルにある「当事者」というのは、広い意味で使われている。それは、障害当事者であり、被害当事者であり、加害当事者でもある。そもそも、生きている限り、世の中のことすべてに対し、私たちは当事者である。その単純な真実に本書は改めて気づかせてくれた。 -
タイトルがいいですね。
これを読むと著者と同年代である自分も、ことの大小はあるもののここに書かれた諸問題の「ほんのちょっと」当事者なのかも、と気づかされます。
考えさせられることが多い話ばかりでしたが、語り口はさらっとしており大変読みやすい。
最後の章はかなり泣かされてしまいましたね。
自分も両親の後仕舞いの時のことを思い出し切なくなりました。
このような話には人の数だけの思いと物語があるでしょう。
そういう話をまとめたものなども読んでみたいです。この著者がルポとしてまとめてくれたら、暗くなりすぎることなくひどく辛くなることも少なく読めるものをまとめてくれそうな気がします。
挿画の細川貂々さんの絵もすごく文章と合っていていいです。
各章末のイラストは、内容に合わせて貂々さんが考えたものとのことですが、この章末のイラストを見ることで、章の内容が一層沁みてきます。
本自体の装丁もこの、章に合わせたイラストになっていて内容に興味を惹きやすいものになっていると思います。たくさんの人に読んでいただきたいですね。
勇気づけられる一冊と思います。 -
ほんのちょっと当事者。ほんのちょっといっちょかみの本。
それは多岐に渡りながら、今の世の中を表すせている。カードローン、遺伝性高音域難聴、心理的虐待、性暴力、終末期鎮静、介護と看取り、働き方改革、遺品整理、どれも自分事のように身近に迫っていることばかり・・・・。
社会と私たちは生きるということでつながっている。今迄他人事だったことが自分事として感じることができる。
避けようとしても、確実に「老い」はやってくるし、後戻りはできず時は前へ進んでいく・・・。 -
自分の事を客観的に、そして世相と絡めてサラサラサラサラと取っ付きやすく書いている。
心配になる位のお金の失敗やグレーゾーンの障害、トラウマで片付けちゃうの⁉︎って感じの性被害。
長年のおねしょの真相。
両親の看取り介護。働き方…自分の価値について。そして旦那さまとの結婚。一緒に生きていく事。
特に両親との幼い頃からの関わり〜介護、看取りまでの気持ちの流れは本当に生々しいけど温かい。
一つ一つのエピソードが翻って私は…?とか私も…と思い当たる事が少し浮かんで考えてしまう。
本当に「ちょっとだけ」当事者になる。
エッセイや自伝はほのぼのした物ばかり読んでいたが、今回は新発見。読んで糧になった。
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内容紹介 (Amazonより)
ローン地獄、児童虐待、性暴力、障害者差別、
看取り、親との葛藤…「大文字の困りごと」を
「自分事」として考えてみた。
「ここまで曝すか! 」と連載時より大反響の明るい(?)社会派エッセイ
わたしたちが「生きる」ということは、「なにかの当事者となる」ことなのではないだろうか。…みんなが隣にいる誰かへの想像力をもつようになれば、まわりまわって思いもかけない方向から、誰かがわたしの小さな困りごとを助けてくれる気がする。そういうのってなんだか素敵で、とてもふくよかな社会に思えるのだ。――「まえがき」より。
『ほんのちょっと当事者』という題名がとてもしっくりくる内容だと思いました。
自分の身に降りかかってこないと 当事者としてなかなか実感がわかないですよね。
わたしたちが「生きる」ということは、「なにかの当事者となる」ことなのではないだろうか。と本の中にも書かれているとおり 自分事として感じられるようになれば良いなぁと感じました。
読んでいて なかなか凄い経験されてるなぁと思ったのと 御両親の介護の章では興味深い内容でした。
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青山ゆみこさんの『ほんのちょっと当事者』読了。人は生きていく上で多かれ少なかれなんらかの当事者である。普段生活していてあまり意識していないけど、絶えず誰かと関わっているし、何かに所属し、分類されている。
読みながら、近しい人を傷つけてしまった過去や、人との距離感がうまく掴めず小中高と一緒だった親友からダメ出しを喰らったこととか、色々思い出してしまった。
反省を踏まえて今が真っ当な生き方をしているかは客観的には分からない。
これからも様々なことに巻き込まれるだろうし巻き込むだろうけど、それはもうそういうもんだし、その時自分が良いと思った通りに選択してくしかないなぁ。いつ新たな当事者になるか分からないから。 -
ヒトは何であれ、色やサイズの異なる当事者であり続けながら生きていくのだろうなぁ、と思った。カラフルな当事者道、モノトーンな当事者道、高峰がそびえ立つ当事者道、ちまちま可愛い当事者道、私のはどんなだろう?その人そのものよりも、その人の何かについての「当事者ぶり」を見る方が面白いかもしれない。いや、当事者でいることに気づいていない人、あるいは当事者になることを極力避ける人、そんな人たちも少なくないような気がする。著者の作り出す様々なスケールが、他者を見ることを面白くし、自分を見ることを少しだけ怖くする。
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