- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784909710130
作品紹介・あらすじ
なぜいま、岡本喜八なのか。
痛烈な戦争体験を抱え、フマジメな余計者として「カッコイイ戦争」に抗い続けた岡本喜八。
喜八は誰ととともに何と戦ったのか。
その遺伝子はどこに受け継がれているのか。
不穏さを増す近頃、「人と人の争い」を描き続けた岡本喜八の表現が再び光を放つ。
感想・レビュー・書評
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「戦争は悲劇だった。しかも喜劇でもあった。戦争映画もどっちかだ」痛烈な戦争体験を抱え、フマジメな余計者として「カッコイイ戦争」に抗い続けた岡本喜八。喜八は誰とともに何と戦ったのか。その遺伝子はどこに受け継がれているのか。不穏さを増す近頃、「人と人の争い」を描き続けた岡本喜八の表現が再び光を放つ。
「シン・ゴジラ」経由で、岡本喜八作品を観るようになった、と書きたいが、後期の二本を公開時に観ただけ。そのうちに。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
映画作家・岡本喜八の戦争映画を5つの角度から論じる。いろいろ教えてもらったが、第4章の野上元、第5章の塚田修一の議論以外は、情報が手際よく整理されただけ、という記述が続くのが残念。
文学にしても映画にしても、作品解説は「論」ではない。テクストとの出会い、驚き、躓き、格闘、対話、気づきと発見、相対化というダイナミックな思考の痕跡が感じられない議論には、どうも興味が湧かない。その点で、岡本の作をカール・シュミット的(?)友―敵関係が複数のレベルで反復・変奏されたものと捉えた第4章は、やや強引さを感じるものの、テクストと渡り合った格闘の痕跡を感じさせてくれる。第5章はもはや庵野秀明論だが、庵野が岡本の映画とどう批評的に対話したかをかいま見せてくれる。それ以外の章は注の文献情報が重要。