他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論 (NewsPicksパブリッシング)
- ニューズピックス (2019年10月4日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
- / ISBN・EAN: 9784910063010
作品紹介・あらすじ
忖度、対立、抑圧…あらゆる組織の問題において、「わかりあえないこと」は障害ではない。むしろすべての始まりである──。
ノウハウが通用しない問題を突破する、組織論とナラティヴ・アプローチの超実践的融合。
いま名だたる企業がこぞってメンタリングを熱望する気鋭の経営学者、待望のデビュー作!
現場で起きる「わかりあえなさ」から始まる諸問題は、ノウハウで一方的に解決できるものではありません。その「適応課題」と呼ばれる複雑で厄介な組織の問題をいかに解くか。それが本書でお伝えする「対話」です。
対話とはコミュニケーションの方法ではありません。論破するでもなく、忖度するでもなく、相手の「ナラティヴ」に入り込み、新しい関係性を構築すること。それこそが、立場や権限を問わず、新たな次元のリソースを掘り出して、組織を動かす現実的で効果的な方法なのです。
感想・レビュー・書評
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ビジネス本のようなつもりで手に取ったが、ビジネスにも活用できるけど、もう少し哲学的なアーティスティックな深みがある話で興味深かった。
堅苦しくなく、現実的な具体例も多く難しい話がよくわかる。
組織の中で、なぜお互いをわかりえないか。
それはそれぞれの立場のナラティヴが理解できていないから。
相手のことを「わからず屋」と思っている。
まずは、お互いにわかり合えていないことを認め、相手の状況(ナラティヴ)を観察して、解決策を見つけることが大事。
気にったフレーズ
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「技術的問題」既存の方法で解決できる問題のこと
「適応課題」既存の方法で一方的に解決ができない複雑で困難な問題のこと
「適応課題」を解く方法が「対話」で「新しい関係性を構築すること」
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マルティン・ブーバーの人間同士の関係性の2つの分類
「私とそれ」
向き合う相手を「道具」のように捉える
「私とあなた」
相手の存在が代わりが利かないものであり、相手が私であったかもしれないと思える関係。
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「適応課題」の4タイプ
「ギャップ型」
大切にしている「価値観」と実際の「行動」にギャップが生じる
「対立型」
互いの「コミットメント」が対立
例)営業、開発
「抑圧型」
「言いにくいことを言わない」
例)言ってしまうと損をするから言わない
「回避型」
痛みや恐れを伴う本質的な問題を回避するために、逃げたり別の行動にすりかえたり
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「ナラティヴ」とは物語、つまりその語りを生み出す「解釈の枠組み」のこと。
私たちがビジネスをする上では、「専門性」や「職業倫理」、「組織文化」などに基づいた解釈が典型的
その人たちが置かれている環境における「一般常識」
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「溝に橋を架ける」ための4つのプロセス
1.準備「溝に気づく」
相手と自分のナラティヴに溝(適応課題)があることに気づく
2.観察「溝の向こうを眺める」
相手の言動や状況を見聞きし、溝の位置や相手のナラティヴを探る
3.解釈「溝を渡り橋を設計する」
溝を飛び越えて、橋がかけられそうな場所は架け方を探る
4.介入「溝に橋を架ける」
実際に行動することで、橋(新しい関係性)を築く
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解釈のフェーズ
1.観察でわかってきたことを眺めて、そこから相手のナラティヴを自分なりに構成してみる
2.相手のナラティヴの中に立ってみて自分を眺めると、どう見えるかを知る
3.ナラティヴの溝に架橋できるポイントを、協力者などのリソースを交えて考える
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個人とは「個人と個人の環境」によって作られている
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1.準備:相手を問題のある存在ではなく、別ノナラティヴの中で意味のある存在として認める
2.観察:かかわる相手の背後にある課題が何かを考える
3.解釈:相手にとって意味のある取組は何かを考える
4.介入:相手の見えていない問題に取り組み、かゆいところに手が届く存在となる
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人が育つというのは、その人がかかわる仕事において主人公になること
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対話を阻む5つの罠
①気づくと迎合になっている
②相手への押しつけになっている
③相手となれ合いになる
④他の集団から孤立する
⑤結果が出ずに徒労感に支配される
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対話に挑むことを別な言い方をするならば、それは組織の中で「誇り高く生きること」
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様々な研究が指し示すように、私たちは応答する存在です。いかなる手を差し伸べられているのか、あるいは、差し伸べられていないのかによって、他者は異なる存在へと変わっていきます。だから、よりよい社会や組織を築いていくために、可能な範囲で是非とも他者を助けてほしいと思います。
私たちは、弱さや過ちを抱えて生きています。それだからこそ、私たちには対話を通じて、よりよい未来を切り開く希望があるはずです。私はそれを信じています。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
仕事にしろプライベートにしろ、何かしら周囲との関わりや繋がりがある中で生きており、できれば良い関係を築きたいと願っている。
ただ、「どうしたらうまく関係を築けるのか?」について深く考える機会は少ない(私もそうである)。正しく言うと、機会はあるのかもしれないが、自身の感情や思考などのバイアスがかかった状態で考えているため、本当の意味で他者との関わりについて考えることができていないのだと思う。
結局のところ、意識することはできても実践することの難しさはどこまでいっても付き纏う。なぜ実践することが難しいのかというと、少なからず自らの非や至らない部分を認識し受け入れる必要があるからではないか。逆に言うと、受け入れさえできれば、良い関係を築きながら他者と働くことに大きく近づくことができそう。 -
おもしろかった
問題は、2種類、技術的問題、適応課題
技術的問題は、属人的ではなく自力でとける
本書は、適応課題を解決するための書
適応課題:属人的、対話が必要 4つあり
対話=新しい関係性を築く で解決する
①ギャップ型、②対立型、③抑圧型、④回避型
私とそれ(人を道具としてみている)→
私とあなた(人としての固有の関係)へ
組織 人の集まりではなく、人と人との関係性の集まりとみる
ナラティブ:お互いがもっている、物語り、専門性、職業倫理、組織文化のようなもの
島としてえがかれていて、そこに橋かけるイメージ
準備:溝に気がつく
観察:相手のナラティブをさぐる
解釈:橋がかけられる場所をさがす
介入:橋をかける
で、あいてのナラティブを尊重して、信頼性を構築する -
以前職場の先輩から勧めていただいて、お借りした本。あまりに納得感があって、ついに自分用に購入しました。そして再読。うん、買ってよかった!
日常でも、仕事でも、人との「分かり合えなさ」って誰でも感じると思う。相手が言ってることは正しいんだろうけど「なんか違うんだよな〜〜」って感覚とか、違和感とか。
わたしは極力、何事も平和に円滑に進めたい。だから何か違和感感じても「それわかんないです」とかって波風立てるのも嫌で、面倒になるのは避けちゃいたい。
別にそれも悪いことじゃないし、自分のペースを守るためには必要なこと。だけれど殻を破らないと進歩はないし、組織もコミュニティも強くならないんだな、と再認識できました。
大事なのは自分と相手のナラティブに橋をかけるための対話。表では語られている言葉の背景には、語られていない別のことがある、と知ること。観察して、踏み込むこと。
これをいざ行動に起こすには、まだまだ難しくて勇気がいることだと思うけど、せめて一歩は踏み出したい。
1冊分丸ごと、ページめくるごとに私のために書かれた本なのでは?と刺さまくってました。まだまだ学ぶべきことがたくさん!ひゃー! -
「適応課題」と「ナラティヴ」、というテーマに期待して読み始めた。が、どうも目が滑る、大事なことは書かれているし共感もするが、入ってこない。読了してもモヤモヤする、しかし何にモヤモヤするのかわからなかった。ようやく言葉になった違和感、それは弱者に寄り添っている風な態度で書かれている点ではないか。全体に漂う、(おそらく無意識に)権力勾配を無いことにしている匂い。
そもそも溝は本当に溝なのか。簡単に溝と言ってしまう態度は違う気がする、とも感じたな…
先に違和感を書いてしまったが、大切なこともたくさん書かれている。
適応課題やナラティヴの概念を伝える導入の書としては取っつきやすい書籍だと思う。
ロナルド・ハイフェッツによる定義として"既存の方法で解決できる問題のことを「技術的問題」(technical problem)、既存の方法で一方的に解決ができない複雑で困難な問題のことを「適応課題」(adaptive challenge)"と引用されている。
当事者が適応を要する課題とも言えるため、まず状態を認識する必要がある。
組織開発で取り扱う課題はほぼ、この「適応課題」だと言える。組織では、それぞれの人が把握している状況、見えている世界は、いずれも正しくもあり、かつ一面的でもある。お互いの見えているものの共有から始めて、認識の一致/不一致を確認しながら全体像を把握し、対応を調整する必要がある。
一方、「ナラティヴ」(narrative)は「本人が語る本人の物語」と訳され、本書では、その語りを生み出す「解釈の枠組み」のことを指す。人の行動には必ず理由があるのだ。
本書の事例では、新規事業担当部署と既存事業部の対立構造や、上司部下の言い分が異なる状況などが挙げられている。それぞれのナラティヴに沿って行動していても、時に折り合いがつかないことがある、その状態を「溝」と表現。課題解決に向けてどのように「橋」を架けるか、実践のための対話の4プロセス(準備⇒観察⇒解釈⇒介入)を挙げている。
「溝」の存在を認識し、自分のナラティヴに則った正論だけでなく相手のナラティヴに耳を傾けることは、容易ではない。言いたいことを言えない抑圧された状況下では、お互いの物語を伝えることも難しい。
組織開発活動を支援している立場としては、まずは、お互いに「橋」を架けたいと思えるような関係性の土台をつくることが大切だと感じている。これが簡単ではない。
たとえ食い違う部分はあっても、目指す方向や思いは一つだと認識を共有し、実現したい未来に向けて溝に橋を架ける作業を共に行うこと、そのために対話のテーブルに着くこと。この土壌を耕すのが本当に難しいし、やりがいのあるところでもある。種や芽は、人や組織の中にもともとあると信じている。成長を阻害しているものに気づき、土壌を耕すかかわりをする必要がある。
感想の冒頭に挙げた権力勾配。「権力」にもいろいろあるが、パワーを持っている側とそうでない側、それぞれのナラティヴがあり、それぞれの理由で、どちらも対話のテーブルに着けずにいる現状がある。だれもが対話のために「降りていく」必要があるが、そこにあるパワーの影響は無視できない。
権力勾配がある現実の中でどうしたら対話のテーブルに着くことができるのか、その点を掘り下げてほしかった。 -
副題に「組織論」とあるが、経営学でいうような事業部制なのかファンクショナル組織なのかといった組織構造に関する組織論ではない。「組織とはそもそも「関係性」だ」という意味での組織構築のための実践、具体的には対話、について論じた本になっている。
著者によると、対話とは、「新しい関係性を構築すること」だという。新しい関係性はお互いの事実の解釈の枠組み=物語、つまりナラティブ(narrative)、の再認識と再構築の作業に他ならない。組織においては、既存の方法で一方的に解決ができない複雑で困難な課題が常に発生する。そのような問題は「適応課題」(adaptive challenge)と定義され、一般に四つの型 ー ギャップ型、対立型、抑圧型、回避型 ー に分類される。
著者の立場は、このような適応課題を解決するためには、ナラティブ・アプローチが必要であると説く。相手の発言の立場と背景=ナラティブを理解すること、つまり自分の中に相手を見出すこと、相手の中に自分を見出すこと、が必要である。そのためにまず、「お互いにわかり合えていないことを認めること」から始め、「互いに分かり合えていないということを受け入れた上で、「知識の実践」を行うしかない」という立場を取るのである。このことを端的に表現するのが副題の「「わかりあえなさ」から始める組織論」である。
ナラティブは相対的で、絶対的に正しいナラティブはない。それが前提だ。課題の解決は、お互いのナラティブの間に溝があることを認識し、その溝に橋を架けることができるかどうかにかかっている。本書では、そのためには次の4つのステップが必要だという。
①準備「溝に気づく」
②観察「溝の向こうを眺める」
③解釈「溝を渡り橋を設計する」
④介入「溝に橋を架ける」
まず、第一に溝があることに気づくことが重要になってくる。特にギャップ型や回避型の適応課題の場合にはまずそこに溝があることを正しく認識することから始めないといけない。溝を埋める作業は相互的だ。一方的に溝を埋めていくようなやり方は適応課題においてはうまく働かない。
社内でこういった溝がある事例として、インセンティブの異なる事業部間の溝と新しい提案を行う際の上司と部下の溝が紹介される。どちらも、実際の組織の中でよく見られる対立である。社内であるがゆえに、忖度や追従といった避けるべき罠が存在する。
異なる事業部間の溝は単純であるがわかりやすい例である。組織として何を重要だと考えているのか、つまりお互いの内部のナラティブの構造が異なっているのだ。双方のナラティブを理解した上で、上位の会社にとって何が重要かと考えるといったような対話を通して橋を架けていくのだ。そこに必要なのは謙虚さと熱意だ。そうした対話を通して、適応課題は技術的な課題になり、曖昧さから明晰さへの移行ができることになる。その先には、「会社の中には何かをやるためのリソースが実はたくさんある」ことがわかる。これが見えないのはナラティブの硬直化がその原因なのである。この辺りは、実態に沿って考えてみても十分に説得力がある。
上司と部下の間の溝の事例もまたよく見られる問題だ。これだという提案を上司に反対される場面は当たり前のように必ず出てくる。それを上司の無能による無理解や、リスク忌避の態度によるものと取り、それを批判することも多い。しかし、そこで「上司には判断できないだけの何かがあるはず」と認識することは、重要なことだ。上司のナラティブを理解し、自らのナラティブとの間の溝を見つけて、そこにいかに橋を架けるのかを考えるという次のアクションにつながるからだ。少なくとも単に周りに愚痴をぶちまけるよりは建設的な心構えだ。
ここで著者からの印象的な指摘は、立場が上の人間を悪者にしておきやすい「弱い立場ゆえの「正義のナラティブ」という罠に陥りやすいという指摘だ。これを罠というのは、ひとつはこういった場合に実際的な問題として「自分のナラティブに即した正論はほとんど役に立たない」からであり、もうひとつは絶対的に正しいナラティブはなく上司のナラティブを無視することで先に進むことが難しくなるからである。その場合、橋を架ける実践とは、こちらだけの正論ではなく「両者にとっての正論を作っていく作業」を行うのだ。
「大企業病なのは、実は提案を妥協した側も同じであり、そこに加担していることに気がつく必要がある」
自分の提案をよいものだと判断できなかったことを相手のせいにするのではなく、もう一歩踏み込んで自分のナラティブを脇に置いて、上司のナラティブに沿って考えてみることが必要なのである。どちらの立場に身を置いて考えてみても、身につまされる言葉である。
上記の多くの事例にもみられるように「総論賛成・各論反対」というのはどこの組織にいても遭遇する現実である。そこでは、ナラティブのぶつかり合いが起きていることがほとんどである。総論はナラティブとは競合しないが、各論で動くときに初めてナラティブに合わないところが明確化されるのである。
「中立な人間は原理的に考えてもこの世界には存在しません。誰もがそれぞれのナラティブを生きているという意味で偏った存在であり、それは自分もそうだということです」
ナラティブ・アプローチの肝は、相手をこちらの中に引き込むことや妥協させることを目的とするのではなく、何よりも自らの偏りを認めて、だからこそ対話を求めて実践する姿勢を促すことにその目的がある。もう少しくだけた形で言い換えると、そっちにも立場というものがあると思うけど、そらこっちも立場あるからな~、という状況をどうするのかという点において、戦略的な対話でWin-Winの形に止揚したアイデアに辿り着くために心構えとして便利な「ナラティブ」という概念が提示されているのである。
著者は、さらに人材育成について語る。ナラティブが人材育成にも直結するという思いがあるからだ。著者の人材育成についての考え方は、主に思い浮かぶ能力開発とは少しずれた視点を持っている。つまり、「人が育つというのは、その人が携わる仕事において主人公となること」だという。
著者は、仕事におけるナラティブを形成することが疎かになっているのではないか。人材開発=能力開発と考えるのでは足りない。部下のナラティブを仕事に沿ったものとし、上司を含む組織のナラティブに沿うための橋を架けるための対話としての面談であり、能力開発でなくてはならないのである。
ここで上司と部下の対話におけるひとつの問題点が指摘される。それは、権力の問題だ。
「権力を自覚せずに観察を試みることが観察を失敗させる」
上司には権力の自覚が必要。それは当たり前のことだけれども、無礼講や若手を集めて自由に思うところを聞きたいと言って出てくるものは、必ず関係性のフィルターを通してしか出てこないのである。
「迎合や忖度に留まっていれば、必ず何か「違和感」に気がつくはずです。その違和感、つまり新たな「ナラティブの溝」を定期的に眺めるのも悪くないでしょう」
著者は批判的経営研究という領域の研究者でもあり、本書のベースは社会構成主義という学派の考えに基づいています。社会構成主義というのは「現実は社会的に構成されている」というものであり、その社会の中身は会話である。著者は、「私たちは何を語るかによって、現実を本当に少しづつだけれど、変えていくことができるかもしれない」という思いから、対話によるナラティブ・アプローチをその実践として展開してきたという。
思うに、その内容は実際の会社生活においてよくある傾向が取り上げられており説得力があり、また非常に実践的である。しかし、実践的な内容であることと、実際にそういった行動ができることとは異なる。その理由は、問題には同じ問題はひとつとしてなく、人間関係も同じものはひとつもなく、だからこそ溝も橋も右から左に持ってこれるものではないからである。だからこそ対話の実践が必要なのである。もし課題があるならば、解決に至るまでの道は少なくとも地道に進むべき道なのかもしれない。自分が問題は認識しつつも実践できていないことであることも含めて勉強になる内容であった。 -
ちょうど職場でこのテーマについて考え込んでいたので、いろいろ救われました。筆者の人柄がにじみ出てくるような書きぶりもとてもよかったです。
他社との間で橋をかけるのは大事ですね。パワハラ気味の上司との距離感の取り方もわかりました。同時にナラティブを理解するのは忖度することとは違うので、そのさじ加減が難しいなと思います。 -
有名な数学ジョークに「スコットランドの羊」というのがあります。
「天文学者と物理学者と数学者がスコットランドで休暇を過ごしていた。列車の窓から眺めていると、平原の真ん中に黒い羊がいるのが見えた。
天文学者:なんてこった!スコットランドの羊はみんな真っ黒なんだね。
物理学者:違う違う。せいぜい何匹かが黒いだけさ。
数学者:(天を仰ぎながらやれやれという調子で、抑揚を付けて)スコットランドには、少なくとも1つの平原が存在し、そこに1匹の羊が居て、さらにこっち側の片面が黒いということが分かるだけさ
この話は同じ物事でも学問領域ごとに考え方が異なるという例えとして有名な話です。これは架空の話というわけではなく、実際に起こりうることで、社内で1つの課題をとっても、その人が何を学んできたか、休みの日はどういう趣味を楽しんでいるのか、どういうライフイベントがあったのか…によって捉える文脈が異なる…すべての人において異なるのです。これはその人だけの物語=ナラティブ(Narrative)となっています。
本書は相手のナラティブを理解することを「対話(dialogue)」と定義し、自分のナラティブを脇において相手のナラティブを理解することが重要だと説きます。それによって両者の納得するような新たな関係性(妥協案ではない)を構築できるといいます。
わたしははじめ、ある種当たり前なのではと思いましたが、「当たり前」の定式化、しくみ化は重要なので期待して読み進めていきました。前半の内容は非常に納得の内容ばかりでした。皆さんに読んでもらいたいと思いました。
一方後半はその具体的実践の話なのですが、結局のところ、対話とは裏工作なのかな?と思ってしまう事例がたくさんありました。また、その実践のためには対話した結果相手のナラティブを読み取ることが必須で、それには文脈を理解する持って生まれた能力が必要であるようにも感じます。精神のスペクトラムの中ではローコンテクスト=文脈依存性の低い人がいて、冗談が理解できない、書いてあることはそのまま受け取り行間はないものとして捉える人もいると思います。そういう人には不向きな実践法かなと思いました。組織の中には色々な人間があるので、全体で見れば、出来る人が橋渡しをして補完すればよいのかもしれません。そういう組織論なのか、個人のスキルアップなのか、具体的な経営論という意味では曖昧な所があると思いました。
とはいえ、前半の哲学は大いに納得し、広めていきたいと思えます。
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他者と分かり合えないときはそれぞれに都合があってそれを互いが気づけていないのが原因。ってことが繰り返し書かれている。
言わんとすることはその通りなんだけど、どうにも具体例に現実味が欠けている。
契約のチェックなんて一朝一夕にできるようになるものではないし(何のための法務なのだとなってしまう)、事前に直属の上司より上に掛け合っときましたなんてかなり柔軟な相手じゃないと関係性が悪くなって終わりで、それが通じる相手ならそもそもお互いのナラティブに固定されるようなことにはならないだろうと、細かいことが気になってしまってあんまり入り込めなかった。
仕事なんてと語るのはまだおこがましいかもしれないが、もっと汚くてドロドロしたやり口が必要なこともたくさんあるよね…とか思う。 -
本を手に取った当初は特にピンとこなかった本なのですが、
ダイアログ(対話)に興味を持つきっかけがあったので、読んでみた本。
良い意味で自分の期待を裏切ってくれて、とても学びの多い良い本でした。
正しいことを言っても通じないのは、自分と相手の文脈の違うからで、
その違いにかけ橋を架けていく作業が対話だとさ(自分なりの理解です)。
この本を読んで、改めて感じたのは、
自分も結構、自分勝手に自分の文脈において、
相手に自分の文脈に合わせるように強要しているかもしれないということ。
相手のことを思うが故にやっているケースも多々あり(そうで)、
そっちの方が事態は深刻です。
まぁ、そういったことに「気がつく」というのが、
第一歩だと思われるので、重要な一歩を踏み出せたとポジティブに考えて、
自分の行動・思考を再度見直していきたいと思います。
この本を読んで、思い出したのが、
「自分の小さな「箱」から脱出する方法」という名著。
おそらく、同じことを言っているような気がする(この「他社と働く」の方がややビジネス寄り)。
この本ももう一度読んでみて、理解を深めたいと思います。
※自分の小さな「箱」から脱出する方法
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