終わりと始まり

  • 未知谷
4.28
  • (32)
  • (20)
  • (12)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 489
感想 : 33
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (126ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784915841514

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 生誕100年!

    シンボルスカと良心、小商い|本屋の時間|辻山良雄 - 幻冬舎plus
    https://www.gentosha.jp/article/13031/

    ヴィスワヴァ・シンボルスカ (Wisława Szymborska) - Japoland
    https://onl.sc/4HGAE1Z

    ヴィスワヴァ・シンボルスカ 著『終わりと始まり』(未知谷 刊/ISBN4-915841-51-0)の内容詳細
    http://www.michitani.com/books/ISBN4-915841-51-0.html

  •  1996年にノーベル文学賞を受賞したポーランドの詩人の作品集。
     なぜか、この時代に目に留まり手にした幸いたるや。いや、この不幸な時代を憎まなければいけないのかもしれないけれど。

     巻末の解説で訳者でもある沼野先生は、こう記す;

    「中・東欧からロシアにかけては、いまだに詩という文学ジャンルが力を持って社会的に大きな役割を果たしている。世界的にみても珍しい地域であり、多くの優れた詩人を輩出している。」

     著者の祖国ポーランドは、否が応でも先の大戦のドイツによる蹂躙や、その後のソ連邦からの外圧など、大国の理論に振り回された歴史が思い出される。
     故に、か。今、ロシア・ウクライナ間での戦争のことと、本書に収められた作品を結び付けて読んでしまう。
     例えば、「現実が要求する」という作品には、

    この世には戦場のほかの場所はないのかもしれない

     という一文がある。また、「一連の出来事の一つの見かた」には、

    誰もが隣人のいない祖国を持ちたがった
    そして人生を生きぬくなら
    戦争と戦争のあいまにしたいと思った

     なんとも、これは今ならどこの国の人が強く思うことだろうと思いは千々に乱れる。
     そして、同詩の中には、

    わたしたちは死に同意した
    ただどんな形の死でもいいというわけではない

     とあり、本人の意思とは別の国家の思惑で戦地に送り込まれる人々の心情に思いを馳せる。 なんとも、今、この時代に味わうのに最適? あるいは最悪の?巡り合わせか。

     解説で沼野光義は、ヨシフ・ブロツキーの発言を引いて詩の存在、その意義を強調する。

    「芸術全般、特に文学、そしてとりわけ詩は人間に一対一で話しかけ、仲介者ぬきで人間と直接の関係を結びます。」

     先日読んだ松下育男の『詩の教室』( https://booklog.jp/users/yaj1102/archives/1/4783738262 )にも、こんな一文があった。

    「その人にとって特別な詩って簡単に人とは共有できない。すぐれた詩やきれいな詩、感動的な詩は、それなりに人と分かち合える。でも、この詩こそはという詩は、すぐれているとか感動的だとかいうのとはちょっと違うというか、もっと個人的なものなのかな。」

     詩は、個人個人に訴えてくる。だから、響く。
     本詩集の著者は、「可能性」という詩で、こう謳いあげる。

    数字の行列に並ばされたゼロよりも
    ばらばらなゼロのほうがいい

     つまり、何百、何千、何万という数字は、抽象概念化して意味を成さなくなる。それこそ、戦死者が何千人だ、国外逃亡者が何十万人だ、その占領地には何百万人の住民がいる・・・。こうしたメディアが伝える数を、誰が親身になって受け止めているのか、ということだ。

    「いまだに詩という文学ジャンルが力を持って社会的に大きな役割を果たしている」ことが、こうした時代や地政学的背景があってのことだとしたら、あまりにも悲しいことなのだけれども。

  • こんな光景を見ているとわたしはいつも
    大事なことは大事でないことより大事だなどとは
    信じられなくなる
    『題はなくてもいい』


    原因と結果を
    覆って茂る草むらに
    誰かが寝そべって
    穂を嚙みながら
    雲に見とれなければならない
    『終わりと始まり』

    わたしは解らない、と認識し続けること。それは逆に言い換えてみれば、わたしは考え続ける、ということ。恐らく、今、一番必要なこと。

    自分の力ではどうにもならない悲劇に見舞われた時、その衝撃のもたらす痺れから人は中々立ち上がることが出来ない。それは仕方のないことでもあるけれど、思考停止は往々にして更なる悲劇を引き込みかねない。痺れていたとしても考え続けることの大切さは、何も詩人にのみ課せられた責任ではないだろう。

    何かをしようとする多くの場合、始まりがあって終わりを予測し行動を起こすけれど、そしてその因果律的展開を頼っているけれど、本当は、終わりから遡って始まりを咀嚼することの方がはるかに大事。雲に見とれなければならない、と未来予想のように語られる風景が今の現実であることを、忘れてはならない。傍には、自らの身体から流れ出る血のつくる血溜まりがあることを忘れてはならない。起きてしまったことは変えられはしないけれど、考え続けることで未来は変えられる。

    詩とは究極のアフォリズム。
    詩人とは肩書きに縛られない哲学者。

  • ノーベル賞授賞のポーランド詩人。1993年。

    これは素晴らしい出会いでした。平明で美しい言葉を前にして、その新しい世界の見方に眼を瞪り、胸が高鳴り、溜め息をつき、いつか来るかもしれないその日を思って涙する。

    『熱源』を読んでいて、私たちの隣国のロシアと関わりの深い東欧世界の文学に触れてみたくなり、『世界は文学でできている』で紹介されていて気になっていた本作を手に取ってみました。

    解説より
    『大きな数』
    この地上には四○億の人々
    でもわたしの想像力はいままでと同じ
    大きな数がうまく扱えない
    あいかわらず個々のものに感激する

    ずきゅん。これはずきゅん。
    全体主義的な普遍性と戦い、個々の人間の個人性を重視するこの志向は、日本の読者にも、特にコロナ禍のいま、響くような気がする。

    シンボルスカ氏の詩も沼野氏の解説の文章も、好きです。

  • ポーランドの詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカ。
    1996年のノーベル文学賞受賞。
    今、まさに読むべき。

  • 久しぶりに詩集を読んだ

    もともと日本語向けに書かれたものではないからなのか
    久しぶりに詩を読んだからなのか
    詩を解釈することって難しいと改めて思った

    でもなんとなく雰囲気はわかる
    それでいいのかもしれない
    昔は詩が大好きだったのに
    いつのまにか 
    理解すること わかりやすいこと
    を大切にしすぎてしまってきた
    と体感した

    感じるだけでいいのかもしれない


    本編ではない最後に記されていた詩の方が
    今のわたしにはスッと入ってきた


    平凡な奇跡は
    平凡な奇跡がたくさん起こること
    ただ見回せばそこにある奇跡は
    世界がどこにでもあるということ

    なにごとも二度とは起こらない
    けっして
    だからこそ
    人は生まれることにも上達せず
    死ぬ経験を積むこともできない

  • ポーランド作家さんの詩集
    静かで易しい言葉の連なりが心地よく でも 深く凛として
    自然と毎日開いては 読み咀嚼
    その意図を じわじわと感じていたい

  • 優しく、それでいてとても厳しい詩集だった。

    シンボルスカははじめて読んだけど、
    あまり難解だとは感じずすんなり読めた。

    でも、読みやすいからと言って、内容がやさしいわけではない。
    言葉に込められた思想はとても深淵で、
    きっと一度読んだくらいでは理解できない。
    もしかしたら、僕程度では何度読んでも理解できないかもしれない。
    それだけ深いものを秘めているように感じた。

    また時間をおいて読みたいと思う。

    あとシンボルスカの他の詩集も気になってきたので、
    機会があったら読んでみよう。

  • 地上から鳥の眼で、更に浮上して山の眼で更に、地球を宇宙の眼で視た刹那
    一瞬にして地上の人間のという魂の眼
    で抉り取る。破壊を、愚かしさを、悲しみを、堪え忍ぶ事を、そして希望を
    …。
    明確な言葉は真っ直ぐ私の心臓を刺す。私はその尊厳性に頭を垂れずにはいられない。そして静かに視線を合わす。詩人が指す方向へ、現実へと。

  • (2009.03.05読了)
    1996年にノーベル文学賞を受賞したポーランドの女性詩人の詩集です。「ノーベル文学賞記念講演」も収録されています。
    2月に読んだ、野田正彰氏の本の中で紹介されていたので、読んでみました。
    素粒子の本と同様、詩の本というのもよくわからないのですが、わからなさを楽しんでいるのかもしれません。世の中に、分からないもの、理解しがたいものがあるというのは、いいことに違いありません。
    18篇の詩が収録されています。文字が大きくてページも少ないので、すぐ読めるのですが、すっと読むだけでは、何も残らないので、もう一度読みました。
    詩集というのは、手元に置いて、何度も味わいながら読むものかもしれません。

    いくつかの詩の冒頭部分を紹介しておきます。
    ●終わりと始まり(18頁)
    戦争が終わるたびに
    誰かが後片付けをしなければならない
    何といっても、ひとりでに物事が
    それなりに片づいてくれるわけではないのだから

    誰かが瓦礫を道端に
    押しやらなければならない
    死体をいっぱい積んだ
    荷車が通れるように
    (後略)
    ●空っぽなアパートの猫(43頁)
    死んでしまうなんて 猫に対してすることじゃない
    空っぽなアパートに残された
    猫は何を始めることになるだろう
    壁によじのぼり
    家具に体をこすりつける
    まるで何も変わっていないようだ
    でも変わっている
    まるで何も動かされてはいないようだ
    でも前より広々としている
    もう夜毎ランプが灯ることもない
    (後略)
    ●眺めとの別れ(47頁)
    またやって来たからといって
    春を恨んだりはしない
    例年のように自分の義務を
    果たしているからといって
    春を責めたりはしない

    わかっている わたしがいくら悲しくても
    そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと
    草の茎が揺れるとしても
    それは風に吹かれてのこと
    (後略)

    詩人 ヴィスワヴァ・シンボルスカ
    1923年、ポーランド西部のブニンに生まれた
    クラクフのヤギェウォ大学卒業
    1945年、詩人としてデビュー
    1985年、「橋の上の人々」出版
    1993年、「終わりと始まり」出版
    1996年、ノーベル文学賞受賞
    (2009年3月5日・記)

  • 4.26/350
    『個を超えた〈普遍〉には与せず、誰にでも分かる平明さで、静かに個として個に語りかける詩人。好きといっても/人はお世辞や水色も好きだし/――清々しい簡潔さで、日常の平凡な世界に価値を見出す最新詩集。ノーベル文学賞記念講演を併録。』(「未知谷」サイトより)

    目次
    空/題はなくてもいい/詩の好きな人もいる/終わりと始まり/憎しみ/現実が要求する/現実/決算のエレジー/空っぽなアパートの猫/眺めとの別れ/手品ショー/一目惚れ/一九七三年五月一六日/ひょっとしたらこれはすべて/どたばた喜劇/もらい物は何もない/様々な出来事の一つの解釈/なんという幸せ/ノーベル文学賞記念講演/解説 普遍のユートピアに抗して


    原書名:『Koniec i początek 』
    著者:ヴィスワヴァ・シンボルスカ (Wisława Szymborska)
    訳者:沼野 充義
    出版社 ‏: ‎未知谷
    単行本 : ‎126ページ

  • 詩集、それも外国語の詩集の日本語訳について、コメントすることは難しい。
    ポーランドのノーベル賞受賞詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカ の詩集。

    ノーベル賞受賞のスピーチ、そして翻訳者 沼野充義氏の解説まで合わせて読んで、詩人の気持ちに近づけたような気がする。

    本書を知るきっかけになったのは、池澤夏樹氏の「春を恨んだりはしない」というエッセイ。
    とても大切な人を亡くし、また、春が巡ってきても、その、明るく巡ってきた春を恨んだりはしない。
    それは、大切な人を亡くす経験を通り抜けた人だから、詠める言葉なのかもしれない。

  • 「ターンレフト、ターンライト」で、暗誦されていた詩。恋の歌が、やはり素敵でした。ノーベル文学賞受賞者です。

  • ノーベル文学賞を受賞したポーランドの女性詩人による詩集とノーベル賞受賞スピーチ、そして沼野光義先生による訳・解説。
    行間から立ち上がってくるザワザワとした感覚。何気ない言葉に潜む戦争批判。ずっしりと重い、でも今、まさに読まれるべき詩。

  • こころの奥底に響く。

  • 春を恨んだりはしない

  • 池澤夏樹著『春を恨んだりはしない』の中でタイトルの由来となった詩「眺めとの別れ」の一節が紹介されており、全文を読みたく手に取った。

    本書には、ポーランドの詩人であるシンボルスカの詩集『終わりと始まり』(1993)に収録された詩18編の全訳と1996年のノーベル文学賞記念講演が収められている。

    凛とした佇まいの詩集。柔らかく頑な。

  • 震災後、本のタイトルの詩が有名になってあらためて売れている本らしいのですが、個人的には『ひょっとしたらこれはすべて』が好きです。
    ノーベル文学賞受賞者の著。

  • ノーベル文学賞作品。
    悲観的過ぎず、楽観的過ぎず、現実をしっかり見据えた詩の数々。
    後半のノーベル賞受賞時インタビューにて、彼の仕事観に触れている。
    『現代のような騒々しい時代にあっては、自分の欠点を認める方がはるかに易しいものです、その欠点をうまく見栄えのするように人に見せさえすれば。』
    追記
    久しぶりに読んでみると、また違った面を発見できた。偏見やステレオタイプといった争いを生み出す種を完全に排除することに挑戦しているような感じ。「一連の出来事の一つの見方」がすき。

  • たぶん、いちばん好きな詩集。

  • ポーランドの詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカの詩集。"詩は別腹「終わりと始まり」: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる"(http://ow.ly/1IKqZ )に触発されて手にとる。確かに、戦争を扱った詩は数多あれど、その後片付けに着目した詩はあまりないかも。ずしりと読み応え。他の詩では、この一節が目にとまる。現実から逃げることはできないいくら逃げてもそれはついてくるそして、わたしたちの旅の道のりには現実が待ちかまえていないような駅はひとつもない(「現実」より)

  • 大事なことは大事でないことより大事だなどとは信じられなくなる

  • 柴崎友香『続きと始まり』でたびたび参照されていたので、気になって手に取った。

    始まりはすべて
    続きにすぎない
    そして出来事の書はいつも
    途中のページが開けられている(pp57-60「一目惚れ」)

    表題作とこの詩の一節からきっと物語をつくったのだろうなと思い返した。自分は何も知らない、という立ち位置に常に立って、日常を言葉にしていくような詩の作り方が身に染み入ってくる感じ。存在するどれひとつも「普通」であるものは存在しない。解説の「普通の言葉で書かれているのに、不思議なきらめきに満ちている――シンボルスカは、そんな詩を書く」という内容にとても共感する。この詩集があったからこその『続きと始まり』なんだろうなあと思えた。

    ====
    この木はポプラ、何十年も前に根を生やした
    この川はラバ川、流れはじめたのは今日や昨日のことではない
    茂みの中を通る小道が踏み固められてできたのは
    おとといのことではない
    風邪が雲を吹き散らすためには、その前に
    ここに雲を吹き寄せなければならなかった(pp.12-13「題はなくてもいい」)

    戦争が終わるたびに
    誰かが後片付けをしなければならない
    何といっても、ひとりでに物事が
    それなりに片づいてくれるわけではないのだから(p.18「終わりと始まり」)

    (ノーベル文学賞記念講演)
    彼らは「知っている」のです。彼らは知っているから、自分の知っていることだけで永遠に満ち足りてしまう。彼らはそれ以上、何にも興味を持ちません。興味を持ったりしたら、自分の論拠の力を弱めることにもなりかねないからです。そして、どんな知識も、自分のなかから新たな疑問を生みださなければ、すぐに死んだものになり、生命を保つのに好都合な温度を失ってしまいます。最近の、そして現代の歴史を見ればよくわかるように、極端な場合にはそういった知識は社会にとって致命的に危険なものにさえなり得るのです。
     だからこそ、「わたしは知らない」という、この小さな言葉をわたしはそれほど大事なものだと考えています。それは小さなものですが、強力な翼を持っています。そして、わたしたちの生を拡張し、わたしたち自身のなかに納まりきる領域いっぱいに広がるだけでなく、さらにはこのはかない地球を浮かべた、わたしたちの外の領域にまで広げてくれるのです。(p.98)

    詩人もまた、もしも本物の詩人であればの話ですが、絶えず自分に対して「わたしは知らない」と繰り返していかなければなりません。一つ一つの作品でそれにこたえようと試みるのですが、終止符を打ったとたんにためらいの感情に襲われ、これはその場しのぎの答でまったく不十分なものだ、ということをすぐに悟り始めるのだす。そこで詩人はもう一度、さらにもう一度、と試みを続けます。そして、詩人が自分に不満だったことを示すこれら一連の証拠を、後に文学史家は「著作」と呼ぶようになるのです。(p.99)

    「驚くべき」という特徴づけには、論理上の罠がひそんでいます。結局のところ、わたしたちを驚かすのは、すでに知られていて一般に認められている規範から逸脱するものです。人が慣れ親しんでいる、ある種の明白さから逸脱するものです。ところが問題は、まさにそういった明白な世界など、じつはまるっきり存在していないということではありませんか。つまりわたしたちの驚きはそれ自体としてあるものであって、何かとの比較から生じてくるわけではない。
    なるほど、一つ一つの単語についてじっくりと考えたりしない日常的な話し言葉では、誰でも「普通の世界」とか、「普通の生活」、「ものごとの普通の流れ」といった言い方をします。しかし、一語一語の重みが量られる詩の言葉では、もはや平凡なもの、普通の物など何もありません。どんな石だって、その上に浮かぶどんな雲だって。どんな昼であっても、その後に来るどんな夜であっても。そして、とりわけ、この世界の中に存在するということ、誰の物でもないその存在も。そのどれ一つを取っても、普通ではないのです。
    どうやら、これから先も詩人たちにはいつも、たくさん仕事があるようです。(pp.102-103)


  • 題はなくてもいい
    p15
    こんな光景を見ているとわたしはいつも
    大事なことは大事でないことより大事などとは
    信じられなくなる

    一目惚れ
    p57
    突然の感情によって結ばれたと
    二人とも信じ込んでいる
    そう確信できることは美しい
    でも確信できないことはもっと美しい

    一連の出来事の一つの見方
    p80
    望みもしないのに押しつけられた遺伝と
    分泌や排泄の暴虐に
    ぞっとさせられた

    p82
    誰もが隣人のいない祖国を持ちたがった
    そして人生を生きぬくなら
    戦争と戦争のあいまにしたいと思った

    解説
    p123
    詩を書かない滑稽さよりは
    詩を書く滑稽さのほうがいい


    97年刊行。
    『瞬間』ではまって読みました。
    邦訳が少ないのであと2冊しかないので噛みしめるように味わいました。
    個から個へ。解説にもあったようにシンボルスカの詩には親しみがあり、かつ語り部の多彩さから文学的な趣きすら個人的には感じています。

  • 簡潔な「わたし」の言葉で、ユーモアと皮肉と機智を込めて詩を語ったポーランドの詩人シンボルスカ。本書には彼女がノーベル文学賞を受賞した際の記念講演が収録されています。
    ユーモアを交えて詩人とは何かを語る、この部分から読み始めるのがおススメです。
    インスピレーションは不断の「わたしは知らない」から生まれてくる、と語る彼女の詩は小難しいものではなく、別の視点や考えを与えてくれるひらめきに満ちています。

全33件中 1 - 30件を表示

ヴィスワヴァ・シンボルスカの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
村上 春樹
村上 春樹
伊坂 幸太郎
有川 浩
高野 和明
湊 かなえ
村上 春樹
夏川 草介
川上 未映子
リチャード・ドー...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×