うつを文学的に解きほぐす: 鬱は知性の影

著者 :
  • 青萠堂
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784921192525

作品紹介・あらすじ

妻・曽野綾子に訪れた"ウツ"の危機。私たちはウツをどう乗り越えたか!北杜夫、遠藤周作のウツを語り、渡辺淳一、阿川弘之から島崎藤村、伊藤整まで多彩な作家を見つめ、解きほぐした異色の書き下ろし。

感想・レビュー・書評

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  • 三浦朱門 著「うつを文学的に解きほぐす ー鬱は知性の影ー 」2008.6発行です。鬱云々を著者特有のユーモアを織り交ぜて説く面白さもありますが、むしろ鬱にかこつけた交遊録(北杜夫、遠藤周作、阿川弘之、渡辺淳一、加賀乙彦氏など)そして5歳半下の夫人曽野綾子さんとの暮らしが垣間見れて楽しいです。また、自伝的な色彩も少し帯びてると思います。
     働いている者にとっては職場が、働いていない者にとっては家庭が、ストレス発生の場になる。「こんな自分じゃない」が始まり。ストレス発散が上手にできるといいですね。三浦朱門「うつを文学的に解きほぐす」、鬱は知性の影、2008.6発行。

  • 文学的にうつを見ていくと、多くの作家がうつを患っていたことが分かった。別の側面から、文学を読み解くと、面白くなかった文学でも面白くなるももだと思った。

  • 2回め。前回読んでいたのをぜんぜん覚えてない。

    病気未満、いつもとはちょっとちがう、といううつ状態を病院にいくまでもなく自然になおす、という視点で書かれています。たしかに、夏目漱石などうつだろうな・・・、と思われる人たちも書くことで脱出したひとたちはいっぱいいそう鬱は風邪じゃなくて知性の影らしい

  • 文学なんかうつ病じゃなきゃ、構成できないし、作れない。

  • 著者:三浦朱門 青萌堂 2008年6月16日 初版刊 1470円
    サブタイトル:鬱は知性の影

    本作も、新聞の広告を見て、中身も見ずに某Amazonの古書で
    見つけたのをよいことに、購入してしまった一冊。

    著者(三浦朱門)の妻である曽野綾子氏も鬱であったことを前面に
    押し出したその広告に、では彼女はどのように鬱を克服したのか?
    周囲にいるものとして、著者はどのようにサポートしてきたのか?
    という点に関心を持っての購入である。

    実は、三浦氏の本を手に取るのは、これが初めて。
    #だったよなぁ。確か。

    奥さんである、曽野綾子氏も、「誰のために愛するか」位しか
    読んだことが無いんだけどね。

    まあそれはともかくとして。
    一読した感想をば。

    まず、文は比較的読みやすい。
    それほどつっかかるところも無く(たまに、論旨がうまく
    繋がらないところも合って、ん?口述筆記の校正漏れ?
    とも思えるような箇所があったけれど)、全体を読み通す
    ことが出来た。

    内容的には…。
    なんといったらいいんだろう?

    ミクロ的には、妻 曽野綾子に始まって、北杜夫、渡辺淳一、
    阿川弘之、遠藤周作といった文壇人が数々登場し、彼らと
    鬱病との関わりを三浦氏の視線で”解きほぐして”くれる。

    特に、遠藤周作氏については圧巻で、狐狸庵先生と称されて
    明るいイメージしか無かった氏が、実は深い心の闇を抱えて
    いたことが紹介される。

    それが単なる暴露趣味ではなく、それらを通じて宗教論や
    日本人の人生観と、話の翼をマクロに広げられていく。

    が、しかし…。
    身近な人々を扱ったマクロな目線と、日本人観まで手を広げた
    ミクロな目線とが、どうもうまくかみ合わない。

    結局、思いついたことを色々と書き散らかしているような、
    まるでキマイラのような、そんな本になってしまっている、
    と思うのは、僕の読解力の無さがもたらした所感だろうか?

    それぞれの主張には、それなりに首肯できる部分も有るだけに、
    勿体無いなあと感じた一冊であった。

    この本の中で、二つほど大きく僕の心に引っかかった話がある。

    まず一つは、日本人観について。
    昭和から平成一ケタ台までの、経済、政治、社会を含めた
    護送船団方式は、個々の能力がきちんと所得に反映されない
    =社会に評価されないといった不平不満は有りつつも、概ね
    日本人のメンタリティに合った社会的システムだった。

    成果主義、功利主義が蔓延するに従い、そうした部分が削り
    取られていき、後に残ったのはギスギス油切れを起こした
    ような人間関係のみである。

    これでは、鬱病にかからない人の方がおかしい、とするもの。


    もう一つは、昨今の社会や環境情勢から、人類として将来的に
    希望を見出すことは難しい状況に我々は立っていると言わざる
    を得ない。その救いの無さ故、今の時代の鬱には救いが無い、
    とするもの。


    どちらも、考えさせられるものはあり、かつどちらかと
    言えばペシミスティックな僕の目線にシンクロする
    ところもあるのだが、とはいえ、そう言い切ることが
    本当に是なのか?という疑問も残る。

    そんな時代だからこそ、最後に残った”希望”を探して、
    パンドラの箱の中を探し求める行為を、文筆業である
    作家はしないとならないのではないのか?

    もし本当に、そうした悲観論だけしか見出せないとする
    ならば、こんな片手間の書き方ではなく、もっときちんと
    正面から向き合った作品にしなければならないだろう。

    これなら、その辺のブロガーが、今日は昼に食べた食事、
    明日は日本経済の行方と、手当たり次第に日記を書いて
    いるのと変わらないではないか。

    #そのブロガーって誰だ!? あ、僕もその一人か(笑)。

    そう考えたとき、本書の構成の甘さに、ただ勿体無さを
    感じてしまうのである。

    (この稿、了)


    付記
    一つ、本書で紹介されたエピソードで、とても印象に
    残ったものを紹介しよう。

    明治になり、キリスト教の布教が解禁された後に、
    日本にやってきた宣教師。
    その宣教師のところに、みすぼらしい身なりの農民が
    やってきて、しきりに手振り身振りで話しかける。

    よくよく聞いてみると、彼らはキリスト教徒だった。

    江戸時代の、あの弾圧を耐え抜いて、200年間も
    信仰を守り続けた人々がいた…。

    話の出展も無いし、どこまで事実なのかは判らない。
    が、そうした事実があったならば。
    人間の意志の強さとは、時をも克服できるものだ、
    ということを顕すに足る、十分なエピソードだと、
    思う。

  • ちょっと疑っていたのですが、私はうつではないということがわかったような気がします。でもさ。才女の曽野綾子さんが病むのだから心を病むと言うことは致し方ないということですね。うん。身につまされる要素もないではないけど文章の軽妙さでさらりと読めます。

  • 才女誉高き著者夫人の曽野綾子女史も若き日にうつに陥ったことがあると話題を提供し、朋友である北杜夫氏や阿川弘之氏を俎上に載せる。とくにキリスト教文学者である遠藤周作氏への私論は興味深い。要はうつに陥らないようにするには何事もバランスをとることだと、時代と社会の中で「うつ」を文学的に論じる手わざは、まるで落語家がお題を頂戴して話しを展開するように洒脱、ほんと”芸人”というかプロの仕事だ。この現代社会で「うつ」に陥った人々は救いがたいだろう、これからも「うつ」は増加するのではの、悲観論に”やっぱりね”と同感する以外なし。

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著者プロフィール

三浦 朱門(みうらしゅもん)
1936年東京生まれ。教職に就くとともに作家活動に入る。1985年4月から翌年8月まで
文化庁長官を務める。99年には産経正論大賞を受賞。同年、文化功労者となり、日本文藝家協会理事長、日本芸術院院長を歴任する。著者に「箱庭」(講談社文芸文庫)、「夫婦口論」(曽野綾子共著・扶桑社)、「不老の精神―魂は衰えない」(青萌堂)、「朱に交われば・・・私の青春交遊録」(マガジンハウス)、「日本の活路―気鋭対論」(渡辺利夫共著・海竜社)など多数。2017年2月没。

「2020年 『新装版 老年の品格』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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