聖書とは愚かな人々の記録である: 神から与えられた37の知恵の言葉

著者 :
  • 青萠堂
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  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784921192662

作品紹介・あらすじ

「聖書」は、説教集ではない。神々しい人々のお話というより、どこにでもいるちょっと愚かしい人々が登場する物語である。そういう人々にこそ神は、愛を持って接している。だから聖書の言葉は、いつ読んでも色あせることがない。

感想・レビュー・書評

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  • ・与えることは得ることとである
    ・日本人のもう一つ別の不幸 日本が物質的に豊かさを持ち続けていけばいくほど、本当は見捨てられ、不必要とされ、ほっておかれる人が増えていくでしょう。日本は私たちの魂を、ごく普通のまともな人間のものとして保つ上で、かなりむずかしい国になってしまいました。

  •  作家の曽野綾子氏は、無名碑等の小説のほか、敬虔なクリスチャン(カソリック)として、聖書に関する一般向けの啓蒙書をいくつか出版しており、中でも筆者が特に好きな聖書の言葉、それに関する筆者のエッセイを再録したのが本書である。

     私はクリスチャンではないが、曽野氏の一連の著作を通して、(新約)聖書にほんの少しだけ親しんでいる。一般に聖書の解釈は難しく、勉強が大変であるとされているが、曽野氏によれば、特には自己流に解釈し、自分勝手に内容を咀嚼するのも価値があるという。私は、とあるシスターに対して「聖書の勉強は難しいですね」と訊ねたことがあるが、「聖書は勉強するものではありません。繰り返し読み返して心で感じるものです」との答えであった。元々、聖書は、立派な人徳やすぐれた知識、教養を身につけた聖人君子を啓蒙するために著されたのでなく、あくまでも凡人向けに書かれたものであるから、おそらくそれで十分なのだろう。

     例えば、純粋まっすぐ君を戒める一節はこうである。勝手に解釈すると、適当な加減が大事ということだろうか。

     この空しい人生の日々に
     わたしはすべてを見極めた
     善人がその善のゆえに滅びることもあり
     悪人がその悪のゆえに長らえることもある
     善人すぎるな、賢すぎるな
     どうして滅びてよかろう

     未曾有の不景気をはじめ、不安定な世の中であるからこそ、心の支えや救いを求める人が多いのだと思う。(私のような)人付き合いが苦手な人、(私のような)仕事に疲れた人、(私のような)将来に漠然と不安を感じる人にオススメの本である。

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著者プロフィール

1931年東京生まれ。聖心女子大学卒。93年恩賜賞・日本芸術院賞受賞。2003年文化功労者に。2012年菊池寛賞受賞。著書に『人生の収穫』『「群れない」生き方』『人間の道理』『老いの道楽』等多数。

「2022年 『未完の美学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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