哲学者は午後五時に外出する (NATSUME哲学の学校)

制作 : Fr´ed´eric Pag`es  加賀野井 秀一 
  • 夏目書房 (2000年10月発売)
3.00
  • (0)
  • (3)
  • (2)
  • (1)
  • (1)
  • 本棚登録 :19
  • レビュー :3
  • Amazon.co.jp ・本 (277ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784931391567

哲学者は午後五時に外出する (NATSUME哲学の学校)の感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • 「哲学は、注釈に注釈を重ねるだけのものではないし、聖なるテクストを反芻するだけのものでもない。それはまた、生活の仕方そのものなのだ」そう、哲学者は思想のみで生きるに非ず。彼/彼女らもまた人の子であり、他者と違った考えに至るちょっと変わった日々が積み重なっているものである。時に微笑ましく、時に最低なエピソードに慄きながらも、過度に煽り立てない著者の語り口はあほらしく、かつあたたかい。哲学書ならぬてつがくしょとでも呼ぶべきユーモアに溢れた本書は人生の悲喜こもごもをてつがくてきに笑いとばしてくれる、気がする

  • 哲学者も我々と同じ人間である…自己保身に走ったり、ムラっとしてしまったり。
    この本はそんな哲学者のゴシップ記事を集めた書です。カントが始終己の健康だけに興味感心を持っていた事や、ライプニッツの称えられるべき処世術(もちろん皮肉的な意味で)、サルトルの女性遍歴やソクラテスの最期の本当の意味…理想として、神話化されていた哲学の世界に土足で踏み込んでいきます。野次馬精神豊かな自分には楽しい一作。
    しかし、さりげなく挟まれる現代哲学への痛切な批判が一番の醍醐味ではないでしょうか。瞑想…これつまり旅をすること。図書館に閉じこもり、原典で武装し、引用もて攻撃し、解説書だけを読んでいく現代哲学。遍歴し、弟子を持ち、ダイモーンの声を聞き、海賊への恐怖に怯えながら船を出す。冷血な白電球で照らされる哲学と、揺れる蝋燭に照らされる哲学。
    どちらが真の姿なのか、考える必要がありそうです。

  • 面白いー。楽屋ネタやゴシップを開陳しながら、そこから一応哲学ってなあに? みたいな話を著者流にちゃんとしている本で愉しい。


    「原稿をいい加減に作成することによってサルトルは、かつての先生方から習ったとおりの哲学/文学間の分裂を再現し、たとえばディドロ、ヴァレリー、シオランなどの運悪く文体がアカデミックでない哲学者たちの本が、すべて文学の棚に追いやられる原因をつくってしまったのである」

    エピクロスの有名な「テトラパルマコン」、すなわち不安に対する「四つの治療薬」、この薬となる言葉は声高に謳われた。

    神を恐れてはならない
    死を恐れてはならない
    快楽は誰にでも手がとどき
    苦痛は我慢することができる

    この四行には、ギリシア人の耳にとって聞き取りやすいリズムがあったのに違いない。朗唱する弟子たちは、目を閉じたり、頭や上半身を軽くゆすったりしていたのだろう。まさに大人のための童謡のようなものだった。冷ややかな教え方をしていたら、生徒たちにエピクロス主義の何たるかが伝わるはずはないのである。


    「哲学者は「著者」になりたがり、「著者」コンプレックスを抱く。これは現代病である。世間的な認知は「本」を通じてやってくるのだから、「作品」を残さなくてはならない。気を散らしてはならず、地歩を確立し、真剣かつ深刻で、技術的にふるまい、大衆を威嚇する批評家たちを威嚇しなくてはならない。このようにして、短距離の、毒舌の、アフォリズムの、奇襲作戦の専門家が、耐久レースやドロップハンマーのようなものを夢見るのである。ニーチェは「ツァラトゥストラはかく語りき」について、「今回こそ、私は大々的な手段で撃って出る」と言っていた。しかし、この寓意的で大袈裟な長距離砲は、もちろん彼の最高傑作ではない」

    「イェニー・マルクスによれば、彼女の夫は意図的に「膨大な歴史的資料をつけ加えることにした。……なぜなら、ドイツ人は分厚い本しか信じないから」なのだそうである」

全3件中 1 - 3件を表示

哲学者は午後五時に外出する (NATSUME哲学の学校)はこんな本です

ツイートする