道徳の厚みと広がり―われわれはどこまで他者の声を聴き取ることができるか

制作 : 芦川 晋  大川 正彦 
  • 風行社
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  • Amazon.co.jp ・本 (233ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784938662332

感想・レビュー・書評

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  • 道徳の言葉にはミニマルな意味とマキシマルな意味がある。p19

    わたしたちは、道徳の言葉にたいして、標準的には濃厚な(thick)語りと広く薄い(thin)語りを与えることができるのであり、この二つの語りはそれぞれ異なるコンテクストにふさわしく、異なる目的に役だつ。p20

    ミニマリストの意味は、マキシマル道徳に埋め込まれており、同じ言葉遣いで表現され、同じ(歴史的/ 文化的/ 宗教的/ 政治的)指向性を共有している。p20

    道徳ははじめから濃厚なものなのであり、文化的に統合されており、十分に人びとに響き届く力がある。道徳言語が広く薄いものとして顕れてくるのは、特定の目的のために振りむけられる特別な場合にかぎられるのである。p23

    道徳の話法では、広く薄いということと強烈さが手を携えており、濃厚さは留保や妥協、複雑さ、不合意とともにある。p25

    ミニマリズムは、そとつどいくらくり返しても個別主義者のものであり、地域と結びついた意義をもち、具体的な時間と場所のどこそこで生み出されたマキシマルな道徳と密接に結びついている。p28

    ミニマルな道徳はほんとうに広く薄いので、わたしたちが自分たちの濃厚な道徳のなかへ戻っていくことまでも正当化してくれるのである。p34

    ミニマリズムは、説得の産物というよりは、十分に異なる道徳文化を発達させた指導者どうしの相互承認の産物である。この産物は、異なる時代と場所で繰り返し確認されている原理や規則からなり、それらは異なる言葉遣いで表現され、異なる歴史や異なる世界像を反映するとしても、似かよったものであると見なされている。p43

    ミニマムはマキシマムの土台ではなく、マキシマム断片にすぎないのである。ミニマリズムの価値は、価値そのものが促進する遭遇にあり、その価値はまたこうした遭遇の産物でもある。p46

    分配的正義はマキシマリストの道徳である。p47

    わたしたちがここで手にしているのは、マキシマリストの道徳であり生と死、人間の文化をめぐる濃厚な理解である。あきらかに、こうしたものには敬意を表するべきである。p62

    正義は差異の擁護をー異なる善は、人びとの異なる集団のなかで、異なる理由から、分配されるようー要請する。そして、この要請こそが、個々の文化や社会それぞれの現にある濃厚さを反映して、正義を濃厚な、あるいはマキシマリストの道徳観念にするのである。p67

    「知性ある人は選ばざるをえない。ライフの完成か、それともワークの完成か」(アイルランドの詩人、ウィリアム・バトラー・イェイツ)p74

    マキシマリズムは、人びとが作り、価値を与え、自分たちのあいだで分配する事物を記述し、人びとが育成し、分配の過程で、たいていは失敗するのだが、尊重しようとしている個人的な資質を記述する。それに比べると、ミニマリズムは単純化した単一の目標をそなえた道徳である。ミニマリズムがはたらくときに携えている、社会や自己についての単元的で未分化な理解は、現実の練り上げられた理解から抽き出されたものである。p77

    わたしたちがミニマリズムをもとにして社会的な意味の範囲や分配の複合性の個別の形式に近づくわけではない。わたしたちが分配の執行者として、細部にわけいった批判者として公正に対処できるのは、マキシマリストの道徳の内側からだけなのである。p77

    西側で標準的にマキシマリストの道徳と考えられているもの、リベラリズム、民主主義、「ブルジョア市民権」⇔ミニマリスト、共産主義的 p88

    広くて薄い普遍主義と濃くて厚い個別主義 p94

    【「中国における民主主義」】p108
    こうした地域特有の特権という考えは、国際的な領域における道徳のミニマリズムとして考えたいものから帰結するように思われる。同意の原理ではなにはともあれこの道徳のミニマリズムが求められる。すなわち、中国の民主主義は中国の歴史と文化から中国人自身によって定義されるべきである、と。

    <第四章 正義と部族主義(トライバリズム)ー国際政治におけるミニマルな道徳> p111

    「民衆(ピープル)」に政治生活を営むようにさせれば、彼(女)らは、部族の等級や地位にしたがって行進し、自分たちじしんの言語、歴史的な記憶、慣習、信念、コミットメントーつまり自分たちじしんの道徳のマキシマリズムをたずさえながら登場するようになるだろう。p116

    国際政治における道徳のミニマリズムの表現と考えることができるような、一般原理なら存在する。その原理とは「自己決定(セルフ・ディターミネイション)」である。p120

    寛容は、宗教の営みの幅広い多様性を保護する空間を創造することで、恐怖の問題を解決したのである。p135

    なんらかの新しい結合(ユニオン)ー連邦(フェデレーション)であれ同盟(コンフェデレーション)であれーを目標とするならば、そこにたどりつく最善の方法は、強制を排し、まず部族に分離を許容し、それから、たとえ部分的なものであっても、自発的かつ漸進的に一つの利害共同体へ編入するよう交渉するのを認めることである。こんにちのヨーロッパ共同体はその説得力ある実例であり、ほかの民族も自分たちのペースでそれに加わっていくであろう。p135

    異なるマキシマルな道徳にそれぞれふさわしい場所が認められなければならない。分離・離脱、境界線の変更、連邦化、地域的な自治あるいは機能的な自治、文化多元主義。「それぞれの場所」のためにたくさんのデザインがあり、たくさんの政治的な可能性があるのであって、あれやこれやの場合にその一つを選択しても、それが必然的にほかのすべての場合と同じ選択になると考える理由はない。p139

    差異の経験は、それは平和的なものであるなら、一個の主体の力を増加させ、主体は単一の選択肢に閉じこめられることなく多様な選択肢を巧妙にさばいて行動していく。p141

    ヒトという種の決定的な共通点は個別主義である。すなわち、わたしたちは、そのだれものが、わたしたち自身のものである濃くて厚い文化に加わっている。帝国の支配や全体主義の支配が終結して、やっとわたしたちはこうした共通点を認識し、それが要請する困難な交渉を始めることができるのである。p143

    分割された自己同士をもっともうまく調整するのは、国内社会では複合的平等であり、国内社会と国際社会では異なる型の自己決定である。p176

    ノーマルな状態にあってすら、わたしたちはさまざまな声を聞き、さまざまな役割を演じ、異なるやりかたで自分自身に同一化している。だから、わたしがめざさなければならないのは、こうした分割した自己に居場所のある社会なのである。p178

    オットー・バウアー「民族とは、運命共同体によって性格共同体に結びつけられた人間の総体である」『民族問題と社会民主主義』122頁 p186

    【メモ】
    プラハの大通りや天安門広場でプラカードを掲げて行進する人びとと共振する心(「広くて薄い道徳」)と、特定の文化の内側でこそ共振し合える心(「濃厚な道徳」)。真の連帯とは? 文化の多様性とは?

    <ダイアグラム>
    マキシマリズム≒濃厚な道徳、個別主義(どこか特定の(つまり個別の)場所に住む特定の普通人の生活習慣の一部)
    ex. 日本憲法、平和主義
    Cf. 分配的正義の領分、市民社会、コミットメント

    ミニマリズム≒広く薄い道徳、普遍主義(いつでも、どこでも、誰に対しても通用するような)
    ⇒どうすべきか一目見て分かるようなたぐいの道徳 ex. 殺人、欺き、拷問、抑圧、暴政
    Cf. 抽象的な個人として現れはしても、具体的な個人として現れはしない。

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