彼女は長い間猫に話しかけた

  • マドラ出版 (2005年5月1日発売)
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本 ・本 / ISBN・EAN: 9784944079353

感想・レビュー・書評

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  • トヨザキ書評集から。特に表題作が素晴らしかった。臨終における心理描写に関しては、ホント、姿勢を正されるものがありました。それ以上に洗練された文章が見事で、リズムのよさも含めて、かなり心地よく読み進められる。ふとしたしゃれっ気も効いていて、クスッとなる場面もちらほら。他の短編も総じて素晴らしかったです。

  • ああ、なんかよくわからないけど小説って感じだなあ、という感じ。

  • 最後まで読めなかった人間が感想を述べるのはタブーだと思うが、
    最後まで読めなかったというのもまたひとつの指標になるかもしれないので。

    …文章、とくに人物描写が苦痛で、挫折しました。

  • 物語を楽しむというよりは、言葉を楽しむための本だと感じました。
    表題作『彼女は長い間猫に話しかけた』は途中までそのことに思い当らず退屈に思いながら読んでいたのですが、言葉を受け止める楽しさを見出した途端に心地よく読み進められるようになりました。
    4編収録の短編集ですが、『言い忘れたこと』がお気に入り。
    川崎徹さんの物の捉え方にただただ感服です。

  • よくわからない・・・と思いながら読み進むも、
    気づけば夢中になっていた。

    よくわからなさが、良い。

    病んでる人が書いてるのかと思った。

    クセになりそうな感じ。

  • 「彼女は長い間猫に話しかけた」はあまりピンとこなかったが、他3作はおもしろい。
    白線のはじまりではなく終わりを目指してひたすら歩く「言い忘れたこと」は言うまでもなく。

    バケツとそれを蹴る男と、バケツの所有者の三角関係を描いた「水を汲みに行く」。ムテイコウシュギとはなんぞや。バケツの視点に入り込むことによって、浮浪者のことが好きなバケツ、そのバケツでもって浮浪者を殴りまくる男、ムテイコウシュギの浮浪者という奇妙奇天烈な関係ができあがってしまった。さらに奇天烈なのは三者の間にははげしい感情というものはなく、「なんとなく」でありながら妙な連帯感というか調和が見られるという、思わず「むむむ…」と唸ってしまうような作品である。

    「水族館」では砂のなかに隠れた魚の、その唯一の手がかりとなる砂から飛び出た目玉に注目。客観であったものが、主観に。入り込む。魚の目玉がウダツのあがらない自分を見ている。
    これ、これ。
    作品そのものより、作者がどのようなことを考えながら書いているのか想像をふくらますのが楽しい感じでもある。

  • 川崎徹は対峙する。対峙、というと半眼であらゆる邪念を退け悟りを開くために何に正対しているのかも解らなくなるほどに無に対峙する禅のイメージがつきまとうのだが、川崎徹の対峙は座禅とは正反対の対峙である。しかし、対象物の前でじっと動かずに佇む川崎徹の様は、禅僧のようであるかも知れない。

    対峙しながら川崎徹は対象物について思考する。対象物に触れるでもなく、対象物がもっている守備域に踏み込むこともない。しばし沈考したのち何に働きかけることなく立ち去る。時は経ったものの何も変化はない。しかしそこには濃密な思考の時間が流れていた。その濃密な思考が座禅とは正反対という所以である。

    それを妄想と呼んでしまうこともできるけれど、その過程が言葉に置き直された瞬間に、むしろ哲学的な響きをまとう思考だともいえる。一つの思考をどこまでも辿ってゆく様からは、ひょっとすると川崎徹が辿る行程は、禅僧の追及する無の世界に通じる道筋なのかもしれないという気にさえなる。邪念を払うには、ひょっとすると何も考えられなくなるまでに思考を押し進める過程が必要なのかとも思う。

    一つの思考は別の視点に繋がり、自分自身が俯瞰して見え、この世ではない何処かへ辿りつく。それでも川崎徹は驚く風でもなく易々とその世界を通り抜け、再び現実の世界に戻ってくる。

    何かが解ったわけではない。何かが変わったわけでもない。それでも川崎徹は意に介した様子もなく、ひょいと立ちあがりそこを去る。後に何が残っている訳でもないのに、何かが立ち去ったという気配だけを濃厚に残して。

  • あれ(経験A)とこれ(経験B)という全く異なる経験に対して、AとBは同一のことであると言い切る大胆さに駆動されて紡がれる芸術のことを文学と呼ぶとしたら、これほど文学的な仕事はあっただろうか。


    「この花の美しさ」と「花の美しさ」と接続する触媒としての文学、とキザに言い換えたいなら御自由に。


    装丁がとても素朴でキュート。点線の猫が切り取り可能です(切り取った人)。

    高橋源一郎氏が書評を書いていたので迷わずアマゾン寺へ駆け込む。

    往年の伝説コピーライター川崎徹の短編集。二作目の「言い忘れたこと」が秀逸です。原野に伸びる白線の上を歩き続ける僕。白線を「日本文学史の歩んだ百年」のメタファーであると看破する高橋氏の洞察にも唸る。

    ここまで力量のある作家なのに(村上春樹に匹敵すると個人的には思う)、注目されていないあたりに政治的な匂いを感じる。

  • 会話できるのは人間同士だけじゃあなんかじゃない。

  • 高橋源一郎の賛辞(「はっきりいうが、これは、ここ十年の間に書かれた『現代文学』の中で最高の一つである」という帯書き)を読み、そしてシンプルで感じのいい装丁、何よりもこの素敵なタイトルを目にした時、なんだか知らないがこれは読まねばなるまいと思った。直感。そしてその直感はまさしくぴたりときたもので、やはりこれは
    間違いなく素晴らしい本だった。ちなみに著者はいわゆる「文学畑」の人間ではなく、テレビCMを作っていた(富士フィルムの「それなりに美しく撮れる」だとか)そうだ。確かに露骨に映像的な描写が多々あった。

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著者プロフィール

1948年生まれ。70年代からCMディレクターとして活躍し、一世を風靡する。『猫の水につかるカエル』で野間文芸新人賞候補。ほかに、『ムラカミのホームラン』『最後に誉めるもの』(ともに講談社)など。

「2017年 『あなたが子供だった頃、わたしはもう大人だった』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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