東京大学のアルバ-ト・アイラ- (東大ジャズ講義録・キ-ワ-ド編)
- メディア総合研究所 (2006年3月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (325ページ)
- / ISBN・EAN: 9784944124206
作品紹介・あらすじ
菊地・大谷コンビによる東大ジャズ講義シリーズ第一弾。十二音平均律—バークリー・メソッド—MIDI、新たな視点でジャズ史を捉え直す。
感想・レビュー・書評
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一時期貪るように読んだ。楽器が上手く弾ける、とか、歌が上手い、とかと違うベクトルで音楽を楽しめることを発見させられた。
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はじめて本著を読んだとき世の中にこんな面白い本があるのかと衝撃を受けた。論旨は明確で、小気味良い。死ぬ気で勉強して東大にもし行けたらこんな面白い講義に触れる機会があったのかなと、ちょっと悲しい気持ちにもなったが・・・。内容には賛否両論あると思うが、一つの方向性を学ぶことができるのではないかと感じた。
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確かに前編と比べると難しかった!特に最後の講義。ただ、常識を疑えと言うアティチュードも含めて、最後の講義のためにこの授業があったのだということも心から納得。
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ダンスに関する記述はダンサー必見です。
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まだ、読んでないのですが、この授業はほぼ全部行って聞きました。ほんとに楽しかった授業でした。とくに、大友良英さんと最後の濱瀬元彦さんの授業が印象的でした。あと、ナンのはなしとか。
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下巻。より専門的に。
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二〇世紀、記号化への欲望がジャズのモダニズムをドライヴした。菊地・大谷コンビによる東大ジャズ講義シリーズ第一弾。十二音平均律―バークリー・メソッド―MIDI、新たな視点でジャズ史を捉え直す。
(「BOOK」データベースより)
資料番号:010820447
請求記号:764.7/キ
形態:図書 -
後編は題名にあるように東大で行われた講義のうちゼミ、対談形式で行われた後期のものをまとめたもの。
ブルース、テクノなど比較的広範な分野からのゲストとの豊富な知識を基にした対談である。
特に注目すべきは最終章の「ポスト・バークリー」の部分での非常に野心的な音楽理論であろう。
最後に寄せられた物理学者による非線形振動子としての聴覚研究のレビューとあわせて
自然科学と音楽に少しでも興味をもつものなら興奮を禁じえない。
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まあ、一言で言えば僕には難しすぎた。これを読んでる人およびこの講義を聞いている人はいったいどういう人なんだ…という感じである。
それでも「記号化され、ノイズを取り除かれ、その本質を紙の上にトランスレートされたエクリチュールとしての「音楽」」を「解凍するための装置」として「ピアノ」―それは「楽譜って形にガチガチに拘束された音楽に対して、近代的な知性と工業力をもって曇りなく調律された楽器としてのピアノ」―をもって「ヨーロッパは世界覇権に乗り出していった」(p173)という発想において、「ピアノ」の位置づけなんかはとても面白い。なるほどそうですかー、という感じである。ただ「世界覇権に乗り出す」ってなんだ?という気はするけど。
あるいは「フリー・ジャズ」や現代音楽が、いかに現在の音楽のあり方を破壊するか、という点からみてポストモダン思想との共通性がある、という指摘も、ああ、そういわれるとそうかも、という感じである。僕にはただワケのわかんない音楽だと思っていたものが、意味を教わってはじめてそういうもんかとちょっと理解できた気もする。
しかし「前書」で自らが「ジャズ史」を編纂するにあたり「すべての歴史は偽史」であるという断りを入れることで、一切の歴史学的手続を放棄してしまうかのような態度を示したうえでその「偽史」を編纂するという行為そのものの興奮と恐怖を「一刻も早く忘れてしまいたい」と言い切ってしまうのは、どうにも受け入れがたいことではある。
最後の最後で濱瀬元彦がすべてを説明できる音楽理論は無い、とした上で「普遍妥当性の追求は正しい」(p304)と発言すると、菊地成孔は濱瀬の音楽理論の追求の姿勢を絶賛する。だったら歴史書編纂もその行為を「忘れてしまいたい」なんていわずに、「普遍妥当性の追求」を見い出してくださいよ、と言いたくなってしまうのである。人間の歴史を説明する理論があるかどうかはともかく、すくなくとも、事実の確定についてはその営みを放棄してみせる必要はないのではないだろうか。 -
前作が面白かったのでついつい購入。