いるべき場所 (Garageland Jam Books)

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  • メディア総合研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784944124268

作品紹介・あらすじ

ベテラン日本語ラッパー、ECDが生まれてから現在まで、特に音楽を中心にして半生を振り返った「音楽的自伝」。
ラジオを通してロックに目覚め、パンクと出会い、劇団での活動を経て、ラッパーとなりつつも日本語ラップシーンにも違和感を感じて新たな地点へと、常に「いるべき場所」を探す、その時々で目撃してきた様々なシーンを描いた「同時代史」。

感想・レビュー・書評

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  •  亡くなってしまったラッパーECDの音楽遍歴を通じた自伝。アル中体験を私小説にした「失点インザパーク」など他の本で読んで知っていたこともありつつ日本のヒップホップの第一人者として貴重な証言が残っていてオモシロかった。
     前半は幼少期から思春期までのあいだ、どのような音楽が好きだったのか?めちゃくちゃ丁寧に掘り下げられている。60〜70年代の日本におけるロックの在り方やそれを著者がどのようにアンテナを張りキャッチしていたか、本当に音楽が好きだったんだなと伝わってくる。また著者がラッパーとしてラップするトラックがオーセンティックなヒップホップのトラックではなく独自のサンプリングソースを使っていた理由も子どもの頃から思春期まで幅広い音楽の趣味を持っていたことに起因することに納得した。
     日本のヒップホップ好きとしては88年以降、日本でどのようにヒップホップが根付いていき、さらにそこで著者がどのような役割を果たしていたのか、これまた細かく記録されていて一次資料として「こんなことがあったのか」という発見と驚きがあった。さんぴんCAMPを主催したことが著者の裏方的活動で一番フィーチャーされていることだと思うけどシーンがまだまだ小さかったこともあって他の色んなところでも貢献していたことも知れて良かった。(「証言」のレコーディング費用を負担するなど)シーンが小さかった一方でこの頃の音楽業界にはお金が潤沢だったんだなというエピソードも多い。結局ポップスで景気良ければ会社は新しい才能へ多く投資できる、この当たり前の事実にも気付かされた。また最後には著者が亡くなる直前までデモを中心としてコミットしていた社会運動への参加経緯も書かれていた。「言うこと聞くよな奴らじゃないぞ」に代表されるように自分がおかしいと思ったことに対して思った通り意見を発することは村社会日本だと敬遠される行動かもしれない。しかし著者を含むヒップホップが自分を駆動させてくれるときがある。だからこそECD forever.

  •  トムトム・クラブの「おしゃべり魔女」がちょっとしたヒットになっていた。これが僕のラップとの出会いである。(81年)キラキラ社で演劇活動をしているとき。
     八七年秋ベスタックス主催のDJコンテスト開催で優勝。
    P122 ヒップホップが与えてくれた「楽器が弾けなくても音楽ができる」というプレゼントの包みを大喜びで開けている若者たちという感じである。マイクを持つこと、スクラッチをすること、それだけで楽しくてしょうがないのだ。
     九〇年。MCバトルを目撃するECD(P131)
     九一年。チェック・ユア・マイク・コンテスト。スチャダラパーと高木完のマネージング事務所として設立された「スクール・プロダクション」主催。川崎クラブチッタ。優勝したのはZINGI。プロ志向の本格派が増えることより調子に乗ってマイクをつかんでしまったような子達がまだいることのほうに僕は日本でのラップの可能性を感じていた。
     九二年。出演順で出演者がもめる。それらは後に伝えられる日本語ラップ冬の時代の到来の兆しだったのかもしれない。
     ライムスターのMC・シロー(宇多丸)と顔を合わせれば必ずと言っていいほど日本のヒップホップの今後について見通しの暗い話ばかりしていた。
    93年、P142 黒人二人に殴られて日本人の女がくっついていた場面。94年になるとDAYONEの大ヒット。売れる気配のまったくなかったアンダーグラウンドのラッパーたちの閉塞感はよけいにきわだった。
    P156 ラップが世間に認知され、ラップを世渡りの道具にする者が現われる。ラップに限らず音楽、芸術はむしろまともな人生を踏み外すためにあると僕は信じていた。日本語ラップが認知され、まともな世界の仲間入りをする。そんな行く末は僕には耐え難いものだった。

     九九年グレイトフルデイズの評価で論争。P165 「処世術でしかない音楽」サラブレッドに大きな顔されてたまるか。

     2004年小泉義之一冊をのぞいてすべて読破している。P181宮沢賢治的厭世感を吹き飛ばしてくれた。
     日本のヒップホップでマスターピースとよべるのはキミドリの「キミドリ」くらいだろうP186

  • ラッパーということ以外に殆ど知識のないまま、彼の『いるべき場所』を読む。

    彼は1960年生。ということは3つ年上。
    同世代と言っても構わないと思う。
    嗜好はやや異なるものの、それでも音から感受しようとする態度、表現行為に対するモラル。
    とても近く感じた。

    友人の何人かはとても趣味がよい。
    最先端の情報から、古き良きものまで、とても素晴らしいインデックスを持っている。
    趣味判断の能力がとても高いのだ。
    そんな中の一人から、僕はよく笑われる。
    何が良くて、そんな駄作を好んでいるのか分からない、と。

    残念なことに。或いは幸福なことに。
    僕にとって音はただの空気の振動を指してはいない。
    それは音を出すレベル、聴く位置の高低、倫理の問題でもある。

    ある音を良いと感じる。ある音を良くないと判断する。
    その判断の基準は趣味判断ではある。
    けれど、その価値観を持つ者は、それを行使するだけの生き方をしているのだろうか。
    例えば僕がカザルスの♪鳥の歌を聴くとき、カタロニアへの思いなしには聴けない。
    行ったこともなければ、知己もいない、ただ紙の知識でしかないカタロニアの音に震える精神は何か。
    それが♪アリランになると、もっと複雑な気持ちになる。
    父の捨てた故国の唄は、国籍のないまま、呼び名だけ持つ男の何なのか。
    そして更には、今此処という場所は僕にとって何か。

    言葉遊びだ。
    No-Where 何処でもない = Now-Here 今此処…・
    そんな言葉遊びにすら強い酒でなければ消せない痼りを生む。

    彼、ECDはいるべき場所に辿り着いたのか、僕は知らない。
    彼は今そう思っているかも知れないけれど、未来に於いてもそうか僕の知る由もない。
    ただ彼は求め続けていた。
    そして、そこに出てきたインデックスに失笑する者もいるだろうことは確かだ。
    でも僕のように「何処でもない」と「今此処」の往還だけで生きている者は笑えやしない。
    彼は求め続け、そして、今いる場所をいるべき場所としたのだ。

  • ECDの音楽遍歴にはあまりソワソワしなかった。
    昔なら、本に載ってるバンドを全部追っかけたやろうに。
    いつのまにか自分にとって必要なものとそうでないものを振り分けてる。
    昔はよくわからんまま全部取り入れてたのにな。
    と思うとちょっと寂しい。

  • 2008/8/10購入
    2018/3/9読了

  • ECD自体はまるで聴いたことがないのだが、その周辺的なものはすごく親しみ深いものであった。本人の生き様にもまた感じ入るものあり。

  • パンク精神の塊みたいな人だ。

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著者プロフィール

1960年東京生まれ。ラッパー。最新作に『Three wise monkeys』(P-VINE)。作家としても『失点イン・ザ・パーク』(太田出版)など著作多数。

「2016年 『写真集ひきがね』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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