調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読んでおく本

  • みずのわ出版
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レビュー : 16
  • Amazon.co.jp ・本 (118ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784944173549

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  • 宮本常一が渋沢敬三から学んだフィールドワーカーの3つの心得。

    1)他人(地域の住民)に迷惑をかけないこと(自分でいい気になっていると、思わぬことで相手に迷惑をかけることがある)。
    2)出しゃばらないこと(その場が自分を必要としなくなった時、そこにいることを周囲の人に意識させないほどにしているということ)。
    3)他人の喜びを心から喜びあえること。

    この3つを実行することは実に難しいとしながらも、自分を戒める言葉として忠実に守られてきたそうだ。

    さらに「地域がよくなっていくためには、地元から良いアイディアが出なくてはいけない」と語っている。

    高い使命感によって地球4周分を旅し、学問の枠に納まらない偉大な業績を残した民俗学の巨人が、現代のフィールドワーカーに残した言葉ですが、研究のためのフィールド調査だけでなく、よそ者がまちづくりに関わる場合の心得としても、忘れてはいけない重要な指摘と思います。

  • 人が住んでいる場所へ行って調査する。
    それは価値のあることだけど、される側にとっては土足でズカズカ踏み込んでこられるような迷惑でしかないことも多い。
    調査する側には調査される側への配慮や敬意、「人間扱いする」という当たり前のことが求められる。
    そういう学術の倫理と実際の被害を論じたブックレット。

    誠実な一章と、実感のこもった二章が圧倒的に良い。
    1972に宮本常一が書いたものが一章、二章は安渓遊地を真面目に叱ってくれた現地の人の言葉の聞き書き。
    他は安渓が書いたもの。
    被害を語る二章、被害をふまえて研究者の倫理を説く一章。
    安渓は「関わる覚悟」「関わらない覚悟」を語る。

    観測者が関わることによって云々ってのは、今までピンとこなかった。
    シュレディンガーの猫みたいなのを想像していたから。
    ここに描かれているのはそんな観念的な話ではなく、もっと実際的なこと。

    調査することで相手にどんな利益があるのかを考える。
    せめて有害でないように配慮する。
    それが調査「させていただく」側の最低限の礼儀だけど、調査「してやる」つもりの人が多い。らしい。

    古文書を持ち逃げされた等のわかりやすい被害はもとより、形のない被害はさらに大きい。
    宣教師のような上から目線で自分の倫理を押し付けようとしたり、そこにいる人たちを自分の見たい形にゆがめようとする研究者の害がある。
    善意の研究者と善意の調査対象の関係であっても、繰り返し調査されることで現実を定型化してしまったり、聞かれたら応えなきゃという意識が答を作ってしまったり、調査結果をもとに過去が決まってしまうような本末転倒も起こる。

    きちんと調べる・敬意を払う、という当たり前だけど難しいことが行われないために現在がゆがんでしまう。
    それは社会学系の調査だけじゃなくて、他の学術でもジャーナリズムでもカウンセリングでも社会運動でも医療現場でも、どこでも起こりうる。


    安渓はちゃんとかかわる姿勢を持っていると思う。
    怒りはもっともだし、訴える内容はまともだ。
    当事者の話を聞いて反省しようとする姿勢がある。
    だけど少々、自意識が強い気がする。
    当事者を差し置いて自分が主役になってしまっているところがある。
    いくら善意でも方向が正しくても、自分を正義の代弁者にしてしまったら現地の人は脇役になりさがる。

    当事者と仲良くなると、代弁できるような気になってしまうから、そこは強く強く自覚しなきゃいけないと思う。


    2章で話をしてくれたP子さんは
    ・不惑にはまだ間がありそう
    ・本格的に地域の歴史を学び始めて20年以上
    ・調査被害で失った資料を集め直す気力はもうない
    ということは小学生くらいで本格的に調べ始めて三十代で燃え尽きちゃったのか。早熟だな。
    …不惑の意味を勘違いしてるかな?


    関連
    「オオカミ少女はいなかった」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/478851124X
    「社会運動の戸惑い」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4326653779

    非当事者は代弁できない
    「アシュリー事件」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4903690814
    「カニは横に歩く」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4062164086
    「MILK 写真で見るハーヴィー・ミルクの生涯」http://booklog.jp/quote/47996

    誰のためなのかという視点のあるジャーナリズム
    「セミパラチンスク」http://booklog.jp/quote/161536

  • 『季刊 福祉労働』の大野更紗さんインタビューの中でちらと出てきた本。宮本常一にこんな本あったっけ…と図書館でリクエストしたら、いつものようにヨソの図書館から相貸で本がきた。自分がリクエストする本はマイナーなんやな~と思うが、未来社の宮本常一著作集はずーっと入れてんねんから、こんな小さい本も入れてーなとつい思う(この本の一章に収められた宮本のテキストの底本は『著作集31巻』だという)。

    この小さいブックレットは、第一章に宮本常一が書いた「調査される側の迷惑について、たくさんの例をあげながら指摘した文章」を置き、以後の章は、この本の共著者であるアンケイさんが、宮本の"調査地被害"という見方にふれて、自身の南の島でのフィールドワーク経験をあれこれと書いている。

    私も、とくに大学にいた頃には、大きいのから小さいのまで「調査」に関わったことがある。「調査員」として、全く見ず知らずのお宅へピンポンと訪ねていったこともあれば(そして、調査を受けてもらえたことも、何やねんそれと追い返されたことも)、周到に準備を重ねてインタビュー調査にいったこともある。調査の準備や、調査データの扱い、分析、その還元ということは、それぞれの調査経験のなかで、まさに実地で学んだこともあるし、昔の自分の経験を思いだして(あれでよかったんかなー)と、今ももやもや思うこともある。

    ▼調査者は、それぞれテーマを持って調査するのは当然であるが、しかし相手を自分の方に向かせようとすることにのみ懸命にならないで、相手の立場に立って物を見、そして考えるべきではないかと思う。…
     …根ほり葉ほり聞くのはよい。だが何のために調べるのか、なぜそこが調べられるのか、調べた結果がどうなるのかは一切わからない。大勢でどやどやとやって来て、村の道をわがもの顔に歩き、無遠慮にものをたずねる。「そんなことを調べて何にするのだ」と聞いても「学問のためだ」というような答えだけがかえって来る。村人たちはその言葉を聞くと、そうかと思って協力したというが、「厄病神がはやく帰ってくれればよい」と思ったそうである。(pp.18-19、宮本)

    同じところに、似たようなことを調べにくる者が、なんべんもなんべんも、やってくる。調べにくるほうは初めてで一度きりかもしれないが、来られるほうにしたらウンザリもするだろう。社会調査とか民俗調査ということだけでなくて、宮本のこの文章を読んでいて、私は病院や役所でたらいまわしにされて、なんべんも同じことをくりかえさせられた経験を思いだす。

    医者にしたって役所にしたって、よく聞き出さねばわからないことがあるから聞くのだろうが、宮本が書いてるような「学問のためだ」的な対応もなくはない。そうなると、やはり学問の役に立つようなことは熱心に聞くが、そうでないことはてきとうにされている気がすることだってある。

    何が研究されて、何が研究されないか、ということには、調査者や研究者の純粋な問題関心だけじゃなくて、とっととうまいこと結果が出そうとか、このことが分かればギョーカイでえらいと思われるようになるとか、そんなのも少なからずある(たとえば『金沢城のヒキガエル』は、そういうことをかいま見せてくれる)。

    ▼…よそから来て、わずかばかりの滞在で、村人同士のこまやかなかかわりあいの実情など知ることはできるはずがない。調査と調査に基づく計画というのは、このような微妙な問題をすべて切り捨てて行なわれるものである。
     なぜそういうことになるのか。調査というものは、調査しようとするものの意図がある。その意図にそって自分の知ろうとすることだけを明らかにしてゆけばよい、と考えている人が多い。…意外性[予定した以外のことから、重要な問題を引き出してくることもある]がもっと尊重されなければ本当のことはわからない。理論がさきにあって、事実はそれの裏付けにのみ利用されるのが本来の理論ではなく、理論は一つ一つの事象の中に内在しているはずである。
     しかし調査に名をかりつつ、実は自分の持つ理論の裏付けをするために資料をさがしている人が多いのである。このような調査の結果が利用されるなら、調査者たちの目のとどかぬ部分は、すべて切捨てにされてしまう。そういうものを認めようとはしないのだから…。(p.25、宮本)

    これは、耳が痛い。自分も"資料さがし"をしてたんちゃうかと、振り返って身が縮む。見聞きしたもののなかで、何かをとりあえずカッコに入れておいて、それを補助線のようにして考えてみるということはある。でも、自分のアタマではうまく考えられなくて、結局は重箱の隅をつつくようなことをしていた気もして、昔を思いだすと、恥ずかしい。「理論は一つ一つの事象の中に内在している」という宮本のことばは、目の前にいる、そこにいる一人ひとりの存在のうちに人権はあるんやでという風にも聞こえる。

    ▼調査というものは地元のためにはならないで、かえって中央の力を少しずつ強めていく作用をしている場合が多く、しかも地元民の人のよさを利用して略奪するものが意外なほど多い。(p.34、宮本)

    宮本の書いたことだけでなく、あとのアンケイさんの書いたところも、すごくおもしろかった。とくに4章の「フィールドでの「濃いかかわり」とその落とし穴」。その章のおわりのところで、アンケイさんはこう書く。
    ▼フィールドでの濃いかかわりは、往々にして生涯をかけたものになります。お互いに相手の人生の物語の一部になるかもしれないという重い選択なのです。でも、誰しも体はひとつしかないし、人生は一回きり。とても、それだけの責任がとれない場合があることをよく自覚して、簡単には「濃いかかわり」の側に踏み切らないぞ、と自分に言い聞かせておくぐらいでちょうどいいのです。そうやって「学問と地域への正直さのバランス」をとる努力をしてほしいというのが、これから…濃い関わりを余儀なくされる場所でのフィールド・ワークをめざすかもしれないあなたへの助言です。(p.86)

    アンケイさんのサイトは、なんかおもしろそうなので、またちょっとずつ読んでみようと思う。
    http://ankei.jp/

    (8/16了)

  • 民俗学者・宮本常一氏の指導を受けたことがあり、宮本の提唱する「調査地被害」を調査先の人々とのやり取りの中で実感した安渓氏のブックレット。この手の話はフィールドワーカーなら少なからず経験したことがあるし、「調査地被害」を自分の手で起こさないように気を付けているハズ。だから同業者(とくに年配の)から、「わざわざこんな話を本にする必要はない」だとか、「安渓氏こそ、フィールドに溶け込めていないから、こんな思いをするんだ」と言われそうだ。でも安渓氏が同書の中で語っているように、この手の話はなかなか文字化されることはなく、貴重な記録であるといえ(当たり前のことを分かりやすく書くことは、すごく重要なことと思う)、とくにフィールド調査をしたことのない学生にとってはヨイ教科書になると思われる。もし私自身がフィールドワークについて語る機会があれば、テキストとして使用したいと思ったほどだ。

  • 「フィールドに出る前に読んでおく本」という副題が身につまされる。民俗学にとどまらず、まちづくりでもサービスデザインでも、反省なく本書を読めるフィールド研究者はいないだろう。

    宮本の章のおわり、

    調査というものは地元のためにはならないで、かえって中央の力を少しずつ強めていく作用をしている場合が多く、しかも地元民の人のよさを利用して略奪するものが意外なほど多い。(p.34)

    デザインをするものとして、なんらかの価値を生み出そうとして、フィールドにかかわること自体が尊大であるのかもしれない。
    それでも、フィールドにしかないものから学ぶためには、そこに出かけ、人々と渡り合うしか無いのだから、与えている気にならないように、奪うことにならないように、常に自分を諌めねばならない。

  • 研究者は傲慢になったらいけないことを教えてくれる

  • ツイッターで誰かが必読だと言っていたので。
    もはや調査することはないのかもしれないが、何となく懐かしみながら読んだ。

    著者の安渓遊地氏は山口県立大学教授でフィールドワークを教えている。
    奄美大島の話が多く出てきた。
    雑に掻い摘んで言うならば、フィールドワークは失礼のないように行うべし。
    相手は生ものだから、思いもよらない方向に行く。
    深く立ち入り過ぎるのも考えものだ、などである。

    自分も修論ではフィールドワーク形式であったが、そんなに方法論として確立しておらず、手探りで拙いやり方だった。
    現地への入り方、溶け込み方はこれを参考にしていたら、もっと良いものにできただろう。
    しかしアウトプットは、この文章を読む限りあまりうまくなさそうである。
    話があっちへ行ったりこっちへ行ったりするうえに、ユーモアの交えぐあいとかも不均一で、なんだか昔の経験則だけで語る先生だなあといった印象を受けた。

  • たいへん勉強になりました。
    自分のこれまでの行動を振り返って、身につまされる思いをしたところもあり…反省しきり。まず理性ある人間として行動することを、改めて心がけなければ…と思い直しました。

  • 宮本常一の本というより、安渓氏の本。内容は、○

  • 荻上チキさん紹介。

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著者プロフィール

民俗学者

「2019年 『宮本常一 伝書鳩のように』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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