思想地図β vol.1

  • 合同会社コンテクチュアズ
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784990524302

作品紹介・あらすじ

ネットメディアを中心に、めまぐるしく変化する現代社会の実相とはいかなるものなのか? 社会、政治、科学など、各分野の第一人者の論考を領域横断的に収録。2010年代を導く新感覚言論誌、圧倒的ボリュームでついに創刊!

感想・レビュー・書評

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  • 山陽新聞2011.02.08朝刊。

    「世の中で働いている人に読まれる言論をつくりたいと思ったんです。言論人が言論人の中でぐるぐると回している言論はもういらない」

    「『世の中の流れに抵抗する』という図式で、ニーズに合わせることを思想的敗北だと思っている人たちの本が売れないのは当たり前です」

    「みんなわざわざお金を払って言葉を買うわけです。そのことを忘れてしまったところにこれまでの思想や批評はあった。言葉を売る商売であることに、自覚的な言論誌でありたい」

    宣伝はほぼTwitterのみ(http://twitter.com/#!/shisouchizu)。
    それでも初版8000部は瞬く間に完売とか。

    《「この本は『新しい教養』の提案」と東さん。「グーグルやユーチューブによって知識が万人に開かれた世界において、教養とは知識ではなく〝見方〟です。例えばショッピングモールを知的に見る見方。そういうものこそ、これからの教養になっていく」》

    これは共感です。

  •  震災後いくつかの論考の賞味期限が切れてしまうのではないかと思って焦って読み出したけれど(実際東浩紀もツイッターで次号の編集方針を大幅に変更しなければならないことをつぶやいていたのだ)、割と焦らなくてもいい感じだったかもしれない。
     NHKブックスとして出ていた思想地図シリーズを一冊も読んでいないから、タイトルの意味とかわからないけれど、とりあえずこれを読んでなんとなく思い浮かんだのは、東浩紀がよく言う「自分にとって正しいとか間違っているという話を保留して、とりあえず論を進めてみる」という話だった。冒頭の対談でも「言語操縦能力」に絡めて出てきているけれど、他者を認識し他者に感情移入し他者として振舞う可能性のためのツールとして、言語能力を認識すること。そのためにあらゆる他者性を有する文章が一堂に会する場があるといいし、それは思想を見通すための地図としての役割を果たすだろうと、なんかそんな感じで読みました。なんかそんな感じで。

     はい。
     構成は表紙に出ているようにショッピングモールを中心にこれからの共同体のあり方を検討する一部と、人文学と科学を接続する一つの方策としてパターンサイエンスを検討する二部に分かれている。
     個々の論文については再読しないとわからない部分も多いからここではあまり触れないつもりだけど、いくつか取り上げると、まず宇野さんの郊外文学論が面白い。郊外という場所のフラット化によって、<ここではない、どこか>を失った文学が、その中でどのような物語を可能にしていったか、という話で、どこにでも均一に存在する<いま、ここ>をテーマにするがゆえに避け得ないデータベース消費への傾向を踏まえつつ、固有名への憧憬を喚起させそのことによって再び都市的な想像力に接続する、というロジックの運動のダイナミズムがすごい。
     クラブカルチャーに関する鼎談は読む前はおまけ的に捉えてたけれど、実際には本書の座談会記事の中では一番面白かったんじゃないかいうダークホースでした。分析の必要性をめぐっての対立なんかは、複数の議論の種が散見されたりして、たとえば音楽に対する批評の有効性について問いはじめれば、音楽という行為の肉体性、または高度な抽象性に対する批評の可能性(言語による意味の付与が殆ど意味を持たないぐらいに抽象化され、肉体に対する直接的刺激やアナロジーからの類推しか思考への通路を持ち得ない芸術としての音楽に、批評がコミットしていく余地があるのかどうか、ということ)に始まり、リテラシー問題(リスナー側の極端な純粋性を打破する戦略としての批評が必要なのではないか、という議論)、批評の独創性(つまり批評そのものに固有の価値の有無をめぐる問題。蓮實重彦的批評を音楽でもやれないか、という話)、といったところまで接続されていく。ぴょんぴょん飛びながら「こんなことできませんかね」という話に広がっていくわけだけど、その速さが快感。他の座談会記事ではなかなか、こういう対話ならではのカタルシスみたいのがないので、正直ダークホースというか一人勝ちかもしれない。一番興奮して読んだ箇所でした。
     ダークホースといえば、コム・デ・ギャルソンについて論じた最後の論文が、フラット化する世界における一つの戦略をもっとも明確に提示している内容になっていて、多分これが一番元気の出る論文。規制の中で、規制に合わせてその姿を変えていく店舗のデザイン、明確な型を持たないがゆえにフレキシブルな対応が可能となり、そのことがむしろ固有性を発揮していく、このくだりがとにかく面白い。そしてその発想は自らに「規制のみ」を課すゲリラストアという形に発展していき、情報技術によるフラット化という前提を足がかりとした多様性のあり方、というところまで踏み込んでいく。これが面白くなかったら何が面白いんだと。現状維持を望んだところでその現状維持が難しいのだから、放っておけば悪くなるばかり、それよりも外部環境のフィードバックによる創造的転換へ踏み出そう、そう呼びかける論者の力強さは、本書の中でも一番感動的な部分でしょう。正直しびれますよ。びりびり。

     再び全体を通して。やはり、アクチュアルな問題として、世界がフラット化していく、という傾向は見過ごせない問題、というか今一番大きく取り上げられるべき問題である、という感じが強い。
     それに対して、批判的な立場を取るでもなく、かといって単純に礼賛するわけでもなく、その変遷の中でいかなる価値の創出が、いかなる戦略的態度が可能か、というのを問う。本書の姿勢というものがあるなら、そんなところだと僕は思った。「ショッピング/パターン」という多岐にわたる主題は、まさにその姿勢によって繋ぎ止められている。あるいは東浩紀のツイッター的発想もあるのだろうけれど(『父として考える』にあるような、複数クラスタの交錯とそのアイコンによる統合という発想は、確実に本書の編集方針に深く影響していると思う)。
     とにかく、世界のフラット化からはもう逃れられないし、それを「逃れられない」とネガティブに表現することにも、そろそろ違和感を感じなければならない。そういうものとして起こっている。それをどうするかだ。

     震災が起こり、思想を取り巻く環境も強引に一変させられざるを得なくなった。冒頭でも書いたように僕はそうした焦りから急いでこの本を読んだわけだけれど、これまた冒頭で書いたように、その懸念は割と杞憂だったように感じる。というのも、世界のフラット化、というのは、震災を経てますます進んでいくだろうからだ。いや、まだわからないけれど、僕は多分、そっちに向かうと思うし、少なくとも東京一極集中はこれからどんどん解消されていく、これは間違いないと思う。それで、じゃあ別の極に全部移しましょう、とはやっぱりならないと思うし、だから、複数の極が並存し、その極どうしでパワーバランスを保つとか、とにかくゆるやかにでも、パワーはフラット化していく、その傾向は変わらないだろう。僕はそう思う。あまりこの辺は詳しくないから、断定的にはいえないけれど。
     まあとりあえずそう考えたとき、この思想地図がフラット化をかなり睨んで作られているという点においては、その賞味期限がすぐに切れるどころか、ある部分ではますますアクチュアルな問題として浮上してくるところすらあるはずなのだ。だから、やはり、焦りは杞憂だった。
     ただ、気になるのは、東浩紀自身が、思想地図の編集方針を変えなければいけない(実際にはミッションという言葉を用いていた。やるべきことが変わった、ということだろう)、といっていたことだ。僕が読んだ限りでは、方向性はこのままで問題ないと思うし、そればかりか今こそ掘り下げていくべき問題意識をたくさん孕んでいるとすら思うのだけど、なぜ修正が必要なのか。

     これは一つの想像に過ぎないけれど、おそらく、これまでの東浩紀は東京をフラット化の一つのモデルとして、アイコンとして、想定していたのだろう。だけど、震災を経た今、これからそれが不可能になっていく、いや、東京ばかりか「日本発」という考え方そのものが有効性を著しく失っていく時代に入る。少なくともそういう予感が横たわっているのは、まず間違いがない。ならば、東浩紀の想定は無効化されざるを得ない。問題意識は継続できても、ポジティブな見通しは、修正するか、あるいは破棄しなければならない。
     東浩紀のことだから、破棄、はありえないと思うけれど。

     多分、いや、きっと、次に思想地図が出るとき、それがいつなのかを僕は把握していないけれど、おそらくはもう二、三ヶ月後のこと、採用できる語りの形式は、使用できる言論の枠組みは、今と大幅に変わっている。多くの言論が、失効させられてしまっている。
     喪失の周辺から言葉をつむごうとすると、どうしてもその内容は悲観的に、ネガティブな印象を帯びてしまいがちになる。
     それでもいかにして前進する言葉を発することができるか。前向きなだけではなく、前進する言葉を。運動を開始するための契機となり得る言論を、つむいでいけるか。
     次にこのシリーズに求められるのは、そういうことになるだろうし、必然的にそういうことにならざるを得ないところがある、と僕は思う。そうでなければ、言論そのものが、失効した言葉で組み上げられたものとして、発せられると同時に無効化されてしまう、脆弱な何かに成り果ててしまう。

     なんか、慣れない文体で、えらそうなことをほざいてしまった。
     でも、東浩紀は戦略的で、自覚的で、それでいてどこか情熱的な批評家だから、おそらくそういうところを、狙ってくると思う。
     なんつーか、それは間違いないと思うし、だからそれを伝えたかったし、それを演出しようというか、それを語れるような文体っていったらこれしかなかったんですよ。

     今から次のことを心配したりしても仕方ないけれど。
     多分、何かやってくれる、なんか、そんな予感みたいなものが、結構あったりする。
     それまで読者にできるのはこの本の内容を咀嚼しつつネットワークの拠点として活用し、新たな知識を仕入れながら、どんな言葉がこれから紡げるかを、自分で模索することぐらいでしょう。
     動き出すための契機として。
     なんというか、賞味期限切れどころか、その契機として、まだまだ使えるところがある、そんな本なんじゃないかと、こんなに長々と書きながら、僕は最後にはそう思ったのでした。ちゃんちゃん。
     続く。

  • 新聞記事。東浩紀さんご本人のインタビュー記事。「教養は知識ではなく見方」

  • 思想誌ながら、首都圏各書店のランキングにランクイン。在庫切れも続くヒット作。アマゾンでユーザーレビューがまだ1件もついていないのは気になるとしてw、以下印象的だった箇所の要点まとめと考察。

    誤字脱字、改行位置の変なところは目立つが、面白い。普通の大手出版社は、きちんと校訂していることがわかる。ただきちんと校訂していても、面白くないものは面白くない。

    巻頭で、村上隆、猪瀬直樹、東浩紀が、東京都条例問題について議論『非実在青少年から「ミカド」の肖像へ』。表現の自由を奪うとネット上で大バッシングになっていた都の条例問題が、行政側の猪瀬直樹が反対意見を述べる。

    都の条例改正は、単なるゾーニングの問題。小学生が見るにはちょっとまだ早いなと思えるマンガを、普通の小学生向けマンガとは別の棚にわけましょうというだけの話。表現の自由を侵害したり、有害図書として出版禁止にする気はさらさらないそう。それがネットで感情的に猛バッシングにあった。みんな誤解しているとのこと。

    東らは、誤解されるような表現だったと批判。また、誰がどのように、ゾーニングするのか、ロリは線引きが難しいから、恣意的になるのではないかと危惧。東、村上は東京都条例に反対する立場だったが、猪瀬直樹の主張によって、理解が進んだ(僕自身、猪瀬直樹の本を読む気がなかったけど、この議論を読んで彼の本を読もうと思った)。

    第一特集は、ショッピング。日本の郊外に普及したショッピングモール。ショッピングモールは世界中にあり、世界のどこでも同じような外見、仕組み。グローバル化と紐づくショッピングモールを読み解く。

    批評家の宇野常寛は、小論「郊外文学論―東京から遠く離れて」を寄稿。「1Q84」、「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」、「悪人」、「シンセミア」、「砂漠」、「幕張」、「木更津キャッツアイ」「デュラララ!!」、「ハル、ハル、ハル」などジャンル横断的にン日本のフィクションを取り上げつつ、東京から離れたどこでもない場所、郊外文学の系譜と最前線を確認する。

    第二特集は「パターン」。理系のお話。ニューアカの時代に柄谷行人が取り上げたセミ・ラティス、浅田彰が「構造と力」で描いたリゾームは、最新の理系の学問によって、どのように研究されているのか。パターン、ネットワーク、データベースの網の目。大量のデータの集積、解析から、新しいネットワークが見えてくる。

    終わりの方には、菊地成孔+佐々木敦+渋谷慶一郎の座談会「テクノロジーと消費のダンスークラブカルチャー、音響、批評」。総合格闘技は批評の語彙がファンに共有されたが、音楽は批評の語彙、アナリーゼの手法がファンに浸透していないという菊地さんの指摘は面白かった。

    東も議論に絡み、純粋に作品だけを対象とした批評では、社会性が喪失されていく、社会性のない分析を繰り返した結果、ゼロ年代に批評は袋小路に陥ったと語る。批評のどん詰まり状況で、どのように批評を立ち上げていくか? 批評好きのマニア内向きでなく、批評を知らない人に向けて、同時代の状況と対決しつつ。その試みとしての「思想地図β」。

    巻末は、東浩紀原案のアニメ「フラクタル」の宣伝座談会。

    オタク、グローバルショッピングコミュニティー、理系的な知識、フィクション、カルチャー、全て扱おうとする貪欲な雑誌。

  • カバーのデザインが好き。
    まだ読んでいないけれど、
    機会があれば読みたいと思います。

  • 「特集」として、「ショッピングモーライゼーション」と「パターン・サイエンス」の二つのテーマが組まれており、それぞれ座談会や論文が集められています。そのほか、巻頭には東京都の非実在青少年にかんする規制の問題をあつかった東浩紀、村上隆、猪瀬直樹の鼎談があり、また現代音楽の批評をテーマにした菊地成孔、佐々木敦、渋谷慶一郎の座談会も含まれています。

    二つの特集は、東が北田暁大との対談本である『東京から考える』(NHKブックス)や無印の「思想地図」シリーズ(NHKブックス)から引き継いでいる、現代思想のある意味での「唯物論的」な展開(もっとも本巻に収録されているドゥルーズ研究者の千葉雅也の論文「」インフラクリティーク序説―ドゥルーズ『意味の論理学』からポスト人文学へ」では、こうした「唯物論的」ということばの使いかたのあいまいさが批判されていましたが)が、よりいっそう明瞭になったように感じられます。とくに北田も参加している座談会の「ショッピングモールから考える―公共、都市、グローバリズム」では、東と北田の立場のちがいがこれまでよりもいっそう鮮明になっています。

    一方、「パターン・サイエンス」の特集では、それぞれの分野の専門家が招かれ、興味深い議論が交わされているものの、東が思いえがくような社会論につなげるには、まだ大きなへだたりがのこされているような印象を受けます。とはいえ、いずれも刺激的な議論が多く、興味をもって読むことができました。

  • 特別企画:非実存青少年から「ミカドの肖像」へ(猪瀬直樹、村上隆、東浩紀)◆巻頭現『思想地図β』創刊に寄せて(東浩紀)◆特集:ショッピングモーライぜーション(清水健朗、勝村龍至、梅沢和木、北田暁大、南後吉和、東浩紀、森川嘉一郎、浅子佳英、李明喜、宇野常寛、廣瀬通孝、鈴木謙介、松山直希)◆特集:パターン・サイエンス(李明喜、井庭崇、江渡浩一郎、増田直紀、東浩紀、笠原和俊、川越敏司、三中信宏、池上高志、中川大地)◆テクノロジーと消費のダンス(菊地成孔、佐々木敦。渋谷慶一郎)◆セレブリティとオタク(福島亮太)◆インフラクリティーク序説(千葉雅也)◆コム・デ・ギャルソンのインテリアデザイン(浅子佳英)◆Shisouchizu beta vol.1 English Abstracts and Translations◆特別企画:アニメージュオリジナル特別版「フラクタル」

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著者プロフィール

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』など。

「2023年 『ゲンロン15』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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