• Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784990524319

感想・レビュー・書評

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  • 東日本大震災直後に起こったことを振り返り、今後の日本をどうしていくべきかを各方面の識者が語る。
    読者が原発問題をどう捉えているかによって、どの識者に共感できるかは変わってくるであろう。

    興味深かったのは、
    津田大介氏のソーシャルメディア論
    佐々木俊尚氏のプラットフォーム論
    八代嘉美氏の科学コミュニケーション論
    中川恵一氏の放射線量と発がんリスクについて
    である。

    著書に、編集長である東浩紀氏の目的とする「ばらばらになった日本に新しい連帯を生みだす」パワーがあるのかは疑問だが、それぞれの読者が、著書をきっかけに「考えること」はできるだろう。

    <印象に残ったキーワード>

    ・いざという時のために複数の連絡手段を確保しておくことの重要性
    ・「情報の声がけ」を行う意識を共有できるか
    ・ソーシャルメディアが貴重な「一次情報源」になるケースが増えた
    ・「情報ハブ」のような存在へのニーズ
    ・「弱者は善良である」という大前提からの脱却
    ・ローカルコミュニティの再定義とソーシャルメディアを利用した広範囲な情報共有
    (津田大介氏)

    ・従来、垂直統合していたものが分解され、水平分業的にいろいろなレイヤーが重層的に重なっていくというのがいまのビジネス構造の変化であり、これがプラットフォーム化の本質である。
    ・プラットフォーム化に対応した新しい産業構造・社会構造を作らない限り、昔のように反映することは不可能と断言しても構わないだろう。
    ・モジュールは常にプラットフォームへと脱皮する可能性を秘めていて、これがプラットフォームへの新たな対抗軸となりうる
    (佐々木俊尚氏)

    ・「不安」は「安心」の反対概念であって、極めて個人的・主観的なものである。ポパーの定義に従えば、それは科学の範疇ではない。
    ・何かを選べば、何かのリスクを背負うという当然のことが可視化される時代になる
    ・科学コミュニケーションが果たすべき役割は、「正しく疑う」ための情報を提示し、整理すること
    (八代嘉美氏)

    ・被ばくと直接的な因果関係がないにもかかわらず、原発事故以降、日本人のがんは増えるかもしれない。それは生活習慣や生活環境が変わるから。
    ・リスクがあると意識することによって、リスクを回避できることもある
    ・放射線の何倍もの発がんリスクに接してだれでも暮らしていることを、みなさんに知ってほしい。
    (中川恵一氏)

  • 震災後、Twitterなどからの情報の波に飲まれそうになる中、息つぎし、これまでのことを省みる機会を与えてくれた救命浮輪のような1冊だった。私の「喪の作業」は、たぶんまだ終わっていない。

  • ところどころ、難しかったり、ピンと来なかったりする部分もあったが、おおよそ興味深く読むことができた。特に、「巻頭言」(東浩紀氏)、「震災と言葉」(和合亮一氏、東浩紀氏)、「震災と文化」(竹熊健太郎氏)のあたりは、自分の勉強してきたこととも近く、共感できた。


    3/11以後、日本の「連帯」が強く叫ばれ、たくさんの「希望」を集めようと様々な人が奮闘していたはずだ。それは、もちろん望ましいかたち。けれど、現実はそうではなかった。「希望」を生みだすには、地震・津波・原発によって受けた被害の「差」は人それぞれあまりにも大きく、それによって一人一人に生じた心情の「差」はさらに著しい。

    震災からしばらくして、僕はこんなことを考えた。

    「すごくたいへんだけど、がんばろう。」では、きっとまだ不十分なんだ。「がんばりたいけど、すごくたいへんだ。」が、被災地には確かにあるはずなんだ。一度の逆接くらいでは、まだまだ「希望」を語れない。「希望」を語ろうとしてもなお立ちはだかる「絶望」をきちんと受け入れてから、「希望」を語らなければいけない。

    「がんばりたいけど、すごくたいへんだ。それでも…」

    こんな「それでも…」を、僕らはどうやって言えばいいんだろう?
    答えが出ない。せめて考えることだけは、止めないようにしよう。

  • 半年経て読むことが物凄く意味深い、現在進行形であることをまざまざと突きつけられた。3・11を真正面から受け止めず前に進もうとしていることによる落とし穴はすぐそこにある気がしてならない。

  • 東浩紀が鼎談で言っていた、合理的な言葉がとても無力だということが非常に印象に残った。ふと思いついて、合理性という言葉を辞書で引くと、次のように書いてあった。

    ①道理にかなっていること。論理の法則にかなっていること。
    ②行為が無駄なく能率的に行われること。


    おそらく原発というのは②の意味では安全なのだろう。でも①の意味では安全ではないわけだ。(つまり100%安全なわけではない)反原発派は①の意味で「安全神話はウソじゃないか」と言うのだけど、原発推進派は②の意味で「安全です」というので何となく議論がかみ合わないのではないか。私は原発は次の2つの理由で使用すべきでないと考えている。

    ・②の合理性で安全を判断するには、最悪の事態が起こった場合のリスクが大きすぎる
    ・原発は放射性廃棄物の問題があるため持続可能でない。

    放射能の問題に関して、私は素人なので安全かどうかの判断はできないが、専門家の言っていることを聞くと、それほど危機的な状況ではないのではないかと思うこともある。しかし、私達が原発に抱く恐怖は科学的な根拠だけで説明できない。人間はそれほど合理的ではないからだ。(人間が馬鹿だというわけではなくて合理的になんでも説明できるわけではないという意味で)飛行機に怖くて乗れないという人を、飛行機よりも自動車事故による死者の方が多いからといって、それを非合理的な判断だと笑うことはできない。

    今回の地震の報道をみていると、わりと早くから経済の問題にすり変わっていったという印象を受けた。「経済被害は幾ら」とか「適度に怖がりましょう」とか、合理性を超えた今回のような事態に対して合理性でもって対応しようとする態度がすごく嫌だった。でもそれは、マスメディアのみの問題ではなく、今の日本では合理性を超えた語りがとても少なくなっていて、合理的な言葉でしか言えないんじゃないかと、そういう貧しさがあるのではないかと感じた。

  • 震災後、こういう言論が読みたかった。

  • 震災でぼくたちはばらばらになってしまった。この巻頭の言葉こそが現在を表す的確な言葉だ。Twitterで原発関連のツイートを眺めていると、その思いは一層強くなる。

  • 日本人が震災後に感じている「何か」を表現している。
    「大変だ・悲惨だ・可哀想だ」という表現に違和感を感じている人は多いはず。そんな人に読んでもらいたい。

  • 自ら語っているように、3.11は東さんの大きな思想的分岐点になったようです。タイムリーに数々の取材や座談会を行っている瞬発力は相変わらず。そしてテーマ設定も的確。だがしかし、読み終わると、知的興奮はさほどなかったことに気づく。ぜひとも今後の動きに期待したいです。

  • あの日を境にバラバラになってしまった僕たちが、立ち上がり、再び結びつくには、誰かではなく僕らが考え、踏み出すべきだ。
    東浩紀の巻頭言、和合亮一の礫、津田大介のルポ...。様々な視点から語られる「震災以後」。我々に急速に拡がる「麻痺」、ソーシャルメディアそしてローカルコミュニティの可能性、そして「言葉」のチカラ。
    難しかったけど、考えながら読めました。また読もう。出会えてよかった。ありがとう。

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著者プロフィール

東浩紀(あずま ひろき)
1971年東京生まれ。批評家・作家。ゲンロン代表。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。
著書に『存在論的、郵便的』(サントリー学芸賞思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞受賞作)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015受賞作)ほか多数。『ゲンロン0 観光客の哲学』は第5回ブクログ大賞人文書部門、第71回毎日出版文化賞受賞作。

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