• Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784990524319

感想・レビュー・書評

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  • いろいろと考えたこと。

    もう半年が過ぎようとしている。
    いや、あるいはまだ半年しか経っていないというべきなのだろうか。
    時間というものの感覚は人それぞれ違う。
    ぼく個人でもどちらが正しいのか未だに分からないでいる。


    3月11日。
    ぼくは、東京で被災した。
    そして、のちに地元の関西に引越しをしたことで、その間にある「時差」に驚いた。
    その感覚は今でも残っている。
    震災から、怒涛のような情報を浴びていた自分にとって関西の時間はゆっくり流れているように感じられた。


    そのなかでぼくは4月の大阪の思想地図イベントへと向かった。そこで語られた「喪」の儀式ということにぼくは強い共感を覚えた。
    ぼくらは、時間をもう一度共有しなくてはいけない。
    それは、喪われた時間を急いで埋めていくことではなく、立ち止まって共有することの大切さである。


    だが喪われた時間。それは一体どれくらいの時間なのだろう。
    これから先ぼくたちが生きている間には取り返しの付かないような途方も無い時間に思える。
    そして、ぼくたちは喪失を経験している。今も。


    少し本の内容とは関係ないことを書いてみる。

    希望とはなんだろうか?
    なでしこジャパンがワールドカップを優勝したことで、日本中は希望に沸いた。
    それは確かに希望なのかもしれない。
    だが、ぼくたちは希望の影で何かを失っていることについても考えなくてはいけない。

    Jヴィレッジ。
    福島第一原発からちょうど20キロ圏内の外側に位置する日本で初のナショナルトレーニングセンター。
    それは日本サッカーの未来を象徴する施設だった。
    だが、今は原発事故の対応拠点になっている。
    マスメディアでは、ほとんど報じられていないが、『サッカー批評』(issue 51)という雑誌に載っている写真では、ぼくは涙を流さずにいられなかった。

    駐車場のスペースのために芝生の上に敷き詰められた砂利。
    ピッチをコンクリートで固めたヘリポート。
    それらはなでしこという希望とは全く対称的な存在であった。
    だが、それは現実だ。それはサッカーの喪失の部分だ。

    元々、Jヴィレッジは94年7月に東京電力から福島県に対して出された3つの地域振興策の一つだった。そして、そのなかで唯一実現したものがJヴィレッジだった(開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』147〜8頁)。だからこそ、Jヴィレッジは今、原発への最前線基地となっているのだ。

    東京電力は必ずJヴィレッジを元に戻すという約束をしている。
    だが、しかし、今まで何年もかけて創り上げられてきた象徴としてのJヴィレッジは果たしていつになれば元に戻るのだろうか。



    思想地図β2の帯に書かれている喪失と希望とは、その二つが常に表裏一体であるという意味だとぼくは感じた。

    喪失の経験は、必ず希望への原動力になるだろう。

    そして、同時にぼくたちは希望を考えるときにその影で失われているものがあることについて考えなくてはいけない。

    そうしたことを考えながら読みました。

  • 随分前にひと通りは読み終えていた.
    何度か読み返すと思うけど,ちょうどこの震災のタイミングで日本を離れていたから,当事者感覚が薄いのではないかという悩みのようなものがずっと付き纏っていた.今更考えれば,なんだそれはと一蹴できるようなことかもしれないが,当時は結構に悩んだのを覚えている.

  • 様々な立場の論客が震災を踏まえての自論や対談が展開されており、
    文章は読みやすいが、かなり内容的にはヘビーでほとんど消化できていない。
    しかし、震災当時のことを思い出したり、プラットフォームの考え方は
    個人的に実務的に役立つと思うので、折にふれて再読したいと思う。

  • 遅ればせながら読了。写真、各論考、シンポジウム記録、GoogleTrendや各著名人の反応資料、どれも震災を捉える上でとても重要な光の当て方だったように思います。震災に関する書籍は何冊か読みましたが、今回の震災の多面的な問題を捉えるのに、思想地図のような「雑誌」の形態がいちばん適していたのでは、と思いました。

  • 時間、家長と責任、プラットフォーム化、科学など、様々な概念について改めて考えさせられる内容でした。年を重ねるにつれ、おそらく読み返すたびに違った発見があるでしょうし、日々の仕事や生活に追われていると忘れてしまいがちな東日本大震災の記憶を思い出す手段としても良い本だと思います。

  • 震災からの復興がテーマ。

    主にソーシャルメディアや日本人の喪失感、科学コミュニケーションなどが震災と絡めて論じられている。

    これらはどれも震災以降、言論人の間では少なからず話題になったものばかりなので、1年たった今、あの時どのような事が論じられていて、これからも論じられていくべきなのかを確認するよいきっかけとなった。

    あと個人的に本の作り方というか、構造がとても参考になった。

  • 編集者東さんの巻頭言・和合さんの詩・東×和合ニコ生対談が深く印象に残る。その他も興味深い内容ばかりで、思想系の文章には慣れていないために理解できてない部分も多々だったけど(汗)、震災と今の状況とこれからを考える手助けになるいい本だと思った。あとやはり大きいのは、被災地で何が起こったのか、知られていない事実・問題を知れたこと。これはたくさんの人で共有していきたい事柄ばかりだと思った。

  • どれも大変興味深い内容ですが、一番印象に残ったのは、猪瀬直樹氏・村上隆氏・東浩紀氏の対談でした。「家長」と「放蕩息子」に関する話は、「そういえば」と納得するものでした。未入手なのですが、vol.1から読んだほうがいいのかもしれません。

    物語を書くことに関心のある私としては、『日本人は「家長」になれるか』は、どのような形で向かい合うにしろ、避けて通れないテーマなのだと感じました。

    そして、浪江町で撮影された写真も、衝撃的でした。地震後に急いで避難したからでしょうが、小学校にランドセルなどの道具がすべて残されています。

    子供たちは、避難して新しい生活を始めるにしても、これまでずっと使ってきた愛着のある道具を使うことができず、新しいランドセルや道具で始めなければならないのです。津波で流されたのであればあきらめもつきますが、まだ使える状態で残っているにも関わらず、取りに行けない場所にあるのです。

    そういう背景を知らずに見れば、何気ない学校の教室の写真です。でもその写真は、地震ではなく原子力発電所の事故で、子供たちが、それまでの生活から文字通り断ち切られてしまったのを表していました。

  • 震災特集です。じっとりと厚い内容でした。今の日本は政府&東電批判、反原発、がんばろうニッポン、そして無関心という単純化された思考回路で成り立っています。そんな右に習えの風潮の中で、現状の核心を突いた良書であると思いました。東氏の巻頭言、和合氏の現代詩、津田氏のルポルタージュだけでも十分に読む価値があります。それに装丁がカッコいいです。オタクカルチャーに近しいものは極めてダサいデザインが横行しているんですが、本書は中身のデザインも良いです。日本に生きる多くの人に読んでもらいたい本です。

  • 冒頭に掲載された和合亮一さんの詩を読み、自分も震災を体験したかのような錯覚に陥った。震災・原発に対する怒りや悲しみ、やるせなさというものが内からこみ上げてきた。
    東浩紀との鼎談で和合さんは「一番重要なのは「川」で溺れて震災を経験する。それは直接経験じゃない、間接経験、想像しながら被災を経験して、日本社会のみんなで、川で溺れながら考えていかないと同じことが繰り返される」と述べている。少なくとも僕においては、その試みは成功していたと言えるだろう。
    溺れる経験を共有するために、ぜひ読んでほしい詩です。

著者プロフィール

東浩紀(あずま ひろき)
1971年東京生まれ。批評家・作家。ゲンロン代表。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。
著書に『存在論的、郵便的』(サントリー学芸賞思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞受賞作)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015受賞作)ほか多数。『ゲンロン0 観光客の哲学』は第5回ブクログ大賞人文書部門、第71回毎日出版文化賞受賞作。

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