原民喜童話集

  • イニュニック
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感想 : 3
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  • Amazon.co.jp ・本 (85ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784990990206

感想・レビュー・書評

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  • これは、大事に大事に造られた本だ、ということがひとめでわかった。
    綺麗なみどり色をした、端正な面立ちの函入りの豪華本。
    決して華美ではないのに、印象深い。
    民喜の童話は、繊細さがあふれ出ている。
    手の平に乗せた小鳥をなでるように、注意深く扱わないと、壊してしまいそうな、そんな童話たち。
    特に好きなのは『気絶人形』で、子供のころ、こんな世界に居たような錯覚を抱いてしまう。
    別冊の民喜に関する寄稿集では、蜂飼耳さんの解説が強力過ぎて、『誕生日』を、解説通りにしか読めなくなってしまった。
    解説よりも本編を先に読むことを推奨する。
    素敵な本だった。

    • 5552さん
      nazunaさん、はじめまして
      コメントありがとうございます。

      民喜の『夏の花』は自身の被爆体験を元に書かれた小説だそうですね。
      ...
      nazunaさん、はじめまして
      コメントありがとうございます。

      民喜の『夏の花』は自身の被爆体験を元に書かれた小説だそうですね。
      私はまだ読んでないんです。童話の方は、その細やかな繊細さに、読んでいて感じ入ってしまいました。『原民喜 : 死と愛と孤独の肖像』という評伝も積んであるので、そのうち読みたいです。
      2022/03/14
    • nazunaさん
      私も積ん読ばかりてすが、読みたい本が手元にあると安心しますね。
      5552さんの本棚をフォローさせて頂きました。これからも宜しくお願いいたし...
      私も積ん読ばかりてすが、読みたい本が手元にあると安心しますね。
      5552さんの本棚をフォローさせて頂きました。これからも宜しくお願いいたします。
      2022/03/14
    • 5552さん
      nazunaさん
      こちらもフォローいたしました。
      こちらこそ、よろしくお願いいたします。
      nazunaさん
      こちらもフォローいたしました。
      こちらこそ、よろしくお願いいたします。
      2022/03/14
  •  原民喜(1905-51年)は、被爆体験を元にした小説「夏の花」が代表作とのことだが、私は、彼のそうした作品を全く知らずに童話から先に読んだ印象として、こんなにも心が洗われるような純粋さや繊細な感情の機微を、日常のごくささやかな一場面に乗せている点に、いつの時代に於いても、忘れてはいけないことを教えてくれたような気がしてならない。

     また、それは彼が鉄道自殺をした事実を知ることによって、より複雑な謎や深みを帯びていくように感じられたことも大きく、そこには被爆体験や妻の死もあったとは思われるが、それだけではない彼自身の生まれてきたときから備わっているような精神的なものや、生きていく信条に幻想性も加味された、人間の持つ、時に不思議である故の生き様に魅せられた、本書に付属された別巻「毬」で、彼への溢れんばかりの思いを書いた、五人の著者の読み応えのある文章からも窺えた。

     私自身の心境を書いていくと、最初の四編は、いずれも民喜本人の気持ちを乗せているように感じられたのが印象深い。

     「山へ登った毬」は別巻のタイトルでもあるように、突然いなくなっていた毬と彼の朧な姿が重ね合わせて見える様であったし、次の「気絶人形」の『でも、こんどは一生けんめい、我まんしました』には、民喜の何か途轍もないことを為そうとする直前の覚悟を思わせられ、「うぐいす」は、唐突に終了する不思議な感覚と、やはり、ふとしたことがきっかけでいなくなる様に彼の存在が見え隠れし、「二つの頭」での『眼に見えないものだって、美しい美しい天国の絵だって、それもそのうち描けますよ』に至っては、そのまま彼自身のその後を仄めかしているようで、何とも言えない気分となったが、それでも終わり方に兄弟の微笑ましいやり取りがある点に、彼の頑ななまでの優しさや真面目さを感じられたことには、この後に自死しようとする人間の心境とは思えない、何者にも屈伏しない神々しさがあるようであった。

     そしてそんな思いを、より確かな説得力として書いてくれたのが、原民喜文学研究者の竹原陽子さんによる、原民喜とサン=テグジュペリとの共通点であり、お互いにかけがえのない友がありながらも、当時の戦争が及ぼした現実に心を痛めていた彼らは、所謂、他者の苦しみを命懸けで自らのものとしてゆく『共苦』の道を歩んだことから、死へ向かって下降する人生と、天を志向して上昇をはじめる魂との引っ張り合いが作り出した結晶が外へ弾き出されることでしか生まれ得ない、まるで死と引き換えにして手にした神々しさとも思える点に、作品としての素晴らしさは感じられたものの、本人の気持ちとしては、それで満足だったのだろうか?

     私は、自らの命と引き換えにするというよりは、お互いに生きていける道を苦しみながらも模索していきたいとは思うものの、それでも、それぞれにある時代背景や生まれ育った環境、そして、人それぞれで異なる価値観や生き方に、とやかく言いたくないものがあるのも確かだと思う。

     しかし、それが作家であれば、別巻で書かれた、古楽演奏家の須藤岳史さんの言葉、『作者は死ぬ。しかし言葉は残る』に大きな希望を感じられ、そこには、いつまでも現世に残り続ける彼の魂をそっと宿らせたような、そんな思いの丈がいっぱい詰まっていることを後半の三編に感じられ、こうした童話の並び順にまで、編者の民喜への思いが溢れているように思われた。

     「誕生日」は私の最も好きな話で、お姉さんから贈られたのが鈴という場面から感じさせる、ささやかな祝福が、いつまでも繋がってゆくような展開に、民喜の理想郷が見えるようであり、その鈴が音を立てる表現一つとっても、場面の空気感まで優しく包み込み、なんて繊細で、目で読んでいるのに耳に心地好さを感じさせる、そんな幸せの音が聞こえてくるような主人公「雄二」の瑞々しい感性は、最後まで変わらず、読み手の心にも響かせてくれる。

     「もぐらとコスモス」も優しさに充ち満ちた話で、もぐらの子どもが憧れるコスモスの躍動感を根っこに感じる点には、まるで民喜自身がもぐらの気持ちに成りきったような、彼らへの情の深さを感じさせられ、コスモスの花の色を、赤、白、深紅、白、赤、桃色と、一本一本をわざわざ個別に書いてあるのも、子どもが初めてそれを見た喜びを、より瑞々しい感性で表現したかったのだろうと思わせる、もぐらへの優しさであろう。

     「屋根の上」での、羽子板の羽子が屋根の樋に乗っかってしまい、遊んでいた子どもはそれを気にしない様子で家に入り、一人ぼっちになる場面には、やり切れない侘しさを感じたものの、その後の普段見ることのない夜空に瞬く星の存在が、羽子にとって、新たな世界を垣間見た新鮮な喜びへと変わっていく様に、明日への希望が痛いほど爽やかに伝わってくることには、却って、民喜の痛みまでもが、ひしひしと伝わってくるようであったが、そんな星達が、本書二冊を納める素敵な函に描かれたようなものであるのならば、民喜が感じていたのは、決して痛みではなく、この世の美しさを限りなく称えた、大きな喜びだったのかもしれない。

     そして最後の、「ペンギン鳥の歌─拾遺詩篇─」には、わらべうたのような楽しさがありながら、カラスがペンギンへの憧れを抱いている様に、民喜自身の思いを感じられたが、それでも最後には、カラスも自分の歌を持ち出そうとするあたり、彼自身の誇りも、決して捨て去ってはいないと感じられたのが印象深い。


     原民喜は生来の内気だったそうで、その中でも、別巻の外間隆史さんの書かれた、原爆投下後の荒廃した世界へ甥っ子を連れて行き、何も話しかけずにひたすら前を向いて、甥っ子の先を歩き続けた、民喜のエピソードは忘れられず、そこには単に内気という性格だけではない、彼の心に抱く様々な思いが垣間見えそうで、その場面が目に浮かんできては何を思っているのだろうと、つい考えてしまう。

     しかし、そのエピソードには続きがあり、その後、民喜が闇市に入っていったのを、甥っ子が追いかけていくと、だんご汁を一人で食べている彼がいて、その横には、もう一杯だんご汁が置かれていたそうで、ああ、こういうことするのだなと素直に思えたことに、彼がこのような童話を書いたことにも肯けた、たとえ表には出さずとも彼の中に紛れもなく存在したのは、決して譲れぬ、その一度きりの生き様だったのかもしれない。

     蟲文庫店主、田中美穂さんの書かれた民喜の呟いた言葉に、『ぼくはヒバリです。ヒバリになっていつか空へ行きます』があり、ヒバリが春の到来を告げる鳥であることを知ると、彼の体はこの世に無いものの、それでもいつの世にも変わらぬ季節の訪れといった、普遍的な素晴らしさへの喜びを胸に抱き続けていて、毎年春には、その知らせを告げに来てくれるのではないかといった期待も抱いており、そしてその時にはきっと、外間さんの『想画集─原民喜に─』を、嬉しそうに見ているのではないかという希望も含めて、自らの死と引き換えに残していった、純粋でささやかな優しさで満たされた作品たちが、このような形で読み継がれていることを、是非、その眼に焼き付けてほしい。

  • 詳しい事が判らないので、◆蟲日記◆:『原民喜童話集』をご覧ください、、、
    http://mushi-bunko-diary.seesaa.net/article/454741322.html

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著者プロフィール

1905年広島市生まれ。慶應義塾大学英文科に進学し、「三田文学」などに短編小説を発表。帰省中に広島市の実家で被爆した。直後の市内の様子を書き留めたノートをもとに47年に「夏の花」刊行するなど、被爆後の広島の惨状を詳細に残していった。51年に『心願の国』を遺し自殺。

「2019年 『無伴奏混声合唱のための 魔のひととき』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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