- Amazon.co.jp ・本 (357ページ)
- / ISBN・EAN: 9784991131004
感想・レビュー・書評
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美しい本だ。
本に対して「美しい」という形容詞は曖昧すぎて伝わらないとは思うのだけど、この本を一言で言うなら「美しい」しか出てこなかった。
語られる言葉の美しさ、語られる中身の美しさ、語られるものの背景の美しさ。どれも読んでいて、ただため息が出るばかりだった。
「名著」という言葉では足りないくらい、出会えてよかったと心の底から思える本だ。
長年、東北各地の村を訪ねて人々の語る民話を聞いて回った思い出話が、その時聞いた民話と一緒に語られているのだが、これは単に民話を採集して回っているのではない。
民話を語る人を訪ねて回ることであり、民話が語られる土地を訪ねて回ることでもある。
それは、民話がどのような背景から生まれるのか、どのような人が語り繋いでいったのか、民話を通じて各地の歴史とその歴史を紡いでいった人たちを訪ね知ることでもある。
その一つ一つが読んでいて愛おしくなっていく。
著者が語る民話を語る人の姿にはっとしたり、著者が指摘する何気なく通り過ぎていった民話の背景にあるものにはっとしたりもする。
本棚の一番いい場所にそっとしまって置いて、ふとしたときに手に取ってパラパラと頁をめくってみたくなる。
そんな本に出会えた。 -
一生ものの読書体験。
聴くというのは、
その人が住む土地や家の匂いや空気、
その人が纏う全てを感じ、
全てを受け入れること
ここに至ってはじめて話し手は、
聴いてもらえた実感、
受け入れられた実感を得る
この実感こそが"生きている実感"
なのかもしれない -
この本の著者小野和子さんは、出版当時85歳
50年もの間、民話を語る人のお話を聞きに訪ねている人
民話を研究したり、再話したりする人たちは、民話を語ってもらって聞くことを「採集」「採話」という。
昆虫採集の採集と同じ字だ。
でも、小野さんは、「語ってくださった方」と「語ってもらった民話」は、切り離せないと考え、「採訪」という言葉を使う
その言葉の通り、この本では民話そのものだけを語るのではなく、それを語ってくれた人、その人が住まう家や土地、そしてその人につながる人々をすべて含めて語っている。
民話とは、それを語る人を通して、営みが反映されて生まれるのだということを知る。悲しいお話だけでなく、どこかユーモラスな、おおらかな話の背景にも、実は厳しい生活があってこそ生まれるものもあることを知らされることとなる。
昔話の定番のような「おじいさんは芝刈りに行きました」の背景にあるものを初めて知った。私は何と無知だったのか……と思う。
そうか、物語とはこうして生まれるものなのだと知る。
この本を読むことができて、本当に良かった。
きっとこの本は、繰り返し読むことになる本なのだと思う。
物語に携わる人は、読むといいと思う。
特に、「読み聞かせ」に関わる人には読んでもらいたい。
きっと人に読んで聞かせることが、そのあと違ったものになると思うから。 -
小野和子さんが、宮城の語り部たちからはなしを聞くドキュメンタリー映画を観た。「あいたくてききたくて旅にでる」を読み始めたら、小野和子さんの姿が私の脳裏に浮かび、その声が聞こえてくるようだった。賢く、辛抱強く、温かく、優しく。
見知らぬ者がいきなり訪ねて来て、昔話を語ってくださいと頼んでも、不審がられるし、せっつかれても語れるものではない。昔話ではないのだが、厳しかった暮らしを思い出しては泣き、口にすることも憚られるようでありながら、とつとつと語られ始めた体験談は、その人の生きてきた歴史の中で、いつか熟成されて物語のようになって、はじめにむがすむがすとついたなら、昔話のように聞こえてくるだろう。 かのさんの語った、犬ころのカロの話は何とも胸が締め付けられた。 -
出会う人たちに向ける作者の小野和子さんの目線の優しさにウルウル。
民話といってもよくある昔話ではなく、本当の民の話。
時に優しく、時に厳しい自然に向き合い、どんな人にも生き様はあって。どれもが愛おしい。 -
民話、昔ばなしかな?って感じだけど、それだけにあらず。
むかしからの日本各地の人びとが
時に苦しい暮らしのなかで生き延びるために編み出された
不思議だったりおもしろかったり悲しかったりのお話。
物語になっていない、エピソードのように断片的なものもある。
ねずみの地下の国、浄土の話など、各地でよく聞かれるものもあるようだ。
あとは戦地に赴いた人が、死期に故郷の親兄弟に知らせるべく夢に出てくる話。
それも民話らしい。
あてもなく海辺や山合の町を訪ね歩き、むがぁしむがし、の覚えている話を聞かせてくださいと見ず知らずの人の家に行くのは、考えられないくらいキツいこと。
でもこの方、話を聞いていくごとにどんどん相手の心に立ち入っていくような不思議なパワーとスキルをお持ちのよう。
すっかり仲良くなって、度々訪ねていったり、亡くなる間際に形見を預けられたりとかで、すごいんだから。
あらためて、民話って、何。
人びとの暮らしと共にある、子どもをあやす話。語り継がれる話。
幼くして奉公に出された子どもたちが、どうにも辛くなったときに、町外れにあるそうした民話を語ってくれる一人暮らし(たいていなにか訳あり)の大人のところへ集まる、という話もあったな。
人びとのそばにある、人びとなぐさめる、人々とともにあるお話、というものかな。
かつ、どの時代にもずっとそばにあるもの。
3.11の震災のときのことも描かれている。
民話でつながった縁が、震災のあとの再会でしみじみ深いものであるとわかる。
ただの昔ばなしではなく、現代も人びとの中にある、暮らしの悲しみやそういうのを表現して共有するのが民話。
こういう、変わり者とみられるような、探訪者がいなければ、この世から消えてなくなってしまうようなお話の数々なんだろうな。研究者だね。
東北なまりが郷愁を誘う、貴重な保存版のような一冊なのであった。 -
結婚して地縁のない宮城県で子供3人を育てながら「昔話を聞かせていただけませんか」と、知らない村のお爺さんお婆さんに民話を乞い、採訪し続けて50年。
倍速で見なければ追いつかない程のコンテンツが溢れている現在では考えられないほど民話は素朴だが、その地域、語り手の背景があり、簡単には受け止められず、咀嚼しきれない。
こんな地平があったんだ。 -
聞き手の覚悟、聞くことの意味を再認識させられた。
何度でも読みたくなる。
聞きなれた昔語りの意味を改めて考えさせられた。
なぜ語り継がれてきたのか、考察も素晴らしい。