サクリファイス [DVD]

監督 : アンドレイ・タルコフスキー 
出演 : エルランド・ヨセフソン  スーザン・フリートウッド  アラン・エドワール 
  • 紀伊國屋書店 (2002年3月25日発売)
3.73
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4523215004572

感想・レビュー・書評

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  •  光あれ 旧約聖書 創世記 第1章 第3節 

    ( 8/ 8½作 No. 4)
    '86年12月29日 54歳没。

    馬齢を重ねタルコフスキーの享年を過ぎてしまった私は先達の屍を超え『ローラーとバイオリン('60)』の先へ「永劫回帰」の旅を続けるとしよう…。

    これを「客観芸術」と呼べるか?私には遥かに修行が足りない。ニーチェ最期の言葉​“母さん 私は愚かだ”が木霊する。

    こうしてアレクサンデルの世界は救われた――。
    『Offret』は「狂人」の烙印(「聖痕」)を受けた彼(「器(空(ウツワ))水瓶」)だったのだから。

    ・・・
    この映画を息子アンドリオシャに捧ぐ
    希望と確信を以って――Андрей・A・Тарковский

    ♪ マタイ受難曲・第47曲「憐みたまえ、わが神よ」 ♪

    「初めにことばありき、なぜなのパパ?」

    ――生命の樹へ水を遣る(​魚のシンボルの次は水瓶)「子」に『僕の村は戦場だった('62)』のラストシークェンスが過ぎる ・・・​ 

    タルコフスキー最後の長回しに涙を禁じ得ず――
    不意に稲垣足穂「弥勒('46)」が過り彼が江美留と重なり――林 海象『弥勒('13)』では無かったっけ。_ _)。oO

    二元論を超克する陰陽魚太極図を家紋にあしらったガウンをはおり
    足を引き摺り(「聖痕」)「供物」へと奔走する姿は彼が演じたリチャードⅢ世がニーチェの「狂愚と偶然の足で」踊る。

    ――
    … ♪ 海童道祖による法竹 ♪を奏でる audio が収納された棚の中に「成就」の証(クリスタルの灰皿の上にコーヒーカップ(聖杯・依代:俳優))が … 。
        
    アレクサンデルはツァラトゥストラからファウストへ顚倒し流出したプネウマをプラスマテへ収斂、拝受する。

    二人の秘儀は“Verweile doch! Du bist so schön.”「時よ止まれ お前は美しい」。

    オットーにメフィストフェレスを …
    ♪ 前奏曲とフーガ ニ短調 ♪ 自然のままの母の庭を改竄したアレクサンデルの懺悔に(ドルイド教の聖地)アイスランド出身の召使いマリアに聖母マリアより地母神(Gaia)を視る。

    アレクサンデルの祈りは彼が演じた「白痴」の無垢なるムイシュキン公爵の無辜の祈りの如く。

    戒厳令放送の最中 ♪ 海童道祖による法竹 ♪を奏でる audio が収納された棚の中に「鏡」とクリスタルの灰皿。 ♪ を「OFF」。

    「子供」の贈物はアレクサンデル家の模型――かの馬小屋の模型(プレゼピオ)か「供物」を暗喩するが――オットーも手伝ったならば神と悪魔のみぞ知ると謂う所か。

    オットーが「ヨーロッパの古地図」を贈り「1392 … 」と呟いたのは――
    百年戦争やペストで疲弊しフランス国王シャルル 6世が発狂した1392年頃の暗黒のヨーロッパを暗喩。
    航空機の轟音で棚からミルク・ピッチャーが落下、飛散するミルクはディオニュソス・ファウスト​的(ヨーロッパ)世界が噴出しカナンの地「乳と蜜の流れる場所」を押し流すが如し。

    オットーに悪い天使の翼が触れ ・・・
    ――

    無論『アンドレイ・ルブリョフ('67)』、誕生日の贈物「ルブリョフのイコン画集」を眺め「――こうした凡てが失われてしまった。私たちはもう祈る事が出来ない。」枯れかかった木の話と共に世界の再構築を予感。

    オットーの「ツァラトゥストラを気絶させる侏儒」の話が暗喩する、見失った「子供」に背後から不意を衝かれ「子供」を振り落としてしまい鼻血を出した姿に昏倒するアレクサンデル――「永劫回帰」には懐疑的だが、神は信じている。

    「人それぞれ … 信じるところによりて――」と去り行くオットー、「子供」に尻尾を掴まれたか?
    「初めにことばありき、なのにお前は口を利けない魚のようだ。」キリスト教のシンボルは魚。
    「毎日欠かさずに―― 世界はいつか変わる 必ず、変わる、変わらぬわけにいかぬ。」
    枯れかかった木を植えながら「子供」に問わず語りをするアレクサンデル「寒山拾得」が過るが『ニーチェの馬』のあの木がネガで此方はポジか。

    「東方の三博士の礼拝(Adorazione dei Magi)」ダ・ヴィンチ未完の傑作 … 生命の樹。

    ♪ マタイ受難曲・第47曲「憐みたまえ、わが神よ」 ♪

    オープニング・クレジット Foto Sven Nykvist(2006年 9月20日 83歳没)
    ・・・

    待ち侘びていた、スバル座だったっけ …
    彼を「映像詩人」と評する声があるが、そんな生易しいものでは無いと思う。
    「本作」は彼の「全作品」と止揚したい集大成であり「A Will ―― Epilogue」。
    私にとって P・K・ディック と双壁を成す「啓示」と「遍在」を求道する具現者。
    '87年日本公開。拙レビュー『ニ​ー​チ​ェ​の​馬』繋がりで

  • 世界の終焉間近の人間模様。
    哲学的思考の連続、その全体を包む映像美、
    なんだろー あの最後のシーンの衝撃は
    体がふるえちゃったよ

  • おじさんが子供と、海岸の枯れた木を立て直し、水をあげるシーから始まる。
    テンポ感がゆっくりのため、話を理解するまでに眠ってしまった。

  • スウェーデンのゴトランド島を舞台に、「人はなんのために生きるのか」「真に他者の犠牲となることが出来るのか」を胸に突きつけてくる作品です。主人公が自らの身を犠牲にして世界を救おうとする、象徴的なラストシーンは圧巻です。難解な作品ですが、是非覧てもらいたいと思います。

    大分大学 教育福祉科学部・大学院福祉社会科学研究科
     (分野 社会福祉、ソーシャルワーク)
    教員 衣笠 一茂 

  • アンドレイ・タルコフスキーの遺作、傑作であるが好みが分かれる映画です。

    モノクロシーンはシュールでとにかく美しい。

    なかなか映画のなかに入り込めないんです。

    タルコフスキー作品を観るコツ(そんなにしないと見えないの?)

    1.能の観劇と思えばいいです。

    能では、はじめ橋掛かりからゆっくりシテさんが現れますが、これがこれからはじまる劇時間のテンポを示しています。タルコフスキーの映画もはじめに映画のテンポを示すなんでもないシーンから始まり、ラストもシテが橋掛かりに去るように静かに終わります。(どうぞ退屈されないように、そういうテンポなんです)

    劇そのものも能のように最小限の象徴的な表現で劇的な意味を表しています。
    真剣に目をこらし、耳をそばだてなければ、見えないし聞こえない。

    2.ルネ・マグリットのだまし画を観るように

    ルネ・マグリットの画のおもしろさはだまし画のような不思議なざわめきを感じさせるところでしょうが、タルコフスキーの映画もそういうざわめきを感じます。もちろん監督の周到な計算づくで。

    なぜか空中浮遊のシーンが必ずあるんです。

    3.ナンセンスな不条理劇です

    物語はぶつぶつ切れ、劇中の会話は成り立たない。右手に去った人が左手から、一階にいるはずの人が二階にいる。観客の物語の常識を意識的に壊してしまいます。

    以上のこころの準備で観ますと、これがおもしろい映画なのです。

  • 言いたいことは分かるが……見せ方に謙虚さがない。

    しかし、白夜のショットはすごいなあ。見たことない。

    【ストーリー】
     スウェーデンの南、バルト海をのぞむゴトランド島。誕生日を迎えたアレクサンデル(エルランド・ヨセフソン)が息子の少年(トミー・チェルクヴィスト)と枯れた松の木を植えている。

     かつて「白痴」のムイシキン公爵の役等で大成功をおさめた名優だったアレクサンデルは今は評論家、大学教授として島で静かに暮らしている。「昔、師の命を守って3年間、若い僧が水をやり続けると、枯木が甦った」という伝説を子供に語るアレクサンデル。そこに郵便夫オットー(アラン・エドヴァル)が祝電をもってやってくる。無神論者というアレクサンデルに、オットーは、ニーチェの永却回帰の話をもちだす。喉の手術をしたばかりの少年は、話せない。

     親友の医師ヴィクトル(スヴェン・ヴォルテル)を案内して妻のアデライデ(スーザン・フリートウッド)が来るが、アレクサンデルは子供との散歩を続け独白をくり返す。

     ヴィクトルのプレゼントのルブリョフのイコン画集にみとれるアレクサンデル。妻は、舞台の名声を捨てた夫に不満をもっている。娘のマルタ(フィリッパ・フランセン)も、小間使のジュリア(ヴァレリー・メレッス)も魔女と噂される召使いのマリア(グドルン・ギスラドッティル)も、夫婦の不仲には慣れている。

     急に姿が見えなくなった子供を探していたアレクサンデルは、突然失神する。白夜の戸外。アレクサンドルは、自分の家とそっくりな小さな家を見つける。通りかかったマリアが、自分で作ったのだという。

     子供は2階で眠っていた。アレクサンデルが階下へ降りると、テレビでは核戦争の非常事態発生のニュースを報じているが、途中で通信が途絶えた。電話も電気も通じない。パニックに陥る人々。いつも自分の願望とは逆な結果に終わってきたと嘆くアデライデ。子供に気を使う小間使のジュリアを、感謝の気持ちを込めて抱き寄せた。

     アレクサンデルはヴィクトルのカバンの中にピストルをみつける。隣室ではヴィクトルを誘って服をぬぐマルタ。アレクサンデルの口から、初めて神への願いが発せられる。「愛する人々を救って下さい。家も、家族も、子供も、言葉もすべて捨てます」と誓う。ソファーに眠り込んだアレクサンデルをオットーが起こしにくる。そして彼は、マリアの家に行き愛せ、という。マリアを訪れたアレクサンデルは、彼女に母の思い出を話し、抱き合った。

     朝、目ざめたアレクサンデルは、光の中、神との契約を守るべく、自らを犠牲に捧げる儀式をはじめた。

     言葉を話せなかった少年が話せるようになるまでの1日を、その少年の父の行動を通して描く。製作はカティンカ・ファラゴー、エグゼキュティヴ・プロデューサーは、アンナ・レーナ・ウィボム、監督・脚本は「ノスタルジア」のアンドレイ・タルコフスキーで、これが彼の遺作(86年死去)となった。撮影はスヴェン・ニクヴィスト、音楽はJ・S・バッハ(マタイ受難曲BWV244第47曲)他スウェーデン民族音楽と海音道宗祖の法竹音楽 、美術はアンナ・アスプ、編集はタルコフスキーとミハウ・レシチロフスキーが担当。出演はエルランド・ヨセフソン、スーザン・フリートウッドほか。

  • 荒れたなかに美があったようだ
    今それがわかる

    私達は私達のような言葉を紡がない子供が欲しかった

    ただただ、命を繋げる

    祈る

  • [1986年スウェーデン・アメリカ・フランス合作映画画、TV録画鑑賞]

  • 理解できなかったけど、映像に見入ったり、短いセリフが気にとまったり、退屈せずに最後まで観た。

  • タルコフスキーの映画は小説みたいなものなんだなと思った。
    でも映像1つ1つは絵のよう。
    カットが少ないから長く感じる。
    2、3回は見たい映画。
    ”子供”がいたのかいなかったのか、それが問題だ。

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