劇場版 NEON GENESIS EVANGELION - DEATH (TRUE) 2 : Air / まごころを君に [DVD]

監督 : 庵野秀明 
出演 : 緒方恵美  三石琴乃  山口由里子  林原めぐみ  宮村優子 
  • キングレコード
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988003956516

感想・レビュー・書評

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  • 25話「Air」
    全ての使徒を倒したNERVに対し、サードインパクト発動を目論むゼーレが戦略自衛隊(戦自)を使った武力占拠を開始する。施設が次々と破壊・占拠されていく中、シンジは戦自隊員に発見され殺されそうになるが、生きる意思を失くしていたシンジは抵抗すらしなかった。それをミサトが寸前で救出するが、移動中に銃撃に遭って負傷し、シンジにEVAで戦うよう言い残す。一方、廃人状態だったアスカは覚醒し、EVA弐号機で戦自の部隊を壊滅させるものの、ゼーレが送り込んだEVA量産機9体の襲撃を受ける。

    26話「まごころを、君に」
    シンジを乗せたEVA初号機を依代としてサードインパクトが始まる。これによって人類は個体の生命体としての姿を保てなくなり液化して崩れていき、その魂は「黒き月」に集められる。初号機はレイやカヲルの姿をとる巨人(第2使徒リリス)に取り込まれ、シンジはレイとカヲルに再会する。そこでシンジは人類が単体の生命となることを望まず、それぞれの個人がいる従来の世界を望む。
    親友になれたはずの渚カヲルを殺し無気力状態になってしまった碇シンジ、使徒との戦いで精神崩壊したアスカ、人類補完計画の鍵を握る綾波レイ、加地リョウジの遺言を果たすため人類補完計画の謎を探る葛城ミサト、碇ゲンドウへの報われない思いにケリをつけるため最後の行動を起こす赤木リツコそれぞれの魂の結末が、ゼーレや碇ゲンドウが別な目的で引き起こそうとする人類補完計画の顛末とエヴァンゲリオンの戦いの中で描かれる。エヴァンゲリオン弐号機と量産型エヴァンゲリオンの壮絶なバトルは、迫力満点でアガる。
    エヴァンゲリオン弐号機の中にある母親の魂に認められるために戦略自衛隊や量産型エヴァンゲリオンと戦うアスカ、人類の未来を良い方向に進めるためシンジを命懸けで守るミサト、女性の戦いに信念と命を掛ける生きざまに比べると、寝たきりのアスカにすがろうとしたり「人類の魂が一つになれば不安もなく安心して暮らせる」と人類補完計画に手を貸すもののそれは独り善がりな夢と気付いてしまうシンジには情けなさがある。それは現実に向き合わず虚構に逃避して自分一人の夢に浸っていようとするアニメオタクとの合わせ鏡であり、エヴァンゲリオンを作った庵野秀明さんそのままの姿。
    そんなシンジが傷つくのが分かっていても他人がいる世界を望めたのは、自分と真剣に向き合ってくれたミサトや友達になれたトウジや使徒との戦いで協力し合えたレイやアスカとの楽しい幸せな思い出があるから。
    「僕は、もう一度会いたいと思った。それだけは本当だと思うから」
    ただ、アスカに向き合った時に恐怖が先にたってしまったのは、人と向き合うことの難しさと希望が表れてる。
    旧劇場版は、人と向き合うことに対しての難しさに足踏みしたところで終わったが、公開が待ち遠しい「シン・エヴァンゲリオン」でシンジの魂の終着点がどういう場所なのか、今から楽しみです。

  • 初ヱヴァンゲリヲンです。総集編ということで本作観ました。
    科学者の父親の命で、人類を救うべく人型ロボットに乗り込んで活躍する少年、
    という設定は、昭和のロボットアニメを観て育った世代としてはとても懐かしく感じます。
    あの頃からTVアニメは、軍歌調の主題歌だったり、若い命を燃やすのさ、的なテーマでしたけど。
    アムロ、カミュときて、エヴァの少年少女達。こじらせましたね。日本のアニメは。

    純真無垢な少年少女に人を、友を殺めさせる。
    そうさせているのは彼ら彼女らの親であり、拠り所となる大人達。
    この嫌悪感、この図式は、まさに現実世界の戦争状態の国そのものだ。

    それにしても人物といい、用語といいい、この作り込まれた世界観・設定。凄いですね。
    他者からの承認欲求が満たされない葛藤、魂の宿り木としての肉体の存在、肉体を超越した永遠の魂の在り方、
    完全な人類の在り方は完全な同一体なのか異なる集合体なのか、
    宗教・科学・個人の想い各々のアプローチとそれに絡む組織・思惑が複雑に幾重に絡み合う設定。
    作り込んでますね。そしてそれら全て実は作者一個人の内面的葛藤の吐露かもしれないことへの共感。
    う~ん。私小説に触れた読後感。

  • TV版は、以前一通り鑑賞済み。こちらの旧劇場版はまだ見ていなかったのでシンエヴァのロードショーも始まったところなので観ることに。

    TV版の最後は、碇シンジが何故か皆んなに祝福されて終わるという物議を醸した終わり方で、当時観た僕も衝撃を受けたのは覚えている『何なんだこの終わり方は…』と。

    この旧劇場版は、この終わり方の伏線を回収すべく作られた映画という事で楽しみに見てみたが、結局こちらも『何なんだこの終わり方は…』と言うことは変わりなかったw

    どう解釈して良いかわからなかったのでGoogle先生に聞きまくったが、これがエヴァらしい。
    確かに僕の中二レベルは上がった様な気がするので良しとしよう。

  • あー、やっとこさ、
    そういうことだったのかと、
    終わった感じがあるのだが…

    きもっ!!
    きも!きも!!

    言いたいこと、為したいことはわかるけれど、
    エヴァ部隊の最終的な顔、
    センスがないと思うのですよ。

    わーきゃーなっていたけれど、
    あーー、きもっっ。
    終わり方も、
    あれしかなかったと思うから、
    だからこそキモい。

    結局エヴァンゲリオンは、
    キモいが結論www



    この気持ち悪さを言語化するならばやはり、
    どこまでも一体化願望を目指し、
    しかしそこから自立するはずの物語なのに、
    そこに希望がないからか?

    世界で孤独でいられるのは、
    孤独ではないと知っているからというのは真実だが、
    本当に世界が破綻してしまっては、
    意味を為さないのではないか。
    これはシンジ君が、
    完成する物語ではない。

  • 戦闘シーンがとても面白い。
    ラストの盛り上げ方もとてもよい。

  • もう憶えた。
    笑ってしまう場面多々。

  • このアニメを夕方のお子様時間帯にやっていたことが驚き。暴力とエロの描写が、いろんなことを知ったオトナ向けと思う。なにも知らない頃に見て衝撃をうけて、これを基準値にしてしまうとちょっと現実離れして戻ってこれない気がする。シンジくんのように『エヴァにのる』という使命などたいていの少年にはないから、自分の生きる意味を考え込み過ぎたりね。わたしがいま27歳で働いていて見るから落ち着いて見れたかも。感受性強くて経験値は低い10代ー20代前半に見てたら、ハマりすぎるかも。謎や世界観の構成要素がたくさんあって深読みし放題なところもハマる要素たっぷり。
    何はともあれ、しんどくても、たった1人よりは他人の間で生きるほうがいい、と思わせてはくれますね。

  • 中盤の、使徒を次々に倒していくアクションシーンがメインの部分は、ちょっと魅力がわからないなあ、と流し見。アクションは嫌い。なにも心が動かないので。しかし、そんな中でもシンジ君のダメっぷりが通奏低音のように流れていて、終盤の悲劇へと期待が高まる。
    終盤は、期待以上だった。なにも知らない子供たちが、私利私欲にかられた大人たちに利用され、大義なき戦いを強いられる、的な「無垢な子供たちの悲劇」として終わるのかなあ、となんとなく考えていたのだけれど。人類補完計画とは、人間の心の欠落を埋める、というものだった。人はみな寂しさを抱えている、それは心に欠落があるからだ、人間は本来的に不完全なものだ、とばっさり能天気な幸福論をぶった切っちゃう潔さに、心が震えた。完全になるためには、絶対的な幸福を手に入れるためには、自他の境界を消滅させればいい。それが人類補完計画の完遂。しかしあれだけ、自分の心の寂しさに、他人の心との壁に苦しんでいたシンジが、その結論を受け入れることができない。ラストの泣きながらアスカの首を絞めるシンジ、でも殺すことはできない。アスカが「気持ち悪い」と吐き捨てる。というシーンに妙な希望を感じた。他人なんて理解できない邪魔な存在。すべての苦しみは自他の境界から生まれる。でも他人を殺すことはできず、自分を殺すこともできない。軋轢を繰り返して、すすり泣きながら生きていくということ。その救いのなさ、大義のなさに、なぜか絶望の果ての希望を感じた。それこそが生きていくということ、それでも生きていくということ。
    作者の意図はそこではないのかもしれないけれど、私は勝手に勇気づけられたので、この作品を見てよかったです。
    そして、かの綾波レイなる人物は、いったいどんなキャラクターなのか興味があったのだけれど、いまいちその人気の根拠が腑に落ちず。いや別に嫌いではないのだけれど。そこまで圧倒的な魅力をもっているのだろうか。ミサトやリツコの方が、女性として魅力があるように感じるのだけれど…男心わからず。

  • 旧劇場版をいまさらながらにして見る。一応、テレビシリーズも一気に観た。漫画であらすじは知っていたものの、細かくは知らなかったが、個人的には押井と庵野は一緒に括れる監督かもしれないと感じる。彼らは確かに哲学観を売りにしているのかもしれないが、彼らの哲学観は表層をなぞっているに過ぎず、非常に浅い。この浅さで揺さぶられるのは、たぶん大学生あたり(あるいは高校生)までだろう。別に作品自体を卑下しているわけではなくて、作品自体は素晴らしいと思うのだけれども、やはり深く深く掘り下げてしまっては、ストーリーの方向性がずれてくるというところもあるのだろうし、そもそもこの両監督共に彼らが意図的にはそれほど哲学的に深い場所にいるわけではなくて、むしろ、彼らが表現するものが彼らの才能もあってか、深みを内包しうる可能性をもった世界観を成立させうるということだろうか?作品自体が深みへともぐる可能性を内包していることは間違いないし、ただ作品の上でなぞれるのはあくまで浅い部分までということである。とはいえ、押井のわざとらしさに比べれば、庵野の方が巧妙だと感じる。ただし、エヴァで言わせてもらうならば、やはりストーリー自体が完全に破綻している。恐らくは辻褄あわせみたいな部分を欠いて、ストーリーを描いてしまったのではないだろうかと感じる程度には破綻しているし、その破綻した部分がかえって、この作品の世界観をより広いものであるように錯覚させてしまったのではないかとすら感じられる。

    ともかく、最終的にシンジとアスカの二人が生き残ったわけなので、二人がアダムとエヴァとなるということなのだろうかね?なんとなくあの二人なら別に二人しかいなくとも生きていけそうではあるけれどさ、いまいちヒロイン像も定まりにくい。レイ、アスカ、ミサトの三人がヒロインなのだろうけれど、アスカ以外は、母親としての役割も持っているので、やはりヒロインというとアスカとなるのかもしれない。その証拠に、シンジにとっては性的対象=アスカだったわけで、レイでもミサトでもなかったというのが、シンジの意識のベクトルみたいなのを表象しているような気がする。ミサト=家族(姉、母、恋人)、レイ=もはや定型では括れないカテゴリー(強いて言えば、懐かしい存在)、アスカ=異性といった具合だろう。ともかく終盤の悲劇的な展開は明らかに庵野の心的状態を表象しているのかもしれない。もはや、めちゃくちゃである。ただ、こういう世界観は分裂症的世界観を経験した人間なら誰しもが持ちうるものであり、それをこういった形で大々的に表現できた彼は幸せなのだろうとは思う。幅広い共感も得られたわけであるし。言ってしまえば人類保管計画=庵野の精神的混乱の統一作業とでも言えるわけで、しかし、彼は最終的にはそれを統一せずに混濁したまま生きることを選んだとも言える。とりあえず、文句としてはカヲル君が色々な意味であまりにも性急すぎること、映像を省くためのテロップの乱用、総集編のやる気のなさ、聞きかじったレベルの哲学やら臨床心理用語の頻発だろうか?

  • エディプス親父のゲスい陰謀を直感的に察知してか
    必死に戦闘を拒絶する碇シンジ君の闘いはあまりに孤独だったよ

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