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- / ISBN・EAN: 4988102007935
感想・レビュー・書評
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~★~●~*~ ジェノサイドぉぉぉ!!~●~*★~
いいですねぇ~、ニコール・キッドマン!
いまいち苦手なラース・フォン・トリアー監督でしたが、
この作品はブラボー!ですね。
すべては偽善者トムの陰謀だ、
こいつ村民達を「人間の崩壊」というテーマで操り、
よそ者グレースをモルモット材料に使った。
グレースがなにをされたかは言えないが、
最後の最後に
「こんな村は地上から消えた方がいいのよ」とグレースは、
ジェノサイド決行。
一人残った偽善者トムのもとへ近寄るグレース、
「バイバイ、トム」バキューン~!!pistol
実はグレース、大物の娘だったぁ!
ずっと吠えていた犬がここでやっと姿を現す。
斬新で超面白い詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
DVD
とても恐ろしい映画だ。
この映画は、実験的なセットで撮影された。広いステージの上に簡易的に作られた町の中で劇が繰り広げられる。
貧しいながらも穏やかで平和な村に、一人の美しい女が現れる。女という異質な存在によって、村人たちが段々と傲慢になっていく姿は恐ろしく、胸に迫ってきた。
やがて味方が一人もいなくなった時、弱者だった女の立場は逆転する。その時女までもが復習の鬼と化し、傲慢の塊になるのだ。
町は焼き払われた。傲慢はどこへいったのか? -
黒い床に白のチョークで描いた枠線と説明書きだけの奇妙な舞台。
建物は一部だけが設置され、ナレーションのジョンハートが人物心理まで解説しながら物語は進む。
知らずに見たから、初めはメイキングかと疑った。物語は飽きるほどの長さ。それでも、進むにつれて舞台の違和感が剥がれ落ちて自然に感じた。結末はそのまま犬みたいな、いや、犬以下かもしれない。
しかし何よりニコールキッドマンが絶世の美女。惚れる。 -
公開当時、映画館にて鑑賞。
限りなく簡素化された舞台が、
不思議とその土地に見えてくるから、
奇妙な面白さ。
暴かれる人間の業の果て。 -
ロッキー山脈の麓にある孤立した村、ドッグヴィル。村人は23人。そこにひとりの美しい女性、グレース(ニコール・キッドマン)がやってくる。自称作家の青年トム(ポール・ベタニー)は、村人たちに彼女をかくまうことを提案。
グレースはトムの計画に従い、無償で肉体労働を始め、徐々に閉鎖的な村人たちの心を開いていく。
とりあえず村の一員として認められた彼女だが、やがて警察からの手配書により、強盗に関与している疑いをかけられ、村人たちの態度は急変。
村人たちはグレースを奴隷扱いするようになり、りんご農園を経営するチャック(ステラン・スカルスゲールド)は、彼女をレイプする。
そのことを知ったトムは、村からグレースを逃がそうと決意し、トラック運転手のベン(ゼルイコ・イヴァネク)に協力を頼む。
しかしベンは裏切り、グレースは村人たちに逃亡防止用の重い首輪をはめられた。連日のように重労働を課せられ、男たちに弄ばれるグレース。
ついにはトムまでも彼女との肉体関係を望むが、グレースが断ったため、傷ついたトムはギャングに通報。やってきたギャングのボスは、グレースの父(ジェームズ・カーン)だった。
グレースは彼と議論の末、自分が家に帰る代わりに、ドッグヴィルを全滅させるよう要望を出す。
ギャングの部下たちは村に火を放ち、村人たちを次々と射殺。そしてグレース自身は、トムを射殺するのだった。
ラース・フォン・トリアーが、「アメリカ3部作」の第1作として制作した衝撃作。
最初は逃亡中のグレースを役割分担した労働と引き換えに受け入れグレースに住民同然の待遇をするが、グレースに疑惑が生じると彼女の不利な状況に乗じて重労働を科したり体を迫ったりするドッグヴィルの住民の異なる者に対する排他的な形だけの隣人愛や共同体意識を通して、寛大な隣人愛に満ちているはずのアメリカの人々の排他的な共同体意識を批判し、アメリカで公開された時にヒステリックなほど批判された。
純朴だが欲に弱いベンやチャックの分かり易いゲスいキャラクターだけでなく、隣人愛を説きながら自分の小説のことしか考えられないトムなどドッグヴィルの住民の偽善者ぶりがリアルだし、アメリカに対する強烈な批判になっている衝撃のクライマックスは論議を呼ぶもの。
ニコール・キッドマン、ポール・ベタニーの熱演が、印象的。 -
内容は相変わらずしんどいのだけど、スタジオの中でセットも組まれず舞台演劇のような今作の手法はかなり好き。
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ナチスが撮った映画、と言われたら信じてしまいそうだ(「反」ナチス、ではない。念の為に)。ネタを割ることは控えるが、基本的には「赦し」の果てにこのようなバッドエンドが待っているということ、逆に言えばバッドエンドが監督にとっての「赦し」であること、これは糾弾されるべきだろう。私は人間がどれほど愚かしくても生きることは尊いと思っているので、民族浄化を連想させるラスト・シーンに(しかも、それを誠実さの証と思い疑っていない監督に)改めて憤りを感じた。ただ、エンターテイメント性は高い。ラース・フォン・トリアーにとってこの作品はさながらドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』のような、己の全てを賭けて書き殴った究極の一作なのではないか。ここで描かれている問題、問われている事柄はアクチュアル。それを見せた手腕は買う。だからこそ、この映画は批判されなければならない。
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演劇舞台的白線構成な町並みが(観なきゃ意味分かるめぇ)効果的で閉鎖的且つ筒抜け、とても小規模な人間社会を表している。かなり特殊。「ミスト」「セブン」並みに鬱展開と聞いていたが、聞いていた所為か逆にスカッとしたラストだった。とても面白かった。が、再見は御免だ。
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ほんまに、人の醜さ残酷さを描くのが好きな監督やな(><)
胸糞悪いが、癖になる(笑)
ヤバい映画だよ…(^^;)