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- / ISBN・EAN: 4907953015159
感想・レビュー・書評
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VIVRE SA VIE
1962年 フランス 84分
監督:ジャン=リュック・ゴダール
出演:アンナ・カリーナ
女優になる夢を諦めきれず夫と離婚、子供も捨ててきて今はレコード店でバイトしているナナ(アンナ・カリーナ)。売り込み活動はしているが成果はあがらず、困窮したナナはふとした流れでゆきずりの男に体を売る。やがて娼婦となったナナは…。
とにかくアンナ・カリーナが可愛いだけの映画。ルイーズ・ブルックス風のボブを真似してみたいけれど、アンナみたいに可愛くはならないだろうなー(苦笑)
ファッションや映像はとてもおシャレだし、ポーの引用、たまたまカフェで話しかけた哲学者との対話など興味深い部分もたくさんあるけれど、内面的にはこのヒロインに共感するのはちょっと難しい。あんなに美しいのに、夢に破れ、娼婦として堕落していき、みじめな最期を遂げる。容赦ないラスト。
それでもやっぱりアンナが可愛いからまあいっか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
久々に観直した。ラストシーンのなんとクールなこと!
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最高!ひとりの女性が身を売っていく過程を冷静な視点で描きつつも、その中には論理では割り切れないような感情を描いているところが好きだった。主人公が「裁かるるジャンヌ」を見るシーンやこの作品自体の構図から「裁かるるジャンヌ」をなぞっている感覚にもなった。
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ゴダールの映画は難解なイメージがあって、この作品も哲学について語らっていたり、詩の朗読があったりわたしには解釈が難しかった。夫と離婚し、映画女優を夢見てパリにやってきたアンナ・カリーナ演じるナナが、最初はレコード店の店員、そしていつのまにやら娼婦へと身を落としていくというお話。ドキュメンタリー風に淡々と描かれている。哀愁漂う挿入歌が何度も流れる。登場人物の後ろ姿だけを映していたり、カメラワークが独特な感じ。アンナ・カリーナが可愛い。この映画でのアンナ・カリーナの黒髪ショートボブや服装がお洒落。瞳が印象的な女優さんだなあ。「女は女である」、「アルファヴィル」も観たいです。
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「三銃士」は読んだかね? つまり・・・ポルトスという人物が・・・これは「二十年後」の話なのだが、太った大男が出てくるだろ。 彼は一度も考えたことがない。ある時、地下に爆薬を仕掛けることになった。そして、導火線に火をつけ、逃げた。その時、突然考えた。なぜ右足と左足が交互に前に出るのかと。そう考えた途端に急に足が動かなくなった。爆発が起こり、地下が崩れた。彼は強い肩で必死に支えたが、1日か2日後には押しつぶされて死んでしまう。考えたために死ぬんだ。
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私はすべてに責任があると思う。自由だから
手をあげるのも 私の責任
右を向くのも 私の責任
不幸になるのも 私の責任
タバコを吸うのも 私の責任
目をつぶるのも 私の責任
責任を忘れるのも 私の責任
逃げたいのもそうだと思う
すべてが素敵なのよ
あるがままに見ればいいのよ
顔は顔
お皿はお皿
人間は人間
娼婦は美しくなくてもよい
娼婦は医者と警察の管轄だ
金を払うかぎり 娼婦は客を選べない
衣装と化粧と身振りでその目的を明確にする
考えた為に死ぬんだ
言葉は愛と同じだ
でも何かが通じ合う
考えるために話し合う
人生はもっと簡単なはずよ
人生をあきらめた方がうまく話せるのだ
話すことはもう一つの人生だ
話すことは、話さずにいる人生の死を意味する
話すためには一種の苦行が必要なんだ
だから人間は揺れる沈黙と言葉の間を
それが人生の運動そのものだ
日常的な無意識の人生を抹殺することだ
誤りと嘘の間に大きな差はない
もちろん日常的な嘘は別だよ
5時に来ると言って 来ないのはトリックだ
正しい言葉を見つけること
つまり何も傷つけない言葉を見つけるべきだ
誤りを通じて
真実に到達させるためだ
ライプニッツの充足理由律
永久心理に対する真実心理
日常的人生
現実は矛盾も可能な世界として認識されうる
愛は常に真実であるべきだ
純粋な愛を理解するには成熟が必要だ
探求が必要だ
だから愛は解決になる
真実であれば
目をつぶった
考えるための衝動的な動作だった
錯覚でない事を確かめ
そして冷静に 的確に 見つめるためだった
また私は肖像画をじっと見つめた -
非道い売春婦のお話。
演出、おもしろいねー。 -
1962年 フランス
原題:Vivre sa vie: Film en douze tableaux
監督:ジャン=リュック・ゴダール
出演:アンナ・カリーナ、サディ・レボ
音楽:ミシェル・ルグラン、ジャン・フェラ -
殺すことによって意味を強調するのはいいけど、パターン化していて少々飽きるゴダール作品
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登場人物が徹底して突き放されている感じ。映像がきれい。
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2008/10/19
アメリカや日本の映画にはない、
独特な雰囲気の作品でした。
最後までつかみどころがない、
ナナ(アンナ・カリーナ)の言動に
なにか惹きつけられるものがあります。
何度か見直してみたいです。 -
エミール・ゾラの有名な小説『女優ナナ』を元に作られたそうです。
ゾラの作品は娼婦から女優になりますが、ゴダールは女優から娼婦にしてます。
鏡に映る女と男、カメラに背を向けるシーンなど、撮影方法が素敵だったので、撮影監督を調べたところ、ラウール・クタールという有名な方でした。『勝手にしやがれ』や『ピアニストを撃て』の撮影監督もしていたそうです。 -
ゴダール監督。12の短編が繋がることでゆるやかにストーリー(のようなもの)が現れる。左頬→正面→右頬→背面で始まる冒頭には唸る。他にも、背面から撮って表情を見せずに会話させたり即興で撮った(らしい)哲学トークなど。が、結末が理解できなかった。どうして!
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心地よい。
ただそれだけのことなのに、
それがあまりにも大きくて、
この映画の偉大さを、
ただただ痛感する。
心地よさ、その前においては、
ストーリーなんて不要。
『誤りを辻手真理に到達する』
『純粋な愛を認識するには成熟が必要だ。経験からこれが好きだという。曖昧で雑多な概念だ』 -
アンナ・カリーナはやっぱり素敵だ。でもこの作品のアンナは、薄幸な娼婦の役柄のせいか、いつもどこか悲しそうに見える。そのせいで、余計に美しいんだろうなぁ。
(1962年 フランス) -
とりあえずアンナ・カリーナがかわいかったなって印象。
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1962年。フランス。
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製作年:1962年 製作国:フランス 時間:84分
原題:VIVRE SA VIE
監督:ジャン=リュック・ゴダール
(4.0点) -
ファッションもすき。
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アンナ・カリーナびいきなのです。
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自分の人生に徹底して責任を持ち、生きた、というナナの高潔さ。
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二度目なので、さいしょに解説みればよかったかもな。
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女優になる夢にも敗れ、娼婦に身を堕とした女・ナナの姿を<br>12のエピソードで綴ったドラマ
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モノクロのカリーナがこのうえなく美しい。