- Amazon.co.jp ・映画
- / ISBN・EAN: 4988113757898
感想・レビュー・書評
-
ミルという名の酒場から飛び出してきた若い男が、公衆電話から警察にレイプ事件が起きていると通報、彼の後を追うようにミルから出てきた半裸の女性が通りで必死に車を止めてそれに乗り込んだ…。
被害者の名はサラ・トバイアス(ジョディ・フォスター)。
酔ってマリワナも吸っていた彼女を3人の男達が犯したのだという。
サラから事情を聞いた地方検事補キャサリン・マーフィ(ケリー・マクギリス)は、彼女とダンカン保安官(テリー・デイヴィッド・ムリガン)を伴ってミルに行き犯人達を確認する。
やがて事件の捜査は進み、犯人側の弁護人が真っ向から戦いを挑む姿勢を見せたことにより、キャサリンは様々な証拠を基に裁判の状況を予測するが、被害者に有利なことは何1つなく、彼女は渋々ながらも、3人の容疑は過失傷害との裁定の取引きに応じた。この事実を知ったサラはキャサリンを激しく責め、深く傷つき悲しみにくれる。
そしてそんな彼女を、レイプの際犯人達を止めるどころか暴行を煽ったクリフ(レオ・ロッシ)がからかい、彼のトラックにサラは何度も自分の車を激しくぶつけるのだった。
傷つき入院するサラを見舞ったキャサリンは、身も心も打ちひしがれてしまっている彼女の姿に、女性として検事として真にあるべき道を教えられ、再び事件を裁判の場で争う決意を固めた。
レイプを煽り、そそのかした男達を暴行教唆罪で告発しようという彼女は、サラの友人でミルのウエイトレス、サリー・フレイザー(アン・ハーン)に暴行教唆犯を特定してもらうが、その際サラが事件直前、暴行犯の1人、大学生のボブ(スティーヴ・アンティン)と寝てみたい、とサリーに言った事実が明らかになる。
窮地に立たされたキャサリンは、事件の夜警察に通報した若い男ケン・ジョイス(バーニー・カールソン)を探し出すが、彼はボブとの友情から真実を話そうとしない。
そして遂に裁判の日、サラが証言台に登った後、証人として事実を語るのはケンであった。
彼の口から語られ自白のもとにさらされたショッキングな事実は陪審員の心を動かし、暴行教唆の罪は認められ、それは同時に、サラに対する暴行の事実まで明らかにする判決となったのである。
現代のアメリカが抱える深刻な社会問題に真っ向から取り組んだ社会派サスペンス映画。
主演のジョディ・フォスターが体当たりの演技でアカデミー賞主演女優賞に輝いた意欲作。
この映画でテーマになっているのは、婦女暴行がいかに女性の心身を傷つける卑劣な犯罪であるか、裁判において犯罪の細かい状況や女性に責任はないのか問い詰められるセカンドレイプ、社会的立場の違う女性検察官と被害者の対立と友情、裁判で被害者がお酒を飲んでいたかどんな服装をしていたかが不利に働くという理不尽な面、躊躇していた加害者の仲間が加害者に挑発され加わってしまうという男性性の悪い面、婦女暴行という犯罪と裁判を告発する傑作社会派サスペンス映画です。ジョディフォスターの熱演が、印象的です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
当時見た時は乙女心に衝撃でした。
機会があり、最近また見たんだけど当時よりは
少し考えて見れましたね。
昔はなにがなんでも許せない!と思ったけど、
今回は状況が状況で本人もやばいと思えないんだろうか?
と冷静になれました。。いや、例え裸で歩いていようと
相手の了解なしにするって事が許されないんだけど
目の前に財布が置いてあっても取っていい事にならないのと一緒。
でも出来心ってあるじゃない。
だから、本来は不本意な話だけど自分でも防御しておかないと
ダメでしょ?と思うのは自分が年をとったからかも。
結局そういう事をする人は絶対存在するんだから防御するしかないじゃん!
なんだかんだ言っても当時は思春期で親に注意されても
冬でも生足ミニスカート派だったのに。
今じゃまったく考えられない(^。^;) -
2016/09/15 初出
関連リンク 見逃した名作も見つかるかも…? #女性映画が日本に来るとこうなる が「どうしてこうなった」続出 - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/1024317 -
女が主体の社会だったら、レイプなんて死刑だと思うのだけど。
レイプした時点で100%「やった方」が悪いと私は考えるけど、確かにサラも無防備だしむしろ誘ってたよね、という態度。でもだから無理矢理犯していいという理屈には絶対にならない訳で、口を塞いでいるのが自覚のある証拠だし、最低だな、となります。
サラの恋人が「早く忘れろ」とぞんざいに言うけど、男だなあと思いました。 -
ケイシーが気に掛ける肉親もいない娼婦たちを「最初から存在しない」って言ってたのめっちゃむかついたけど
自分も指しているならいいセリフだな~と思う
倫理観なんて並列化できないよなあ -
1988年公開
監督 : ジョナサン・カプラン
==
ある女性の暴行事件を巡って、被害者女性と弁護士の葛藤と共闘を描いたお話し。
女性の尊厳についてのお話し。出てくる男性が総じて、どうしようもないというか、イケてない形で描かれるのがとても象徴的というか、清々しいくらいで。ここまで描き切っちゃうっていうことで見えてくる「世界の見え方」があって、特にまだ88年のアメリカにおいて、すごく意味があったんだろうなと思います。
アカデミー主演女優賞はジョディ・フォスター。演技うまいし体当たりだし、やっぱりアカデミーはこういう役が好きみたいですね。 -
レイプが社会問題化され始めた頃だから価値があった作品
今でも見れるけど普通としか言いようがない。
事件の裁判を個人のものとして扱うDQNの被害者と、正義を通すためと考える検事の差異は面白い。
私はどちらかというと検事側に立って観ていたため、妙な温度差に感じられた。 -
これまで何度も号泣しながら観ているが、
今夜久しぶりの鑑賞。
心的外傷の研究が、
まだまだここからだという時代のアメリカで、
性被害と、女性の権利と、
勇気ある告発とが、
辿り着く結末には、
さらに多くの傷つきがあるのだが、
そこには深い深い意味がある。
*
30年近く前ですか?
ジョディ・フォスターがとんでもなく可愛い。 -
被害者に落ち度があるからといってレイプは許されるわけはないのですが、陪審員の心証の点で裁判が維持できないのは厳しい現実。でも、レイプの実行犯が司法取引で軽い罪になった後で、レイプを周りで煽動した男たちを教唆犯として起訴するという展開は法廷ミステリーとしての新味がありなす(その裁判自体はとても単純で、サプライズはありませんが)。
映画全体の構成にも工夫があり、証言だけで事件を追っていたところに、最後の法廷で初めて壮絶なレイプシーンの映像を入れたのは効果的だったと思う。 -
レコード屋で煽ってきた男がムカつきすぎてテレビぶっ壊しそうになった。