妾の半生涯 (1983年) (岩波文庫)

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感想・レビュー・書評

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    (2014年1月17日)

    届きました。解説を読みました。時代に抵抗し、しかし、流されていく個人。
    激流。
    (2014年1月20日)

    読み始めます。新幹線の中で。
    (2014年1月22日)

    前半は、爆弾テロ(未遂)の話。
    これは、フィクションみたいな面白さ。

    この文体には、病みつきになりそう。
    (2014年1月22日)

    読みながら、今日はニュースも見てないと、テレビをつけたら、NHK9時の番組で、冒頭から野球の話をしている。
    福田英子なら、これをどう思うだろう。
    (2014年1月22日)

    大爆笑。
    「容貌醜矮突額短鼻一目鬼女怪物」(100ページ)
    (2014年1月22日)

    「生死(しょうし)の岸頭に立って人の執るべき道はただ一(いつ)、誠を尽して天命を待つのみ。」(135ページ)
    (2014年1月22日)

  •  十一月九日、四天王寺の南大門が百八十年ぶりに本格的に再建された。この南大門のすぐそば、四天王寺の東側に、通称もみじ寺で知られる「寿法寺」があり、この境内に高さ二メートルの自然石に彫られた「大阪事件犠牲者の碑」が訪れる人もなく、ひっそり建っている。
     明治中期に起こった自由民権運動の波は、明治維新のあり万に不満を抱く民衆の支持を得、大いに盛り上がったが、その活動家たち二十余名が起こした「大阪事件」から、今年の十一月でちょうど百年にあたる。
     「大阪事件」とは、朝鮮を清国から独立させ、民主改革をさせようと、当時朝鮮を支配していた閔(かん)一派爆撃をもくろんだもので、この計画に加わったただ一人の女性、影山英子は、完成した爆裂弾を大阪まで運んだ。が、この計画は中心人物が失踪したり、苦心して集めた軍資金を遊廓で使い果たすなどしている内、大阪で官憲に捕まってしまう。
     世論は英子を自由民権運動の闘士、東洋のジャンヌ・ダルクとたたえ、帝国憲法発布の大赦令により出獄した英子の歓迎ぶりは、異常なほど熱狂した。
     だが、壮士のうち四人は獄中で死亡。この四人の記念碑が先に紹介した大阪事件犠牲者の碑である。
     さて、自由と民主主義を求めて自由民権運動に参加した英子は、監獄で貧困のため罪を犯した人々と接する内に、しだいに社会主義に目ざめてゆく。折しも、自由民権運動は政府の買収や弾圧にあって下火となり、かっての活動家も今や政府の先兵となり下がっていた。
     こうした男たちの腑甲斐なさに怒りを感じた彼女は、やがて平民社の社会主義者、石田三四郎と恋愛に陥り、明治四十年には「世界婦人」という、日本最初の社会主義的な夫人雑誌を発行するようになった。
     女性解放の先駆者であり、「青踏」の創始者でもある平塚らいてうは、自伝「元始、女性は太陽であった」の中で景山英子について、こう述懐している、「見るからに生活苦を刻んだような嶮しい人相が、まだ二十代の若さのわたくしには、ちょっとたじろぐ思いでした。けれどもジメジメしたところは少しもなく、老いた女壮士といった風格はどこかにありました。御自分の過去について、ことに一番血を湧かした若い時代の、自由民権運動の話しになると、いきいきと目を輝かして話をするのでした。」
     英子が書いた「婦人問題の解決という論文のために、青鞜三号は発禁処分となる。男性に裏切られた不幸な結婚生活、石川三四郎との恋愛破綻、晩年には息子を肺患で亡くし、闘士としてのみならす、女性として母親として悪戦苦闘に終始した景山英子の生涯だが、封建思想が色濃く残っている明治時代の前半に、男と同等に政治を論じ行動に走り、女性の自立には経済的裏付けが必要であるとの信念のもと、実践を貫いた英子は、現在でも女性解放運動の草分けと高く評価されている、
     「妾の過ぎ来し方は瑳鉄のうえの蹉跌なりき、されど妾は常に戦へり、蹉跌のためにかって一度も怯みしことなし」(「妾の半生涯]より)景山英子思想は、その後青踏の女性たちに受け継がれてゆく。

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