メルロ=ポンティ (1983年) (20世紀思想家文庫〈9〉)

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  • 港道が執筆している「内篇」は、メルロ=ポンティの生涯と思想の紹介に当てられている。他方、廣松が執筆している「外篇」は、廣松自身の哲学的立場からメルロ=ポンティの思想との対決をおこなっている。

    「内篇」は、木田元の『メルロ=ポンティの思想』(岩波書店)をよりコンパクトにしたような内容で、手堅い解説になっている。

    「外篇」では、ヘーゲルやマルクスの弁証法的・批判的思惟を受け継ぎながら独自の哲学を築いた廣松が、一方ではみずからの思想とメルロ=ポンティの思想がきわめて近い問題意識から出発していることを認めながら、他方で現象学的な思惟の限界を抜け出していないメルロ=ポンティとみずからの立場との違いを論じている。

    『知覚の現象学』などの前記の作品の中で、メルロ=ポンティはゲシュタルト心理学などの成果を参照しつつ、知覚と意味とが相即しているあり方を描き出そうとしていた。また知覚主体についても、匿名性の次元からの人称性の成立を論じていた。これらの議論は、廣松が論じている所知と所識、能知と能識という四肢構造に近いように思える。だが廣松は、そうした理解は誤解だと主張する。

    廣松によれば、メルロ=ポンティは「事象そのものへ」という現象学の根本的なモティーフに忠実にしたがっており、彼の議論は知覚経験の場面における知覚と意味との交錯や、身体の次元における匿名性と人称性の交錯を解明することに終始している。

    だが廣松がめざすのは、既存の認識の枠組みや実践の場面における役割が物象化される機制を批判的に解明することだった。知覚から意味が構成され、固定化されるのは、どのような経緯をたどるのか。また、身体の次元における間主観性の次元から人称性が成立し、社会的役割が固定化されるのはどのようにしてなのか。廣松の四肢構造は、このような課題の解明を志向していたのであり、メルロ=ポンティが日常的なドクサを抜け出すことなくこうした問題の解明に進まなかったことを、廣松は批判している。

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