- Amazon.co.jp ・本 (666ページ)
- / ISBN・EAN: 9784880635590
感想・レビュー・書評
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・公共教育の裏カリキュラムは、時間励行と従順と機械的な反復作業である。
・核家族プラス工場型学校は、若者を産業主義社会(第二の波)に適合させようとする大計画の一部である。
・第二の波が引き裂いた人間生活の二つの面とは、生産と消費である。
・生産と消費の分離から生まれた六原則。
1)規格化 2)専門化 3)同時化 4)集中化 5)極大化 6)中央集権
・六原則は、仮借なく官僚主義を育てていく。
・農業主義(第一の波)の時代には、一度も最優先しなかった時間厳守という行動律が、社会の必然になった。
・それまでの人間の生活は「土地」が常に中心にあった。選挙制度においても、選挙区という「土地」の代表として選出される。
・選挙は平等幻想を育てる。選挙は大衆が参加する確認の儀式となる。
・第一の波:時間は、巨大な輪。第二の波:時間は、一本の線
・第二の波の諸体系は、危機にたっている。人にも制度にもひずみが溜まりに溜まっている。
・非マス化したメディア
・第二の波の産業の本質は、何百万という同一の規格品を、長期操業によって製造することであった。第三の波の産業は、一部または完全な注文製品を、短期操業によって製造するのである。
・誰が消費者で、誰が生産者かの区別さえ困難になるだろう。
・やがて、何百万もの人たちが、オフィスや工場へ通勤せず、家庭で過ごす。家庭が職場になる。
・第二の波の時代を支配した集中的大工場の生産をたとえ部分的にでも分散するのは、ますます利益につながるはずである。
・画一的社会でのみ、核家族は主流となりうる。家族形態も非マス化が進んでいる。
・配偶者と一日じゅう家庭で顔つき合わせて働く時代になると、単なる性的、精神的充足や社会的地位以外のものが問題になってくる。つまり「愛プラスα」が求められる。そして、それは「知力」ではないだろうか。
・今日、コンピューター会議に携わるコンピューター使用者が激増している。
・適正な規模が尊重される時代が来た。
・経済には、2つの部門(セクター)がある。自分のため、あるいは家族や地域社会のために行う無給の仕事から成り立つのがAセクター。一方、Bセクターの賞品やサービスの生産は、すべて市場を通じて交換される。
・生産=消費者(プロシューマー)の役割が復権しつつある。
・Bセクター経済からAセクター経済へ。交換セクターから、プロシューマー経済への移行。
・第三の波は、人類史上初の「超市場」文明になる。
・第三の波は、国家よりも大きい「地球意識」を育んだ。
・産業核名の時代、社会、政治、経済の発展には、道路が先決要件だった。今日では、それがエレクトロニクス通信システムである。
・多くの人々が必要としているのは、賃金を得る為のパートタイム雇用と、自分たちの生産=消費(プロサンプション)を、より生産的にするための想像力豊かな新政策の組み合わせだと思われる。
・現実期には「生産=消費用(プロサンプション)の主要道具」を与えることであろう。
・個人がもっと合理的に、生産=消費できるよう手助けすることは、在来のGNPで測られる生産と同じほど大切。
・教育は必ず教室でしなければならないという第二の波の発想に、第三の波は、真っ向から対立する。
・未来の中心として想定するのは「家庭」である。第三の波の文明において、家庭は驚くばかりの新しい重要性を帯びるだろう。
・満たされた情緒生活と健全な心理体系を作り出すためには、人間だれもに3つの基本的な必須条件がある。すなわち、共同体、構造、意味の3つである。
・通信は、多くの人間を通勤から解放する。
・1日のうち長時間、家庭でともに働いた夫婦は、きっと夕方になれば外出したくなる。
・自分がより大きな仕組みの中にどっぽりはまり込んでいるという意識を、たとえ不明瞭にではあっても、持たねばならない。
・第三の波の文明は、若者の性格特性をも一変させ、仲間との競争をさほど気にせず、プロサンプション(生産=消費)志向で、享楽的な自己陶酔にかつてほど陥らないようになるはずである。
・メディアの革命は、人間心理を革命せずにはおかない。
・政治制度と行政機構の形骸化こそが、唯一最高に重大な政治問題である。
・第三の波の政府を支える3つの原理:
1)少数意見の尊重 2)半直接民主主義 3)決定権の分散
○今、読むと、ますます刺さる。まさに、予言の書。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
おすすめ資料 第24回波・波・波(2007.5.11)
1980年に出版され、当時世界的にベストセラーになった書籍です。
四半世紀以上経った今でも、刺激的な内容です。
人類の文明の変化を波と捉え、農業文明を「第一の波」、工業文明を「第二の波」そしてコンピュータなど新技術の発達による変化を「第三の波」としています。
アルビン・トフラー氏は、2006年のある会見で、進化の遅れが目立つ分野は何ですかと問われた際に、「教育だ。現在の学校運営は、工業社会の規律を反映しているにすぎない。定時に登校するのは、会社に通勤する練習。月曜から金曜まで同じ場所に集まり、全員で同じ授業に出るのも大量生産の工場に似ている。非金銭経済を視野に入れ、柔軟な発想で、教育を考え直すべき時に来ている。」と回答しています。
本学は、2007年度から公立大学法人へと移行しました。
これも「波」による変化なのかもしれません。 -
書かれている内容が濃い、本書は1980年発行ということは、34年前の著書なのである。一読しただけでは、理解できないこともあり、興味が尽きない。「第二の波」である産業革命以降の、物質至上主義の終焉し、消費者と、生産者の区別は希薄になり、ソーシャル・マニュファクチャリングに移行する。そして、再び家族の結束が強まるだろうと、トフラーは予想している。
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(1991.01.09読了)(1989.03.26購入)
(「BOOK」データベースより)amazon
新しい文明の黎明、それは我々の生涯の唯一最大の爆発的な事実である。混乱と不安に生きる現代人に、明確な未来への指針を与える新文明論。 -
大変面白い内容だった。
1980年に書かれた本とは思えない、読み応え抜群の内容でした。
特に歴史のパラダイム転換点を「波」ととらえ、波が押し流すように、以前の価値観を一変してしまうという記述が、多くの事例を紹介しながら詳細に解説されていました。
その抗いようの無い様子を「波」と表現して、第三の波がそれまでの工業化社会の価値観を押し流していくと予想しています。
おおむね現代の社会(2013年)はそのような社会になりつつあり、戻りようのないパラダイムの転換点を迎えようとしています。
工業化社会では有効であった「学校教育」が崩壊し、あらたな共同体が求められようとしています。
この本で印象的だったのが、共同体に対する価値観が再び第一の波で形成された農耕社会のそれに近づくんじゃないか、と書かれていた部分です。
それを読んだ僕の感想としては、今後インターネット社会の普及によって、価値観や個性が似通った小さなグループが多数形成され、それらが社会全体に島状に分布していくんじゃないかなと思っています。
そして、比較的似通った他の共同体と柔らかに繋がり、個人ははっきりとしたひとつの共同体ではなく、自分に比較的近い共同体のいくつかとゆるくつながり参加する世の中になるのかなと。
個人が参加できる共同体の数は限られてくるので、自然に自分とはぜんぜん違う共同体に参加する人間とは、物理的に接触できないような社会になり、自分が関わることのない共同体に属する人間は、「いないもの」となり、人生が交わることがない。
ゆるい共同体の島状村社会のような社会になっていくのかな、と思った次第です。 -
今から33年前、1980年(昭和55年)初版の一冊。今日のテクノロジー、ワークスタイルなど、驚くほど広い範囲のジャンルに渡って具体的な在り方を言い当てている。
例えば、第24章 大合流『遠い将来を展望すると、テレビジョンは「個人ビデオ」にその席を譲ることになろう。つまり究極的にはたったひとりの人間を対象に映像を送るようになるだろう』とある。云わば「あなた管」を明確に示す記述と言えまいか。
当時の産業人口移動のスピード増加という現象において、ジョージオーウェルの世界が加速度的に接近するかのような幻影を見せ、それまでの工業大量生産を極めていく志向から、デザインされた進歩の必要性について警鐘を鳴らした記録のようにも見える。
描いた世界の具現は想定内だったか、想定外だったか・・・ -
産業社会(=第一の波)、農耕社会(=第二の波)に対する論考は非常に秀逸であったと思う。ただ、第三の波がもたらす世界像については、現代と比べ若干楽天的な未来予想を描いているという傾向も見られたと思う。
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アメリカの社会学者アルビン=トフラーの世界的ベストセラー
人類の文明の発展段階を?農耕文明の出現(第一の波)?産業革命による大量消費社会の出現(第二の波)に分け
さらに、我々の家庭生活から政治システムまでを一変させつつある「第三の波」が支配する近未来社会の実像を
社会学的視点から分析した予言の数々は恐ろしいまでの迫力とリアリティを以て迫ってくる