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感想・レビュー・書評
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内田百閒は今年生誕130年。記念の年に、『第二阿房列車』の登場であります。阿房列車三部作の真ん中に当る作品なのです。
阿房列車にはパタンがあつて、まづ旅の目的は無い。無目的で、ただ汽車に乗りたいだけであります。そして一等車が連結されてゐれば必ず一等車に乗り、連結されてなければ三等車に乗る。中途半端な二等車には乗りたくないさうです。
さらに、当時国鉄職員だつた「ヒマラヤ山系」君こと平山三郎が常に同行者としてお供します。車中では給仕係を「ボイ」と呼び、到着時のマスコミのインタヴューでは不愛想かつ人を喰つたコメントに終始し、観光地には興味を持たず用事はないからすぐに帰る。
まあ三部作と言つても、やることは大体同じなのですが。しかし同パタンが続いても飽きる事はなく、それどころか永遠にシリーズが継続して欲しいと願ふ読者が多いのでした。
タイトルを列挙すれば、「雪中新潟阿房列車」「雪解横手阿房列車」「春光山陽特別阿房列車」「雷九州阿房列車(前後篇)」で、いづれも鉄道旅行記としても、随筆としても、勿論文学作品としても一級品と存じます。
なほ、内田百閒は終生旧かなで通してきました。その遺志を継ぐと言つてはおほげさですが、旧かなの旺文社文庫版を挙げてをきます。新潮文庫版の方が新仮名で若い人には読み易く、字も大きいのでこちらを選択する人が多いでせうが。
しかし別に古文を読めと言つてゐる訳でもないのに、旧かなくらゐで敬遠するのは勿体ない。仄聞するところによると、今の人は夏目漱石すら難しいと表明する人が多いとか。
ま、人それぞれなのでわたくしが嘆く道理もないのですが。ぢやあね。
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