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感想・レビュー・書評
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「阿房といふのは、人の思はくに調子を合はせてさう云ふだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考へてはゐない。用事がなければどこへも行つてはいけないと云ふわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つて来ようと思ふ。」
何といふ名調子。これは冒頭の文章ですが、この3行ちよつとに「阿房列車」シリーズの本質が述べられてゐます。
大阪に用事もなく行くのだから、行きは一等車に乗りたい。しかし大阪からの帰りは、東京へ帰るといふ用事が発生するので、三等車で構はない。しかしどつちつかずの曖昧な二等車には乗りたくないといふ。
独特の美学であります。因みに一等車とは、現在のJRでは存在しないグレードの車両です。二等車・三等車はそれぞれ現在のグリーン車・普通車に相当します。
偉さうなことを言ひながら、面倒な事はすべて同行のヒマラヤ山系氏に押付け、更に遠慮なく不満をぶつくさ述べる偏屈な小父さんなのですが、これが滅法面白い。山系氏との、咬み合はない会話が最高です。「貴君」「ボイ」など用語の使ひ方も知らず知らずのうちに真似てしまひます。
ところで、この作品は新潮文庫やちくま文庫で入手容易でありますが、今回私はこの旺文社文庫版を強くお勧めしたい。新潮やちくまの版では、残念ながら現代仮名遣ひに改められてゐるのです。これはいけません。旺文社文庫では、内田百閒作品を40冊ほども出版してゐたのです。まさに旺文社版百閒全集ともいふべきか。
現在は絶版。何しろ旺文社文庫自体がもうすでに無いのだから、詮無いことです。しかし今なら何かしらの方法で手に入る筈ですので、何とかして入手せよ。(偉さうに言ふなよ)
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