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感想・レビュー・書評
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子どもでもない大人でもない時というものは、単に不安定というだけではない。真実を求めるまっすぐな姿勢がそこにはある。
非力で傲慢な、でもどこか繊細な青年期を扱った作品。
同じ年代であっても、読了感としては、『僕はかぐや姫』の千田さんの方がすごく共感できた。やはりアメリカという環境のためなのだろうか。やることなすことがとても大きく、大げさである。
どこか青年らしさを出そうとしている感じがして、ホールデンではないけれど、好きになれなかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ジョンレノンの暗殺者やケネディの暗殺者が愛読していたという曰く付きの書だけに、もっと、時計仕掛けのオレンジのようにバイオレンスな作品なのかと思っていたけど全然違った。ストーリがない。太宰治のような根源を求めるような独白とも違う、もっとニヒリズムに根を置くような破滅的な印象。しかし当の主人公は何も悪気なく純然に生きてる。それだけに病的に感じる。解説では子供と大人の間の何とかと書いてるが、それ以前に深刻な社会的な問題の描写に感じる。あまりおおげさに言ってもなんだけど、純粋さとは彼のようなものとは違う。読んだ後の吹き抜ける風のような爽快感、と解説には書いてるけど本文よりもこの解説が気持ち悪い。作品自体は嫌いではないけど、緩やかに自己中心を正当化する傾きを見せる。こだわりがかっこよさか。
09/7/31 -
村上春樹訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読んで、あまりにも釈然としなかったので、本家である野崎孝訳を手にした。
同じ内容なのに、村上春樹訳のものとは随分印象が違う。
村上訳ではただの高慢ちきな皮肉屋に思えたホールデンは、野崎訳ではひどく弱く、みじめでナイーブだ。
彼の言葉なら、繰り言も少しは胸に落ちる。
それにしても、訳者が違うとこんなにも雰囲気が変わるものなのかと、驚いてしまう。やっぱり原書で読まないと、正味のおもしろさは正確に感じられないんだろうなぁ。 -
二度目のチャレンジだが挫折。
主人公が先生に挨拶に行ったところで放り出した。
たぶんもう手にとることはない……ような気がする。 -
原題 The Catcher in the Rye は、物語の中で子どもが歌うロバート・バーンズの詩 "If a body meet a body Comin' through the rye(曲は『故郷の空』として有名)" を主人公が "If a body catch a body comin' through the rye" と聞き間違えたところから来ている。大戦後間もなくのアメリカを舞台に、主人公のホールデン・コールフィールドが3校目に当たるボーディングスクールの成績不振で退学させられたことをきっかけに寮を飛び出し、実家に帰るまでニューヨークを彷徨する3日間の話。
J.D.サリンジャーの作品





