現代アフリカ文学短編集〈1〉 (1977年)

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  • 1977年刊行であるので、「現代」と冠されるが40年ほど前のものとなる。
    ナイジェリア・南アフリカ・ケニア・ガーナの9人の作家10編を収める。
    いずれの作家も英語圏の教育を受け、英語で作品を発表している。
    内容としては、外部からの圧力により急速に「西欧化・近代化」が進められた結果、社会に生じた歪み、さらにはそれにより抑圧されている人々に焦点を当てたものが多い印象を受ける。大きくは、人種による差別、女性であることによる生きづらさである。いずれも普遍的なテーマではあるが、この地域特有な「色」も感じられる。それはおそらく、著者である作家たちも含めて、あまりに性急に西欧化されたことによるひずみがもたらすものだろう。

    個人的に読もうと思ったのは、チヌア・アチェベの作品が収録されていると知ったためである。
    アチェベは『崩れゆく絆』(1958年)で世界の注目を集め、「アフリカ文学の父」とも称される。ナイジェリアの内戦・ビアフラ戦争でビアフラ共和国大使を務めた際に、「もはや小説の書ける状況ではない」と長編の創作を放棄したというエピソードを持つ。その彼が、ビアフラ戦争後に書いた短編が2編、本書に収録される。
    1編目の「戦場の女たち」は、法務省の役人とある若い女とのいきさつを描く。役人は、地位にふんぞり返って贅沢を恣にする同僚を苦々しく思ってはいるが、自身もそうした特典をまったく受けないというほど高潔ではない。女はかつては意欲に燃えた初々しい女学生だったが、ひとたび軍のお偉方の囲われ者となった後は「色気」を売って生きるようになっている。この女の描かれ方は、同じナイジェリア・イボ族出身のアディーチェが『アフリカーナ』で描いた主人公の叔母を彷彿させる。
    戦闘が悲惨であるのをよそに、上層部は腐敗し、退廃ムードが流れる。そうでありながら、いつ何時、爆撃に遭わないとも限らない、内戦というものの怖ろしさ。戦争の虚しさを描くスケッチとして鮮烈な1編である。
    2編目の「狂人」は、どことなく『崩れゆく絆』を思い出させる。社会に残る伝統と伝承。期せずしてそれに背いてしまった男の悲劇。悲劇、ではあるのだが、どこか軽みもあって、悲喜劇のようにも感じられる。
    この2編がやはり本書の中で出色であるように思う。

    その他、白人の主人と立場が逆転した黒人の男、黒人でありながら「白い子」を何人も産んだ母のたった1人の黒人の娘の話、離婚された上にたった一人の息子さえ亡くした女の悲劇など。
    〆の『エリザベス』(グレイス・オゴト)は上司の情欲の犠牲になった美しい女の話。これがおそらくありふれた顛末であったのだろうということにため息が出る。これほど残酷な結果ではなくても、もしかしたら一昔前の日本でも似たようなことは多かったのかもしれない。

    2冊目・3冊目には、ナディン・ゴーディマー作品が収録されているようなので、機会があれば手に取ってみたいと思っている。

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