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感想・レビュー・書評
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面白い本を読むべきだという、単純だが大切な心構えを教えてくれる。
本は大雑把に3つに分類することができる。第1に実用書。これは仕事・職業に関するものでいわば迫られて強制的に読むものである。第2に娯楽書。現実から離れるため、現実逃避の手段として読むもの。第3に教養書。これは読もうが読むまいが生きる上では関係ないものである。にもかかわらずこの手の本を求める読者が少数ながら存在する。というのもその動機が自分の生活、生き方をより高いものへとするための強い意志に基づかれており、また教養書はそれらを提供するものなのである。著者は教養書を読む人間を読まない人間と区別すべきだと主張する。確かに教養書を求める人間というのはある種の特殊な階級であることは否定の仕様がない厳然たる事実であるように思う。
読書にはある種の呼吸が存在するといっていたのは誰だったか忘れてしまったが、その通りだと思う。その本の著者が記述したであろうスピードに合わせて読むということが読書の奥義であることがなんとなく僕にもわかってきた。彼が一晩二晩で書いたような本を2ヶ月も3ヶ月もかけて読むべきでなく一気に読んでしまうのがよいという著者の主張には全面的に賛成する。
また、クソまじめな性格ゆえに細部に捉われてしまうとことの不利益についても言及している。全体を通してみてぼんやりとその本の著者が腫瘍したいことがぼんやりとはあってでも浮かび上がってくるのである。しかがって、中途で躓いてしまったとしても気にせずに読む進めるという、尊大な言い方をすれば勇気が必要なのである。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
6/19読了
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読書というのは「観念の気流」に乗ることである、と筆者はいう。
本の著者の観念を示したその一冊の本と交際するためには、その著者が書いた早いスピードと同様で、気流に乗って、読まねばならない、という一節は興味深かった。
蕎麦を食う要領で、ともいっていて、「真面目な」読者ほど一文一文丁寧に解釈しようとしたり、わからないのに最後まで読もうとする。(耳が痛い)
そんな読書はもうやめよう。得るものが無い。
実用書、教養書の場合、これはケースバイケースといえるかもしれないが・・(特に古典。ただ古典についても釘を刺している、詳しくは著書にて)
ショーペンハウエルを引き合いに出し、現代の読書は努力を要するものである、としている。確かに読まなくても生きていけるが、マスメディアからの受動性による情報享受という意味合いも、この本にて再認識した。 -
本の読み方についても、もちろん書かれていますが、まず読み物としておもしろいです。虚栄心とかムードとか、そういうのも大事なんですよ。