イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告 (1969年)

制作 : 大久保 和郎 
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感想・レビュー・書評

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  • 映画『スペシャリスト』鑑賞を機に再読。
    一体人は何をもって正義が為されたと思うのか?
    責任ある謝罪?それとも犯罪の再発防止装置の確保?

    だがいずれの目的も空虚に果たされぬまま、ホロコーストは形を変えてナクバで起こった。それはいかに判事が誠実で賢明だったにせよ、アイヒマン裁判の判決の否みがたい法的根拠の薄弱さ、そして結局は群衆の見世物的な好奇心を満たすための裁判の性格に因るように思う。それ故にイスラエルは被害者の語る立場を独占・僭称するのみならず、悲劇の再来も防げず、無自覚にも自らを加害者とし消えない刻印を残し、無名の無数のイスラエル国民を潜在的なアイヒマンにした。

    では本来の正義はアイヒマン裁判とどう違っているべきか?いかにあるべきか?そうアレントは問い、公的領域の確保と複数性の原則に対する激烈な支持という回答を提出した。

    最近日本でアレントが頓に再読されているように思うが、その理由は、なかなか現実にありそうもない理論的基礎を政治に求める態度が、古代ギリシアから時間的にもアイデンティティにおいても遠く離れた場でも、政治を構築していく際の指針として夢想し易いからかもしれない。

    そもそも、戦時におけるナチス政権の蛮行は、「私的領域」が国民国家規模にまで肥大化し、人びとの考える余地や議論する余地を締め出してしまったがゆえに発生したものと考えるアレントの批判は、与党の質問時間を増やして野党の質問時間を減らし、反対の言説を公的領域から締め出そうとするこんにちの日本の内閣に対しても有効だ。

    複数性を担保する公的領域が失われてしまったことが、政治の姿を見失わせ、堕落させた。その予防のためには、「考える」という「人間がもっている最高の、そしておそらくは最も純粋な活動力」(『人間の条件』一六頁)を行使し高めていくしかない。無思想性という特徴に導かれたアイヒマンの末路を通じて、アレントは私たちにそう教えている。

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著者プロフィール

1906-1975。ドイツのハノーファー近郊リンデンでユダヤ系の家庭に生まれる。マールブルク大学でハイデガーとブルトマンに、ハイデルベルク大学でヤスパースに、フライブルク大学でフッサールに学ぶ。1928年、ヤスパースのもとで「アウグスティヌスの愛の概念」によって学位取得。ナチ政権成立後(1933)パリに亡命し、亡命ユダヤ人救出活動に従事する。1941年、アメリカに亡命。1951年、市民権取得、その後、バークレー、シカゴ、プリンストン、コロンビア各大学の教授・客員教授などを歴任、1967年、ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチの哲学教授に任命される。

「2018年 『アーレント=ハイデガー往復書簡 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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