異常の構造 (1973年) (講談社現代新書)

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  • 『異常の構造』

    自分たちの、個人の「常識」というのは、いかに脆く特殊なものであるか、そしてその「常識」を守ろうと必死になることで、見失うこと、排除していることが多くある。

    p14
    合理性:自然(人間を含む)周期性と状態の反復性を一定の体系の枠の中に拾い集めた組織

    「常態から見た、異常への差別的な意味の含み」
    p32
    「多数者」の「常態」が「健康」であるとみなされる
    → 「人はその常態において、統計的正常値の母体の意味での多数者としてふるまう」という一つの暗黙の前提
    → その暗黙の前提かた外れた者=「異常」
    そして「異常」には同時に「病的」という意味が付加される。

    「共通理解、感覚の共有=各人の世界への関わり方の類似性」
    p42~
    ex)「甘い」という言葉→砂糖、ヴァイオリンの音色どちらにも使う
    → まったく別種の感覚領域に転用されても通用するだけのプラス・アルファ=「共通感覚」
    → 「私」と他者においても相互了解を持つことができる
    なぜならば、各人の世界への関わり方であるため

    「一方的な「正常人」の押し付け」
    p89
    「狂人」は正常人の目には不気味な存在として目に映る
    しかし、これは、いわゆる正常人が自分たちの「正常性」を押し付け、
    発言の機会を与えず、社会から排除しており
    彼等と同じ立場に自分を置いてみようとしないためである

    「私たちの(個人の)常識は一つの特殊な一ケースに過ぎないということ」
    p106
    私たちは私たち自身の側の常識的日常性の世界の自明性に埋没してはならない。
    私たちは、そこでは常識的日常性の世界もまた可能ないくつかのありかたの単なる一つのケースに
    すぎなくなるような、常識と反常識とをともに包みこむような、より広い論理構造の視点に立つ必要がある。
    そのためにはまず、この常識的日常性の世界がいかに特殊な論理構造によって支配されているかを、つぶさに検討していかなければならない。

    「反対語の関係性」
    p146
    (有-無など)これらの一対の言葉は「反対語」ではない
    →一方の語は絶対的にそれ自身で完結した概念であって、もう一方の語からの規定を要しない
    もう一方の語はそれ自体においては不成立、絶対者としての前者からの規定を通じてのみ意味を与えられる。
    →ここにあるのは「反対語」のような相対的相互交換性ではなく、絶対的な一方的従属性である。

    「幻覚、幻聴などに関して」
    p153-154
    「ある」という言葉で言い表そうとする体験内容は、知覚対象の物理的存在に由来するのではない
    私たち自身の知覚行為の中から生じてくるもの

    「分裂症への由来と過程」
    p176
    分裂病者とはもともとひと一倍すぐれた共感能力の所有者であり、そのために知的で合理的な操作による偽自己の
    確立に失敗して分裂症におちいることになった

    「無意識の差別的発想」
    p178
    しかし、この「不幸」とか「気の毒」とかいう発想自体が、結局は私たちの常識的日常性の立場から、つまり正常であることを好ましいとし、異常であることを好ましくないとする立場から出てくる発想あることに変わりはない。

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