徳田球一(とくだ・きゅういち)
政治家、社会運動家。明治27年(1894)沖縄に生まれる。第七高等学校中退、日大卒。大正9年(1920)弁護士となり、日本社会主義同盟に加盟。 大正11年(1922)にモスクワでの極東勤労者大会に出席、帰国後山川均・堺利彦らとともに日本共産党を結成、中央委員となる。昭和3年(1928)の3・15事件で検挙され、敗戦後の昭和20年(1945)10月まで18年間にわたり獄中にあって転向しなかった。出獄後ただちに共産党を再建、書記長に就任。衆議院議員として当選3回。昭和25年(1950)年、マッカーサー指令により追放され、地下に潜行。昭和28年(1953)に北京で客死。「徳球(トッキュウ)」の愛称で親しまれた。
「2017年 『獄中十八年』 で使われていた紹介文から引用しています。」