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感想・レビュー・書評
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中野好夫の訳で鑑賞。友達のおすすめ。今ではあんまり使われていない漢字が使われていたりして、最初大丈夫かなって思ったけど、途中から慣れてあっという間に読み終わった。本の裏表紙の内容紹介からすでに面白い!って思ったけど、本編読んでも面白かった。どんな人生がいいのか考えずにはいられない。
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社会的な生活と芸術に生きる人生の対比を、第三者的主人公の目を通して描いています。
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ゴーギャンの生涯に着想を得た小説、という触れ込みだけは幾度となく目にして来たが具体的にどのような話かまでは知らなかった。
主人公はゴーギャンを模した人物…のはずが、ひたすら別の、元々直接の友達でもない「僕」が彼と会ったときからのことを遡って思い返して語っていくというスタンスで話は進む。その人物に対する「僕」の感情の入れ方とか、描いた絵に対して少なくとも賞賛の感情は持っていないところ等はなんとなく芥川龍之介の「地獄変」に似ている。尤も、地獄変とは違い、語り手である「僕」はこの人物に興味を抱いているのだが。
この人物の、この社会で生きていれば間違いなく憎まれ嫌われるような性格。初めは強烈だと感じるが読み進めていくと、ただ生きる場所がこの世間の人と違うだけの、一人の人間だと気づく。タヒチに行ってからの姿は、元妻などヨーロッパにいる人には想像もつかないだろう。それを言えば、物語前半に出てくる世話好きの人物だって、好かれはするもののある意味世間とはずれている。芸術家の描写はこういうところが面白い。 -
「月と六ペンス」サマセット・モーム著・中野好夫訳、新潮文庫、1959.09.25
329p ¥120 (2017.10.06読了)(2017.09.28借入)(1963.08.30/8刷)
「月と六ペンス」は、画家のゴーギャンをモデルとして書かれた小説ということで、いつか読みたいと思いつつ、30数年経ってしまいました。特にこれといったきっかけはないのですが、図書館で借りてきました。1919年に出版されたということなので、今年で98年です。あと二年で百年ですね。
「月と六ペンス」は、お勧めの本として挙げられることが多いのですが、なぜなのでしょう。読み終わってもわかりませんでした。新しい芸術の創造に一生をささげた人物のすさまじさが感動を呼ぶのでしょうか? 凡人には理解不能な生き方が書かれていることに驚嘆するのでしょうか?
他の人のレビューを眺めてみたいと思います。
チャールズ・ストリックランド 株式仲買人。40歳
ローズ・ウォータフォド
ミセス・ストリックランド(エイミ)
ロバート・ストリックランド 息子
マクアンドルー大佐 ミセス・ストリックランドの姉の夫
ダーク・ストルーヴ 拙い画家
ブランシュ・ストルーヴ ダーク・ストルーヴの妻
キャプテン・ニコルズ
タフ・ビル マルセイユの船員宿の親爺
ティアレ・ジョンソン 花屋ホテルの女将(タヒチ)
アタ チャールズ・ストリックランドの現地妻
ドクトル・クトラ 医者
「月と六ペンス」という題名の意味は、解説に書いてあります。
「月」は、人間をある意味での狂気に導く芸術的創造情熱を指すものであり、「六ペンス」は、ストリックランドが弊履の如くかなぐり捨てた、くだらない世俗的因襲、絆紲等を指したものであるらしい。(329頁)
主人公は、チャールズ・ストリックランド。イギリスで株の仲買人をやっていました。23歳で結婚し、子供もいました。40歳のとき、妻子を捨ててパリに行ってしまいました。絵を描きたいのだそうです。切り詰めた生活をしながら絵を描いていたのですが、病気になってしまいました。チャールズの絵の才能を信ずるダーク・ストルーヴが妻の反対を押し切って、自宅にチャールズを連れてきて、妻に看病させました。ストルーヴ夫人は、チャールズのとりこになり、ダークを自宅から追い出してしまいます。しばらくして、チャールズにかまってもらえなくなったストルーヴ夫人は、自殺してしまいます。
パリに居辛くなった、チャールズは、マルセイユに移り、キャプテン・ニコルズに面倒見てもらいながらタヒチに行く機会をうかがっています。マルセイユにいられなくなったぎりぎりで、脱出できてタヒチにたどり着きます。
タヒチでも日雇い仕事などをしながら、少しお金がたまると、絵を描くという暮らしをしていましたが、ティアレ・ジョンソンの紹介でアタと一緒になり絵に専念して暮らせるようになります。そのうち癩病かかり、数年後に亡くなりました。
住んでいた部屋の壁に壁画を描いていたのですが、チャールズが、自分が亡くなったら燃やしてしまってくれと言っていたので、アタは、言われたとおりにしました。
チャールズが生きている間は、その作品の価値をわかる人はいませんでしたが、死後評価されて、高い価値が付きました。彼の絵は死んだ直後は、ただ同然で売りに出されたこともあるようなのですが、…。
ゴーギャンの伝記に触発されて書かれた小説ということですので、ゴーギャンの伝記ではありませんでした。主人公は、イギリス人ですし、アルルで絵を描くという話もありません。パリで、絵を描く仲間たちと交流しているようでもありません。ゴーギャンとは大分違うようです。
【目次】
月と六ペンス
1 5頁
11 56頁
21 111頁
31 168頁
41 206頁
51 272頁
58 317頁
解説 中野好夫 325頁
●芸術(7頁)
芸術とは情緒の表現であり、情緒とは、すべての人間に通じる言葉を語っている。
●ローズ・ウォータフォド(22頁)
人生は小説を書くためにあるもの、そして世の中とは、ただその素材を提供するためにだけ存在するもの、とそんな風に考えている女だった。
●しゃべりたい(43頁)
その頃の僕は、まだ女の恐るべき通弊、つまり聞き手さえあれば、自分の私生活についてしゃべりたくてたまらないという、あの気持ちについて知らなかった。
●四十で(69頁)
「子供の時は、むしろ画家になりたかった。だが、親父に商売人にさせられてしまった。画家じゃ金にならないからというわけでね。ところで、この一年位前から、少しずつはじめて見たのだ。ずっとその間、ある夜学に通ってね。」
「僕は、描かないではいられないのだ。」
●夢に生きる(114頁)
絵を見せたがらないのは、実際もう自分でも、それらに興味がないからであったらしい。夢に生きているのだ。だから現実は、彼にとって何の意味もない。
心眼にうつるものを、そのままとらえようという努力に、他のことは一切忘れてしまっていた。
でき上がった仕事に満足することは決してない。心を掴んでいる幻に比べては、そんなものは、何の価値もないのである。
●天才(137頁)
天才、それはこの世界でも最も驚くべきものだ。しかし持ち主にとっては大きな重荷なのだ。僕等は、彼等に対して寛容でなければいけない、じっと我慢してやらなければいけないのだ。
●結婚(164頁)
誰でも求愛する男があれば結婚するがよい、愛情などは、大丈夫後から生まれてくるのだから、
●女の残忍さ(169頁)
男は愛しているが、女の方では愛していない、そうした場合の男に対する女の残忍さほど、恐ろしいものはない。思いやりはもちろん、寛容ささえない、あるものは、ただ気狂いじみた腹立ちだけなのだ。
●悪人(207頁)
論理一貫した、完全な悪人というものは、たとえ法と秩序を害するものであるにせよ、創造者にとっては堪らない魅力なのだ。
作家というものは、その作り出す悪役を通して、実は彼自身の中に深く根差しながら、たまたま文明社会の慣習というもののために、潜在意識の奥深く押しやられてしまったある種の暗い衝動に、秘かな満足を与えているのかもしれない。
●恋愛(213頁)
女というやつは、恋愛をする以外に何一つ能がない。だからこそ奴らは、恋愛というものを、途方もない高みに祭り上げてしまう。まるで人生のすべてであるかのようなことを云いやがる。
●男と女(231頁)
男というものは、現に恋愛中である短い時間においてさえ、なお他に心を紛らす仕事をしているのだ。
恋人として男女の差異は、女が四六時中恋愛ばかりしていられるのに反して、男はただ時にしかそれができないということだ。
☆関連図書(既読)
「ノア・ノア」ゴーガン著・前川堅市訳、岩波文庫、1932.03.25
「ゴーギャン」宮川淳著、新潮美術文庫、1974.06.25
「南太平洋の環礁にて」畑中幸子著、岩波新書、1967.08.21
(2017年10月9日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
ある夕食会で出会った、冴えない男ストリックランド。ロンドンで、仕事、家庭と何不自由ない暮らしを送っていた彼がある日、忽然と行方をくらませたという。パリで再会した彼の口から真相を聞いたとき、私は耳を疑った。四十をすぎた男が、すべてを捨てて挑んだこととは―。ある天才画家の情熱の生涯を描き、正気と狂気が混在する人間の本質に迫る、歴史的大ベストセラー。 -
昔、中学生の友人から頂いた大切な本。
まだ読んでいなくて御免なさい。
三色ボールペンで一気だ。 -
グズグズと悩んでいた私を救ってくれた本のうちの一つ。
さあ、芸術とは何か、生きるとは何かを考えよう。 -
サマセット・モームの代表的な作品です。ゴーギャンをモデルにして描かれたこの作品ですが、芸術家というものの本質がよくわかりますね。
何かを犠牲にし続けなければ、自己を解放することはできないのかもしれない。その欲求や衝動が強いものでないと表現が深いものにならない・・・とすると、環境の差などはあっても芸術家に不幸な最期を迎える人が多いのもうなずけます。天性の才能もあれば、抑圧されることによって深まる自己表現なども芸術においては重要なのでしょう。
3人の女性との関係性もそれぞれが個性的なので興味深いんですが、自分はブラーンチのようなタイプの女性に弱く、放っておけないですね。
モームはお酒大好きなあたりも非常に好きで、いろんな酒のラベルに「モームが愛した」というエピソードが書いてあったりします。
この作品を読んでいても、アブサンとかシンガポール・スリングとか飲みたくなりますね。 -
この本は、私は今まで読んだ本の中で、もっとも、衝撃を受けた作品です。
平凡で穏やかな日常を送っていた、ストリックランド(ゴーギャンがモデルらしいです)は、家族、仕事すべてを投げ出し
画家になるため、失踪。
押さえきれない、画家になりたいという欲望。自分によくしてくれた人の妻と恋仲になり、さらに
自分の心の炎に突き動かされて、生きるストリックランド。
自分では、どうしようもない力に突き動かされる主人公に私は、ただただ、圧倒され、あっという間に本を
読み終えていました。
生きるとは、何なのか?
あなたは、情熱を持って生きているのか?
と常に作者に問いかけられているかのように感じます。
素敵な人とは言えないけど、情熱を持って、命がけで生きてるストリックランドの姿に感動しました。
私も情熱を持って、何かをやりとげたい、がんばる。
とても素敵な本です。
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この作品はモームが画家ゴーギャンの伝記に暗示を得て、とある天才の芸術への傾倒から完成までを描いた小説です。とはいえ、客観的にその天才、ストリックランドを描写するわけでもなく、またストリックランドの視点で世間と自身との乖離を書いたものでもありません。ストリックランドの在りかたはあくまで「僕」の視点で書かれています。
これから読まれる方は「僕」の物書きらしいシニカルな世俗の捉え方にクスリと笑いながらも、そこからはるかに飛び抜けているストリックランドの行動、考え方に驚かされると思います。特に印象的なのは「僕」とストリックランドの対話のシーンです。ストリックランドの不可解さを不快に感じながらも、その突き抜けッぷりに「僕」と同じくどことなく興味をそそられている自分がいました。
物語の中でストリックランドの考えについては「僕」によって一応の説明が語られていますが、彼の不可解さはそのままにしておきたいとも思います。芸術家に限らず人間の持つ不可解さというのは、ある種の楽しみであり、下手に言葉にしてしまうとおとしめてしまいそうですので。「僕」の一人称による構成の妙だけでなく、この楽しみを味わう意味でも是非ご一読されることをお勧めします。 -
はじめてチャールズ・ストリックランドを知ったとき、僕は、正直に言って、彼が常人と異なった人間だなどという印象は、少しも受けなかった。