背徳者 (1956年) (角川文庫)

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  • ジッドの語り口としては、この入れ子構造の手紙調というのははじめてで、また、扱われる人物が『狭き門』や『田園交響楽』などとは異なっていて、そこもまた新鮮なところ。
    おそらく、カミュの『異邦人』はこのミシェルの深化なのだと思う。
    背徳者と銘打っているから、さぞかし徳に背いていく人間を書いていくのだと思っていたら、気付いたら読み終わっていた。どこが徳から背いたところなのか。背徳的というよりかは、stranger(異邦人)感。そこで原題を見てみると、おそらく英語のimmoralistをしめすことば。
    ミシェルはすでにつくられたモラルから背いていく人間ではなく、はじめから、モラルの「ない」人間だったのだ。だから、モラルのある世界からは逸脱しているように見える。だが、そもそも背くような徳がないのだ。モラルをどこかに感じて生きるのではなく、彼自身がモラルなのだ。彼の全存在をかけて為すことがモラルでなくてなんだというのだ。
    それは彼自身に死の手がふれたことによる。死ぬということは、生きることができないというこだ。彼は病による死が恐ろしいのではなく、生きることができないことを恐れたのだ。生きるも死ぬも、誰かが決めることでも決められたものでもない。どういうわけか生きていて、生まれた以上、その瞬間に死は決まっているのだ。恋人やかつての思い出、世界がどうこうするものでもない。だが、ひとつ確かなことは、生きている限り、死んではいない。
    カミュが死を意識して死に向かうことを描くのなら、ジッドは生を意識して生きていくことを描く。ミシェルは、生という何よりも自由な、大きな深淵に投げ出されてしまったのだ。
    序文でもジッドが述べているが、このミシェルは生きるという不可解で不条理な現象をそのまま生きている。彼はそういう不思議を知ってしまったのだ。だから、盗みを正当化するような、徳に背いた人間ではなく、盗みさえも生きることとはなんた無関係である徳の欠落した、孤独な人間で在り続けたのだ。

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