自由からの逃走 (1951年) (現代社会科学叢書〈第1〉)

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感想・レビュー・書評

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  • “自由”について社会心理学的な立場から考察した名著。解答を求めるのではなく、われわれはここから思考を始めなければならない。

  • 自由とは孤独で寂しいものである。
    人は何故群がるのか。
    僕はランニングを日課としている。ほとんど誰とも会わない道を選んで走る。
    皇居外苑の空気の悪いところを和気あいあいと走ろうとは、思わない。

  • ・われわれの決断の大部分は、じっさいにわれわれ自身のものではなく、外部からわれわれに示唆されるものである

  • 昭和26年に初版が発行された。私が持っているのは昭和41年の30版。哲学書って、こんなに再版されるものなんだ?

    選択肢が無限にあるように見えると、人は確実な答えを求めて、自分の自由を他者にゆだねてしまうとか、そんな話かしらと思って読み始めたら、想像以上におもしろい本で、プレビューするつもりが、気づくとじっくり読んじゃってた。また読む。

    人は孤立して生きるようにはできていない。
    だからある人は自由を求めて、他の人は束縛を求める。

    考えるためには知識が必要。歴史に関する知識は有用だ。

    資本主義は人を「個人」に変えた。
    自分自身への責任と批判的精神を持つことで、人々は豊かな人生を手に入れるようになった。反面で、人々は自分の中の換金できない面を無価値だと感じるようになっていった。

  • 「資本主義はたんに人間を伝統的な束縛から解放したばかりでなく、積極的な自由を大いに増加させ、能動的批判的な、責任をもった自我を成長させるのに貢献した」「しかしこれは、資本主義が発展する自由の過程に及ぼした一つの結果であり、それは同時に個人をますます孤独な孤立したものにし、かれに無意味と無力の感情をあたえたのである」p124
    「近代人は表面は満足と楽天主義をよそおっているが、その背後では深い不幸におちいっている。事実かれは絶望のふちにある。かれは個性という観念に絶望的にとりすがろうとしている。すなわちかれは他人とは「ことなろう」と願う。また「ことなっている」ものほど、かれがほめたたえるものはない」p281

  • 人間は自由を求めるものとと思いきや、ある意味で束縛の方が自由より快適であると感じていることに気付かされる本。

  • 自由ってなんだろうを問いかける一冊。

    心理学やナチスといった組織の分析を通じて、人間は根本的に「自由」を人に押しつけ自身はその状態から逃げようとしている、というテーマが展開されます。

    自由って好き勝手できるってだけのこと?
    寡多はあれ、人間にある「所属欲求」と「自由」ってどう折合い付けんの?

    自由ってのはiPS細胞みたいなモンなのかな、という一応の自答へ導いてくれたと感じました。

  • ファシズムの発生(というか近代人の性格構造)を社会科学分析したもの。主題ないし仮説は以下の通り。
    「個人に安定をあたえると同時にかれを束縛していた前個人的社会の絆からは自由になったが、個人的自我の実現、すなわち個人の知的な、感情的な、また感覚的な諸能力の表現という積極的な意味における自由はまだ獲得していない」
     まず歴史的に「宗教改革時代」、「近代」をそれぞれ設定。宗教改革時代は中世ギルド社会があり、人々は社会的秩序の中で自分の役割へつながれていた。しかし中世末期、貿易をはじめとする商業が発達し、資本主義発達によりこれが崩壊。階級が流動的になる。そんな中、宗教改革が始まる。ルターやカルヴァンのプロテスタンティズムの倫理(自己を放棄することによって愛されることを確信し、禁欲のエートスをもって仕事や貯蓄に励むこと。これによって神の栄光に参加することができる。)それは当時の人々の無力と不安の感情、また自由と独立の新しい感情を表現し、ひきつける。このとき「外的な強制」より「内的な強制」にシフトしていく。これは人間のエネルギーをある一定の経済的社会組織の課題に準備させることになる。
    近代になるとさらに資本主義は発展する。物象化により人と人との関係が物と物との関係によって表され、やがて「疎外」される。個人はますます孤独になる。自我を支えるものが財産や名声となる。それがない者は妻や子供といった家族を従えることによる個人的威光にすがる。この段階に入ると「権威主義的性格」が生まれる。これはマゾヒズム的性格(無力感や劣等感ゆえに自分自身を弱くし、外側の力に服従しようとする)とサディズム的性格(力をふるいかれらを道具にしようとする。またかれらからとことん搾取たりかれらを苦しめたりすることに願望がある)の共生である。これは個人が機械化し無力と不安になっている人々に安定を与え、救ってくれるような新しい権威に従属したいという願望を生み出す。
    ナチはそのような流れの中で起きた。インフレによる貯蓄の無効化。それによって生じる(特に中産階級の)不安そして憎悪。無力な人間を支配した渇望と隷属しようとする渇望。これは政治に利用された。また広告や宣伝が人間の批判的な思考能力を鈍化させたのもそれに拍車をかけた。
    最後に筆者はこういったニヒリズムに打ち勝つためには、デモクラシーが必要であることを説く。一つ最強の信念、生命と審理とまた個人的自我の積極的な自発的な実現としての自由に対する信念を人々にしみこませることができたときこれに打ち勝つことができる。
    フロムは「自発的な愛と仕事」に希望をかけているが、これはアレントとも通じるものがある。「人間性を回復し、暴力的な政治や画一主義にいかに抵抗すべきか」については筆者はもちろん、多くの政治学の書どおり、「ほんものの民主主義の実現」しかない。ただ、ここまで来た過程を社会心理学的に分析したところに強みがあると思う。

  • 束縛からの逃走というのなら、雰囲気がわかりますが、自由からの逃走というのは、逆説的です。
    自由そのものが心理的に加わる圧迫と空虚さでしょうか。
    フロイトのような難しい議論ではなく、どちらかと社会の中での人間の心理についての考え方が書かれているように感じました。
    分かりやすかったので、他の文献も読もうと思いました。

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著者プロフィール

ドイツの社会心理学者、精神分析家。1900年、フランクフルト生まれ。ユダヤ教正教派の両親のもとに育ち、ハイデルベルク大学で社会学、心理学、哲学を学ぶ。ナチスが政権を掌握した後、スイス・ジュネーブに移り、1934年にはアメリカへ移住。1941年に発表した代表作『自由からの逃走』は、いまや社会学の古典として長く読まれ続けている。その後も『愛するということ』(1956年)、『悪について』(1964年)などを次々と刊行する。1980年、80歳の誕生日を目前にスイス・ムラルトの自宅で死去。

「2022年 『今を生きる思想 エーリッヒ・フロム 孤独を恐れず自由に生きる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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