善の研究 (1950年) (岩波文庫)

  • 1950年1月10日発売
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  • 第2編
    科学=真実でなく、今知っていることを示したに過ぎないということか?

  • なにもわかってないや、すぐに再読します。

    意志は主客の統一である。意志の本質は未来に対する欲求の状態にあるのではなく、現在のおける現在の活動にある。

    元来我々の欲求は我々に与えられたものであって、自由にこれを生じることはできない

    動機に反して働いた時は脅迫を感じる。

    意志なき純粋直観。自然にして統一せる意識状態

    真の宗教的覚悟とは思惟に基づける抽象的知識ではない。一種の知的直観

    深く考える人、真摯なる人は必ず知識と情意との一致を望む

    自然とは、自己がないこと。ただ必然の法則に従って外から動かされるのである。自己より自動的に動くことができない。

    我々の知識が深遠となるというのは、客観的自然に合致すること

    我々が内面的主観的精神といっているものは、表面的で微弱なもの。個人的空想。深き精神は宇宙の真理に合したる宇宙の活動そのもの。かくのごとき精神には自ら外界の活動を伴う。活動すまいとおもっても出来ぬのである。

    我々の精神が完全の状態、即ち統一の状態にある時が快楽であって、不完全の状態即ち分裂の状態にある時が苦痛である。矛盾衝突の場合は常に苦痛である。無限なる統一的活動は直にこの矛盾衝突を脱してさらに一層大なる統一に達せんとする。この時、我々の心に欲望を生じ、理想を生じる。しかしてこの一層大なる統一に達し得たる時、即ち我々の欲望または理想を満足し得た時は快楽になる。故に快楽の一面には必ず苦痛があり、苦痛の一面には必ず快楽がある。

    すべて徳は中庸にある。

    自分の本分を忘れ徒に他の為に奔走した人よりも、好く自分の本色を発揮した人の方が偉大

    自分の人格が偉大となるに従って、自己の要求が社会的になる

    真の自己を知れば人類一般の善と合する。

    いかに小さい事業でも。常に人類一味の愛情から働いている人は偉大なる人類的人格を実現しつつある

    一点なお、自己を信ずるの念ある間は未だ真性の宗教心とはいえない

    人格の要素、自覚、意志の自由、愛。

    自覚は反省によって起こる。自己とは意識の統一作用、この統一が変われば自己も変わる。

    真の自覚は意志活動の上にあって、知的反省の上にはない。

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