捕虜第一号 (1949年)

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感想・レビュー・書評

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  • (2012.01.09読了)(2011.12.20借入)
    2011年12月10日(土)にNHKで土曜ドラマスペシャル「真珠湾からの帰還 軍神と捕虜第一号」として放映された番組の原作本です。
    ドラマが放映されたとき、原作があることが分かり図書館の蔵書を検索したら見つかったので、借り出して読んでみました。

    ドラマのあらすじは、以下のように掲載されています。
    「昭和16年、日米の緊張が高まるなか、特殊潜航艇甲標的搭乗員に選ばれた酒巻和男少尉は、愛媛県の三机で岩佐中尉のもとで仲間たちと共に訓練に励んでいた。昭和16年12月7日、真珠湾から10海里の地点で伊号潜水艦から発進した甲標的は、2艇のみ真珠湾潜入に成功したが、結局戦果をあげることはできなかった。全艇帰還せず9名が戦死。唯ひとり酒巻少尉だけが生き残り、太平洋戦争における捕虜第一号となった。大本営は岩佐大尉以下9名の戦死者を英雄として発表し、マスコミは彼らを「九軍神」と讃えた一方、捕虜第一号となった酒巻少尉は、捕虜になった為に日本国内ではその存在を一切抹消された。酒巻少尉はアメリカ国内の収容所で捕虜生活を続けるうちに、なぜ自分だけが生き残ったのか、生かされた自分は何をすべきなのかを考えていく。」(NHKホームページより)

    原作とドラマは、大分違っていました。捕虜になってからは、日本にはいないので、九軍神の話は原作には出てきません。ハワイの収容所で、アメリカの軍人たちに痛めつけられた話も、日本に帰国してから、軍事裁判の証人になった話もありません。
    アメリカの収容所での話は、原作の中からうまく拾い上げられているようです。
    原作よりは、ドラマのほうが面白いと言えそうです。原作には別の面白さはあるので、興味ある方は、手に取って読んでみる価値はあります。
    2011年9月に「ヒロシマ日記」蜂谷道彦著、を読みましたが、太平洋戦争に関する本(戦争を体験した人たちが書き遺してくれた本)で知らない本がまだまだありそうです。
    尚、使用してある漢字は、旧字体ですので、60歳未満の方には読むのが困難かもしれません。団塊の世代以上の方は、夏目漱石の文庫などを旧字体で読んでいるでしょうから、たぶん大丈夫です。

    目次は以下のようになっています。
    第一部、真珠湾
    第二部、捕虜の運命
    第三部、捕虜の実態
    第四部、帰国

    二人乗りの潜水艦(特殊潜航艇)で、真珠湾に停泊しているアメリカ軍の軍艦を魚雷攻撃によって沈没させようと企てたのですが、ジャイロが不調のため真珠湾に近づけず、アメリカ軍の駆逐艦に攻撃され、捕虜となってしまう。太平洋戦争の捕虜第一号です。
    捕虜になった当初は、何もしゃべるまい、何も食べまいと抵抗を試みたようです。
    居場所をハワイからアメリカ本土に移され、収容所を何度か移されます。その間に仲間がどんどん増えてゆくことになります。
    軍隊の階級によって、捕虜収容所での待遇が変わるので、知っている人がいないと自分の階級を詐称する人もいたようです。知っている人がやってきて、ばれると、袋叩きにもあったようです。陸軍の人と海軍の人で対立してみたりもしたようです。
    酒巻さんは、収容所生活の中で、英語を学び、アメリカの歴史を学んだようです。後からやってきた人にも勧めたりしたようですが、いわれたとおりにやってみる人と敵性語を学ぶなどとはと拒否する人もいたようです。
    日本がポツダム宣言を受諾し、戦争が終わります。12月になってやっと日本に帰ることが決まり、船で日本に向かいます。日本が見えてきたときは嬉しかったのですが、軍事裁判にかけられるのではないかという恐怖もあったので、複雑でした。
    上陸後、何回かの聞き取り調査がありましたが、裁判などはなく、故郷に戻ることができました。その後しばらく休養した後、紹介してくれる人がいて、再就職をすることができました。

    ●特殊潜航艇搭乗員の選考基準(12頁)
    一、身体強健で意志強固な者。
    二、元気旺盛で攻撃精神の強い者。
    三、独身者。
    四、家庭的に後顧の少ない者。
    ●特潜の運搬(24頁)
    日本海軍はこの特潜を、真珠湾に碇泊するであろう米国太平洋艦隊に対する奇襲作戦に採用した。そして特潜を隠密に運搬するため、大型潜水艦が用いられ、私達はこの母艦に乗って、真珠湾外約10浬に到着したのである。
    ●捕虜に対して(58頁)
    「君達の手柄は立派です。昨日、アリゾナを始めアメリカの戦艦が三隻も沈みましたよ。」
    (相手を認める話から入るとは、驚きです。捕虜の自尊心を大事にしているのでしょう。)
    ●ハワイからサンフランシスコへ(61頁)
    昭和17年2月下旬、ハワイを船出したのである。三月初旬のサンフランシスコには、長閑な春の光が漂っていた。
    (汽車で、オークランド、サクラメントを通って、ロッキーの山中まで)
    ●欲しいものを言い給え(66頁)
    何でも欲しいものを言い給え、出来得る限り自由に支給する。
    結局、毎日の新聞と鉛筆やノート及び図書数冊を得た。それから私は、新聞と書籍を通じてアメリカに接し始めたのである。
    ●日本へ(150頁)
    昭和20年12月13日、誤った恐ろしい世界の戦いも終わり、帰国する喜びに満ち溢れた私達約880名の日本人捕虜は、平和な暖かい陽の光を浴びながら、米国船「モーマックレン」号に乗り移っていた。
    ●日本到着(157頁)
    1月4日の朝、「見える。見える。日本の灯台が。」と言い合いながら、私達は千葉県の野島崎灯台を飽かずに眺めていた。

    ☆関連図書(既読)
    「真珠湾メモリアル」徳岡孝夫著、中公文庫、1985.12.10
    「ヒロシマ日記」蜂谷道彦著、法政大学出版局、1975.06.30
    (2012年1月9日・記)

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