ゲド戦記 [DVD]

監督 : 宮崎吾朗 
  • ブエナ ビスタ ホーム エンターテイメント (2012年5月26日発売)
2.57
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感想 : 306
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  • / ISBN・EAN: 4959241981042

感想・レビュー・書評

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  • 太古、人間と竜はひとつであった。
    しかし、ものを欲した人間が大地と海を選び、
    自由を欲した竜は風と火を選んだ。
    以来、人間と竜は交わることがなかった。
    その竜が姿を見せ且つ、共食いなどとは、
    いよいよ黄昏が深まる兆しじゃろうか。

    父殺し、アレン。
    目的という目的もなく国中を見て廻るハイタカ。
    またの名を、ゲド。

    この街はおかしいです。
    いやこの街だけじゃないさ。
    あちこちで作物が枯れ、羊や牛が駄目になり、
    そして人間の頭も変になっている。
    何か疫病みたいなことですか。
    いや、疫病は世界が均衡を取ろうとする
    ひとつの運動だが、
    今起きているのは均衡を崩そうとする動きだ。
    そんなことができる生き物は
    この地上には一種類しかいない。わかるか?

    際限の無い人間の欲望ですね。

    力を持つ者はその使い方を誤ってはならんのだ。
    世界の均衡を破壊するつもりか!
    死と再生の繰り返しこそが命の根幹なのだぞ。
    この世に永遠に生き続ける者などありはしないのだ
    自分がいつか死ぬという事を知ってるという事は
    我々が天から授かった素晴らしい贈り物なのだよ
    わしらが持っているものは、
    いずれ失わなければならないものばかりだ。
    苦しみのためであり宝物であり
    天からの慈悲でもある。
    わしらの命も。

    人はいつか死んでしまうのに
    命を大切に出来るのか?
    終わりが来ることが判っていても
    それでも生きていかなきゃならないのか?
    違う!
    死ぬことが判っているから命は大切なんだ。
    アレンが怖がっているのは死ぬことじゃないわ。
    生きることを怖がっているのよ。
    死んでもいいとか、永遠に死にたくないとか、
    そんなのどっちでも同じだわ。
    ひとつしかない命を生きるのが怖いだけよ。
    命は自分の為だけのもの?
    私はテナーに生かされた。
    だから生きなきゃいけない。
    生きて次の誰かに命を引き継ぐんだわ。
    レバンネ、そうして命はずっと続いていくんだよ。

  • 面白いけど…たぶん、いろんな事が割愛されているんだと思う。本当は本を読んでから映像を見て見たかった。いずれ本を読んでみよう。

    アニメの顔が、ハイタカはなんとなく菅原文太さんに似ていて、アレンはなんとなく岡田くんに似ていた。わざと似せていたのかな?

  • 私はさほどジブリのファンでもないほうだが、アニメとしての作りは動きもいいしとても良いと思う。原作との比較で酷評されているようだが、私は原作を読んでいない。
    生と死をテーマにしている作品と見て取る分にはよくできている作品だと思う。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      pinoko003さん
      猫は見逃し続けているのですが、キャラクターの造形等をパッと見ただけで、監督が「ゲド」を理解していないのは一目瞭然。
      ...
      pinoko003さん
      猫は見逃し続けているのですが、キャラクターの造形等をパッと見ただけで、監督が「ゲド」を理解していないのは一目瞭然。
      とは言え、映像化作品は別物だし、「ゲド」より「シュナ」に近いと言われているらしい。次に地上波で放映される時は見てみよっと、、、
      じゃなくて「アスーシー」読んでみて!
      2023/02/23
  • 「不死であるということは生を拒絶することだ」


    おくらばせながら、やっと「ゲド戦記」を観た。

    あまりにも周りの反応が芳しくなかったため

    そのうち観ようと思いつつも先延ばしになってた。

    あたしが受けた第一印象としては


    「そんなに言うほど悪くないんじゃない?」という感じ。

    それこそ「ちょっとこれよかったかも」にやや近い感じ?w

    まぁ少なくとも「ハウルの城」よりはずっと良かった。

    もちろん、あたし的に、という意味で。



    「ゲド戦記」には、まずい点も確かにいくつかある。

    物語の真髄、最も伝えたい部分を前面に押し出そうとする反面、

    その背後関係の詳細な部分が曖昧なまま放置されてる。

    少年が彼の父を刺し、剣を奪って逃げるのだけど、

    そのあたりの背景にもうちょっと具体的な説明が欲しかった。

    もう一つの人格が凶暴性を持っており、時々どうしてもその衝動を

    抑えきれなくなってしまう。

    理由はそれだけではないはずだ(....と思いたい)

    (まぁだからこそ見た人の勝手な推測や空論が入り込む余地もあるのだけど)

    竜の化身とテルーの関連性のあたりもちょっとまずい。

    説明が追いついて来ないし、やや飛躍しすぎてる感もある。

    ラストもあれでいいのか?という感じ。



    だけど、以前も村上春樹について書いた日記でも触れたが

    一つの作品というものは、もちろんあるべき最終章に向かって

    流れているものであるけれど、必ずしも最後が大事なのではなくて

    その過程の中にこそキラリとしたものが含まれていて、その

    きらめきの一つでも発見できればそれでオールオッケーなのだ。


    全てが完璧である必要は無いし、どんなに構想を練りこんで

    作られたものでも感動が出来ない退屈な作品はたくさんある。

    昔よく見ていたアニメだってそう。ラストシーンは思い出せなくても

    見ていた過程の中で感動したり、何かを気付かされたりしたものだ。

    そういう意味では「ゲド戦記」はあたしの心の何かを奮わせた。

    引力のある作品だったと思う。



    命は永遠ではないから、私たちは生きているという実感を

    得ることができる。

    もし命が永遠で、死ぬ恐れが無かったら、

    死の対極にある生についても考えない。

    それは生きることを拒絶することだ。

    不死であるということは「死なない」ことではなく

    「生きない」ということだ。

    死があるから人は命を大切に出来る。

    誰かのことを思いやることも。



    単純で直截的な手法で、「ゲド戦記」はこれを切々と訴えてくる。

    子供が「おなかすいたー」と泣き喚くようにあまりにも分かりやすく。

    小手先の技法や湾曲な表現など一切無く、でもだからこそ

    伝わってくる熱いものがある。

    そう、この作品全体にただよう直截的な「ひもじさ」

    のようなものがあたしは結構気に入ってる。



    テルーが草原で歌ってる場面。恐らくこの物語の中心でもあろう

    このシーンで少年はただただ涙を流す。

    私たちはすでに知っている、ある日ふと流れてきた曲を聴いて

    訳もわからず心奮えたときのあのやるせない気分を。

    だからこそ少年と一緒に泣ける。

    そしてあたしは物語には単純に感動すると決めている。


        マイフレのMくんならきっと
        「泣かせようって気合が出てる話には”泣いてたまるもんか”
        って思うけどね」 と言うだろうけどw 


    でも簡単に感動してしまう自分が結構好きだったりもする。

    それにディティールの脆弱性やあら捜しをしながら観ても

    全然楽しくないし、それならば単純に感動しちゃったほうが

    ずっといいに決まってる。


    そしてこのテルーの歌は、くちずさむには最適な歌だと思う。

    ここ数日間はお風呂の中で娘と一緒に歌っている。

    子供にはきっとこの歌詞のほんとうの意味などわからないだろう。

    だけど、きっと大人になっても忘れないだろう。

    歌ったという記憶はなくならないだろう

    そんな種類の歌だと思う。



      ゆうやみ せまる くものうえ

      いつも ひとりで とんでいる

      たかは きっと かなしかろう

      おとも とだえた かぜのなか
     
      そらをつかんだ そのつばさ

      やすめることは できなくて


      こころを なにに たとえよう

      たかのような このこころ

      こころを なにに たとえよう

      そらをまうよな かなしさを


      あめの そぼふる いわかげに

      いつも ちいさく さいている

      はなは きっと せつなかろう

      いろも かすんだ あめのなか

      うすもも いろの はなびらを

      めでて くれる てもなくて


      こころを なにに たとえよう

      はなの ような このこころ

      こころを なにに たとえよう

      あめに うたれる せつなさを


      ひとかげ たえた ののみちを

      わたしと ともに あゆんでる

      あなたも きっと さびしかろう

      むしの ささやく くさはらを

      ともに みちゆく ひとだけど

      たえて ものいう こともなく


      こころを なにに たとえよう

      ひとり みちゆく このこころ

      こころを なにに たとえよう

      ひとり ぼっちの さびしさを


      
             テルーの唄
             唄 手嶌葵
             作詞 宮崎吾朗
             作曲 谷山浩子




    ひしひしと、ココロにくる。

    いい詩デス。

  • たいそう有名な映画なんで、それはそれとして。まぁざっくりと言えばあまり面白くなく、はて、どこが何なのか、という感じはあって、絶妙な説教臭さもウザくて。
    しかしハイタカである。大賢者と呼ばれると本人とおばちゃんは言うけども、街でもどこでも、誰も知らない、という、謎の有名人っぷり。ホントなんか?ていうかキミらほとんど外部と接触なくて、なんつーか、引きこもり気味じゃね。いや、人はいっぱいいるけど、好きなことやってるだけというか、クモとのことも身内揉めというか。
    頑張れ大賢者。

  • 均衡の上に成り立つ、がてーま、人間の二面性も含まれ、アレンの父親殺しも二面性、善と悪の均衡の故かもしれないがテーマ難解。楽しく見られるジブリ作品では異質。


  • テルーとアレン。

  • 2回目 2021/04/11

  • TVにて

  • テレビで。
    背景とかの説明がなかったのでよくわからなかった。
    絵も、ナウシカ、ラピュタ、もののけが混ざった感じ?

著者プロフィール

1967年、東京都生まれ。信州大学農学部森林工学科卒業後、建設コンサルタントとして公園緑地や都市緑化などの計画、設計に従事。1998年より三鷹の森ジブリ美術館の総合デザインを手がけ、2001年より2005年6月まで同美術館の館長を務める。2004年度芸術選奨文部科学大臣新人賞芸術振興部門を受賞。2006年に「ゲド戦記」でアニメーション映画を初監督。2011年に映画「コクリコ坂から」、2014年には初のTVシリーズ「山賊の娘ローニャ」(NHK・BSプレミアム)を監督。同作は国際エミー賞キッズアワードのアニメーション部門で最優秀作品賞を受賞した。

「2021年 『スタジオジブリ絵コンテ全集22 アーヤと魔女』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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