二十四の瞳 デジタルリマスター2007 [DVD]

監督 : 木下惠介 
出演 : 高峰秀子  月丘夢路  小林トシ子  井川邦子  田村高廣  笠智衆 
  • 松竹ホームビデオ
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感想 : 17
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  • / ISBN・EAN: 4988105052987

感想・レビュー・書評

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  • 私はこれを一種の音楽映画として見ました。劇中に流れるたくさんの童謡。不況や戦争といった悲劇を描きつつも、そこではかならず歌が流れている。そして小豆島の風景が(小豆島は空襲がなかったんですね)、そこにかぶさっていく。なんとも美しい作品です。
    ちょっとだけ補足しておきますと、唱歌と童謡は今日、一緒に思われていますが、唱歌というのは文部省が定めた歌でありまして、基本的には教訓が多く、古くさい。一方の童謡というのは大正期から昭和初期に創作されたもので、こちらは感性を育てることを目標にしていて、歌詞もメロディも創作性、芸術性を追求しているわけですね。童話というのも実は同じで、民話や神話とは違う、創作物語であったのです。
    簡単にいえば、唱歌は古くさく、童謡は新しい。「子どもたちには無限の可能性があるんだ」、「子どもたちの純粋無垢な感性を育てていくべき」いう教育改革運動がベースにあるわけですね。
    で、新米でモダンな大石先生が子どもたちに童謡ばかりを教えるものだから、笠智衆の男先生は「困ったもんだ」と嘆くわけであり、また男先生がなんとか子どもたちに唱歌を教えようとするのだけれども子どもには不評なんですね。
    そういうわけで、この大石先生と童謡とは不即不離で、だからこの映画では童謡が最後のシーンまでずっと重要な鍵になるのです。(ただ、途中で賛美歌が使われるのだけが解せない)
    それにしてもこの前の戦争で日本は本当に「男のいない国」になってしまったんですね。男たちはみんな戦死してしまって、残されたのは女子どもだけ。よくもそういう状態から立ち直ったものだなぁと思わざるをえませんでした。

  • 思わぬ先からDVDを入手でき再観賞できる機会があったことから二度目の鑑賞を実施するも、おんなじところでぐじゃぐじゃになってしまったのはアルコールばかりが強い安酒のためとする(苦笑)


    この映画の中で具現化されていたことは、このごろ自分の頭の中に起こったことの集大成であった。「少年H」、「戦後日本の大衆文化史―1945‐1980年」といった書籍に目を通した結果、昭和三年から始まる「ふたむかし」の間に起こる出来事は全くの具体性をもって目の前に現れたのである。

    その中でも驚くほど顕著であったのが日本の戦前戦後の音楽史の側面。使われている楽曲は以下のイメージアルバムの曲目リストから振り返ることができる。

    http://www.amazon.co.jp/gp/switch-language/product/tracks/B000O78YFC/ref=dp_change_lang?ie=UTF8&language=en_JP

    こうした歴史的背景の強い白黒邦画の冒頭部が「アニーローリー」というカタカナの曲で始まることにただ疑問符だけが浮かぶ人は前述の鶴見俊輔氏の著述に目を通せばものの見事に霧が晴れる。日本という国が開国から半世紀ほどで西洋式の音楽教育に追いつこうとした時、それに尽力した人たちが「学校唱歌」としていろいろな音楽を持ち込んできた。その中のいくつかの曲が「土着化」したのだそうだ。「少年H」にも音楽の話題はふんだんに含まれており、そのなかで土着化した楽曲のひとつである「埴生の宿」が「敵性音楽か否か!?」と騒がれる話題が含まれていたが、本映画ではこの楽曲もふんだんに取り込まれている。戦後に表現の自由を取り戻した芸術家たちが長い間押さえ込まれていた心の叫びを彼らの創る作品に込めようと意気込んだ時、こうした選曲の「こだわり」にも現れたのであろう。大石先生が学校に通えなくなった松江を訪ね、「来れるようになったらこれをお使い。」と彼女が欲しがっていた「アルマイトの弁当箱」をプレゼントする場面に流れるその曲こそは「いつくしみふかき」。賛美歌からも選曲されていたのである。

    音楽面から離れて、自分がこの作品にはまってしまった理由の一つはキャスティング。「ふたむかし」の20年の間、十二人の子供の成長を描くため子役の選定には風貌の似た兄弟姉妹を厳密に選んだそうな。一年生から五年後、八年後、そして四年後と時代が流れるにつれ生々しく成長していく子供たち。そのうち先生にも子供が産まれ、先生の教え子たちも戦争と貧困を通して一人二人と欠けていく。すべてが生々しく、高峰秀子の年老いる様の名演とも相まってつい感情移入してしまう。

    「まっちゃん」こと松江の成人した姿を演じる井川邦子という女優さんは本作を初めて鑑賞したフェスティバルを通しても何度かみた顔ぶれ。その彼女がふと目を見張る姿で現れるのが印象深い。少し横道にそれると夫役の天本英世には驚いた。彼は仮面ライダーでの「死神博士」の印象が強すぎて、当時二枚目俳優だったという事実に目をこすらんばかりだったから(笑)


    最後に。

    今回のFilm Festivalを通して身に付けた能力は「白黒を通して色をみる」こと。日本という国は風光明媚な国であり、そんなことは今になって知ったことではないのであるが、白黒の画面を通してそうした風景の端々をみているうちに如実に色合いを感じれるようになってきている自分を知った。水をはった田んぼ、連なる山々、水の青と空の青、それらから読み取る暦…。その能力は更に伸びて和傘の色や、袴の色まで想像できるようになり、終いにはどの映画が白黒でどの映画カラーだったかも混乱するようになってきた。喜ばしい変化である。


    岡田磯吉、竹下竹一、徳田吉次、森岡正、相沢仁太。
    香川マスノ、西口ミサ子、川本松江、山石早苗、加部小ツル、木下富士子、片岡コトエ。

    「幼い子供達は前途に何が待ち構えているかをしらず彼等自身の喜びや彼等自身の悲しみの中でのびていった」


    大石先生の息子が発音する「おかあさん、おかあさん。」という響きが自分たち兄弟が発していたものと全く同じではっとした。

    「おかあさん、泣いた。死んだ人がかわいそうでうぅんと泣いた。」
    「あんな青い柿握ってなぁ…。」
    「やっぱり海の子じゃなぁ。」


    物語は昭和二十一年で終焉する。

    教室の壁に貼られた習字に「ヘイワ 日本」と書かれていた頃のこと。

    「浜辺の歌 」の詞が
       ふかーくふかく聴こえてくる…。

  • 明治以前からの古い文化が染みついた島に、洋服を着て自転車に乗ってきただけでハイカラで女らしくないなどと言われる主人公。洋服は珍しいもの、自転車も庶民には高価なもの、という時代。そんな現代とのカルチャーギャップだけで話の筋に関係なくもうおもしろい。
    また、この時代の子供の顔というのが、現代の同年齢の子とはかなりかけ離れているように見え、無垢すぎる不細工加減が眩しいほどのイモっ子もいれば、しっかりと美少女感漂わせた子役らしいのもいて、興味深い。たった十二人でもいろんなのが居るもんだ、と。
    そんな子らのほのぼのした話なのかと思いつつ観ていたら、結構どんどんと時間をすっとばして場面をかいつまんでは数年後…数年後…。あんなに無垢で輝いていた十二人の瞳が、歳を経て、戦争を背景に時代に流され揉まれる中で、だんだんと淀んだりくすんだり、涙に満ちていったり。
    教師の方も恋やら結婚やらありつつも、物語後半は戦況の悪化とともに痛ましい出来事が増え、泣くばかり。毎シーン何かが起きるごとに必ず泣くので、ちょっと可笑しかった。
    終盤、戦争終わって、あの子供たちもみんな三十代に近い年頃。男子は五人いたうち三人が戦死、二人帰還したうち一人が失明。女子は七人いたうち二人が家庭の色々で亡くなった。
    そうして残った七人が教師を呼んで同窓会。最初の小学校時代にみんなで撮った写真を見る。七人のうち失明した男が「この写真は、見える」と言って写真を指でなでる。教師は泣き出す。またかよ、と思ったけどここは自分も泣いた。
    失明したこの男の目も、あの二十四のうちの二つだった。このタイトルは深いなあ、などと最後に思った。
    その他、笠智衆のとぼけた感じが面白かった。

  • 学校で映画鑑賞ということで見ました。

    涙しました。名作ですね。教師と生徒との愛情の物語でもあり、また優れた反戦映画の一つだと思います。

    昭和3年、小豆島にモダンガールでハイカラな、自転車を駆って颯爽と島内を回る女性教師・大石久子が島の分教所に赴任します。物語はその昭和3年からの20年間、戦前・戦中・戦後と時が移ろう中で教え子に愛情を注ぎ、教え子の身を案じ、どこまでも見守り続けた大石先生のお話です。

    当時の時代感覚に忠実に描いているのだとは思いますが、何分古い映画ですから、今との時代感覚のずれっぷりに多少戸惑いは覚えました。
    まず、自転車・洋服姿が、「ハイカラ」で、「島の中で浮いた存在」になってしまうというあたりからして衝撃的ですね。「いいじゃん、自転車くらい」って、感覚としては言いたくなるのですが、やはり絵として見ると和服の子供や割烹着の親御さんばっかりの中だと、浮きますねぇ……。自動車も走ってますけど、自動車には文句言わないで自転車で文句言うって何だろうねぇ。
    ジェンダーで言っても、「男先生」とか「女先生」とか、わざわざ性別を付けて呼び分けたり、「男は戦争、女子どもは見送り」というような雰囲気にはどこか性差別的な雰囲気を感じました。
    また、教師の仕事ということで言っても、「何か特定の教科を教えるのが上手い」であるとか、「子どもたちに広く世の中を知ってもらい、自律的に物を考える力を養う」であるとかよりも、「国のために忠誠を誓う子供を育てる」が眼目なんですね。「天皇陛下はどこにおられますか?」と大石先生が生徒に尋ねるシーンにはドキッとしましたし、校長先生が大石先生に忠告するシーンでは「そんなことでアカ(共産党員)だと疑われてハブられるのか……」と思ってしまいました。
    要は、その辺の、当時の時代感覚を知り、今の時代とのズレを感じることが出来ただけでも、私からすれば大きなことだったと思っていることです。

    それを踏まえたうえでも、やはり、大石先生はいい先生ですね。「小石先生」と呼ばれ、「泣きミソ先生」と呼ばれるその呼び名に、単純なからかいではない、どこか先生に対する親しみを覚えます。一見、教え子と一緒に遊んだり、歌ったりしているばかりで、教え子の悩みに対してはぼやっとしたことしか言えずにおろおろするばかりの情けない先生のようにも見えますが、そういう先生こそ貴重なのではないでしょうかね。
    楽しいときは一緒に笑い、悲しい時つらい時は一緒に泣くだけ。これだけのことなんですが、そこにとても深い、温かい愛情のようなものを感じるのは、そこに自分たちには欠けてしまっている大事な何かがあると感じるのは、私だけでしょうか。
    「いくじなし」「泣きミソ」。こういう言葉でもって自分の弱さを否定して、世のためお国のためと強くなろうとするあり方が、結局人を殺していったのではないか。そんなことを考えさせられた映画でした。

  •  昭和初期に小豆島の分校に赴任した先生と子ども達の20年を描く。

     この大石先生ってどちらかといえばダメ先生なのである。することと言えば子どもと泣き笑いし、後は童謡を歌うだけ。でも先生の本質とはそれだけなのかもしれない。共にいて希望を示すだけ。それだけが教師の役割なのだと感じた。
     この映画の全編に渡って流れ、歌われる童謡は当時の日本にとって明るい未来の希望の象徴なのだと思う。この時代を生きた人々にとって「二十四の瞳」は誰もが涙する不朽の名作なのだということがよく分かる。

  • 『鈴木先生』の話から「GTO」、「金八先生」と話が進み、ついには「二十四の瞳」に及んだので改めて見直している。

  • 小豆島から帰ってきてすぐゲオで借りて観た。
    子どもの頃とは違う気持ちで白黒映画を観れる。唯一覚えていた落とし穴のシーンを観れてよかった。
    カメラワークが今と違ってた。長回しでカット割が少ない。
    大石先生の言葉がやさしくて泣いた。

  • 噂聞いていた木下恵介の代表作。
    期待が大きかったからか、正直そこまで。。。という感じだった。
    名作に対してなんだ!って、かなり失礼かもしれないが、
    全体にあさーく色んな人の事件が描かれていて感情移入しにくかった。
    人を描くならもっと徹底的に誰かにフォーカスしていた方がよかったような気がした。

    それでもやっぱり音楽の使い方とか、日本人の情感をよく知ってるからこそなせる演出だなと思った部分もあるのだけど。
    また何年か後に見たときはこの作品の良さがわかるようになるのかな。

  • 小豆島の小学校で働く新米教師と12人の新入生の交流を描いた物語。

    昭和9年から戦争の混乱を経て生徒達が大人に成長するまでの記録。

    今の感覚で見るとえ?と思う部分はある。
    生徒の仕掛けた落し穴に落ちて足負傷→学校に通えなくなりあっさり本校へ異動。
    教え子が卒業式を迎えた後、あっさり退職。
    教師は腰かけだったのか?

    などなどあるが、
    あの時代を考えると仕方のないことだったのかな?と思わせる。
    モノクロ映像と高峰秀子の演技がそう思わせるのか?

    国の思想、命令が絶対な中、
    教師といえども、だからこそ個人的な思想を生徒に教えられないし
    生徒の夢や希望を応援したくても、家庭を助けるため、
    お国のためにほとんどの生徒は自分を犠牲にする。
    それがあの時代は普通のことだった。

    先生が「軍人になるなんて、生きて欲しいのに」と言って
    家族に諌められるが、それさえも思ってはいけない世の中だったのか。

    静かに反戦を訴える良い作品でした。

    ただ、子どもたちの台詞が全く聞き取れなかったのが残念。

  • 小豆島でロケが行われた12人の生徒と先生の物語。

    けれどこれは教師と生徒という関係、学校というものだけを描いたものではない。
    主人公である先生はなんと先生を辞めてしまうのだから。
    そのことがつまり、物語の根幹。

    時代は戦前の昭和。
    舞台は瀬戸内海の島にある分校。
    そこに赴任したモダンな先生。
    保守的な田舎では、先生は受け入れられない。
    しかし、次第に生徒に慕われる姿を見、次第に打ち解けていく。

    そこで出会った生徒たちは徐々に大きくなり、苦労を強いられる子や、兵士として帰ってこない子も。

    時代が戦争一色に染まっていき、のどかな島の景色にも軍歌がなり響く。
    自らの子さえも、戦争へ行くのだと言う。
    そして夫は英霊となって帰ってくる。

    戦争が終わり、残っていたのは、変わらないのどかな海と田舎の風景。

    やがて先生と生徒は再会をするが、戦死した男子や盲目になってしまった子など、みな一様に思うところがある。

    最後に生徒が歌う、浜辺の歌。
    それは今とはほど遠い、楽しい遠足で聞いた歌。

    むかしの人ぞ、しのばるる。


    これは銃後の女性から見た反戦の物語。
    本当に素晴らしい。

  • 概要:
    普通選挙が実施される一方で治安維持法の罰則が厳しくなった1928年、師範学校を卒業したばかりの大石久子訓導「おなご先生」は、島の岬の分教場に赴任する。そこに入学した12人(男子5人、女子7人)の児童の、それぞれの個性にかがやく二十四の瞳を前に、この瞳をどうしてにごしてよいものかと感慨を持つ。
    若く朗らかな大石先生に子供たちはすぐになつき、信望を集めた。しかし颯爽と自転車に乗り洋服姿で登校するおなご先生は「ハイカラ」であることを理由に、保守的な村の大人達から敬遠される。些細な誤解から面罵され、思わず涙する事も。しかしいつでも子供たちはおなご先生の味方であり、支えであった。
    そんな折、大石先生は年度途中で子供たちの作った落とし穴に落ちてアキレス腱を断裂。分教場への通勤が不可能になってしまう。大石先生が不在の中、「おなご先生」を一途に慕う子供たちの姿を目の当たりにした村の大人達の態度も軟化する。大石先生が子供たちにとってかけがえのない存在であることを理解したのだった。やがて怪我が完治した大石先生は本校へ転任する事となり、村の皆に見送られ、再会を約束して分教場を去った。
    1932年、子供たちは5年生になり、本校に通うようになり、新婚の大石先生と再会する。しかし昭和恐慌や東北飢饉、満州事変・上海事変と続く戦争といった暗い世相は、大石先生を始めつつましく暮らす生徒達のそれぞれの暮らしに、不幸の影を落とし始める。 1934年春、戦時教育に憂いを持った大石先生は教え子たちの卒業とともに教職を辞する。12人の生徒たちはそれぞれの運命を歩む。彼らの行く末を案じ、戦地へ赴く教え子には「名誉の戦死などするな、必ず生きて帰れ」声を潜めて伝える大石先生だった。
    1946年、船乗りの夫を戦争で、相次いで母親も末娘も亡くした大石先生はふたたび教壇に復帰する。 幼い児童たちの中にはかつての12人の児童たちの近親者もいる。点呼を取るだけで涙ぐんでしまう大石先生は、その昔「小石先生」とあだ名をつけられたように「泣きミソ先生」と呼ばれることとなる。 教師の道をえらび、母校に勤務しているかつての教え子の呼びかけで、12人(のうち消息のわかるもの)は大石先生と会合をもつ。 貧しさから波乱の人生を余儀なくされた者、家が没落し消息を絶った者、誰にも看取られる事なく病死した者、遠い海の向こうで戦死し2度と帰ってこない者、戦場で負傷し失明した者。時代の傷を背負って大人になり、大石先生を囲んだ彼らは、小学1年生のあの日皆で一緒に撮った写真を見る...。
    (wikiより)

    感想:
    長いし古いけど、いい映画でした。
    もし自分が戦争のころに生きていたら、「生きて帰ってきてほしい」なんて生徒に言えただろうか。
    言えなかったろうなぁ。
    先生やめることなんて出来ただろうか。
    出来なかっただろうなぁ。

    すごく綺麗な女優さん。演技もかなり惹きつけるものがありました。
    自転車がプレゼントされるシーンはぐっときますな。

  • 小豆島、軽井沢などを舞台とした作品です。

  • [1954年作、TV録画鑑賞]
    山田洋次監督が選んだ日本の名作100本〜家族編〜
    やっと見る機会を得た作品。この頃(1954年)は先生と生徒の関係も濃厚だ。戦争の悲惨さも背景に埋め込みながら決して声高ではない淡々とした物語展開だが、公開時は戦後9年経ちやっと過去を振り返る余裕ができた頃で細かい描写が無くとも”本当に酷い時代だった”と共感できたのだろう。怒りがじわっと湧いてくるしっかりした反戦ドラマになっていて爆発的ヒットになった理由が理解できる。高峰秀子の透明感のある抑えた演技がいいなあ。ここで表現された日本人の精神性がまだ失われていない、と思いたいがどうだろう?

  • 製作年:1954年 製作国:日本 時間:156分
    監督:木下惠介

    映画館で鑑賞(4.0点)

  •  名作です。木下恵介の映画という感じの映画です。

  • 1954 日

  • どうもわたしは、木下監督と相性が良くないのかもしれない。「喜びも悲しみも幾月歳」や「女の園」などといった代表作をそれなりに見たつもりなのだけど、どれも今一つぴんと来るものがなかった。この作品もまた同様だった。
    高秀秀子演じる大石先生が小豆島の小さな部落の教師に赴任し、生徒たちと成長していくというとても感動的な物語である。その間には戦争があり、貧困があり、思うように行かないながらもみんな必死で生きる力を感じる。でも何というか、木下監督はだらだらと物語が続いてだらだらと終わってしまう気がしてならない。起承転結で言うところの転がないというか。人生はしょせんそんなものだったとしても映画として見せるからには多少、物語の構成をもっと練ってくれたらなあ、と。
    作品そのものがやけに長いのも、ちょっと気になる。黒澤映画だと全く気にならないのに、この監督の映画は半分ほど見たところでだんだん飽きてしまうのは、わたしの感性の問題でしょう。

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