秒速5センチメートル 通常版 [DVD]

監督 : 新海誠 
出演 : 水橋研二  近藤好美  尾上綾華  花村怜美 
  • コミックス・ウェーブ・フィルム
3.75
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本棚登録 : 2660
感想 : 574
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4560107150245

感想・レビュー・書評

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  • 初恋は得てして実らないものだけど、それでもこの物語は、愛おしさよりも、物悲しさと切なさ、そして、孤独が際立っていて、寂寥感に胸が締め付けられました。 
    幼い日の初恋の10数年の軌跡を計63分の連作短編として纏めた新海誠監督のアニメーション作品。

    双方の両親が転勤族だったため、共に小学校四年生の時に東京の学校に転校してきて出会った、貴樹と明里。クラスメートとはしゃぐよりは本を読むことが好きだった二人はすぐに意気投合する。けれど、中学校進級時に明里は栃木へ引っ越すことに。二人を繋ぐのは、文通のみ。そして、二年生進級の機会に、今度は貴樹が鹿児島の離島に引っ越すことに。
    これまで以上に広がる距離を前に、まだ雪も降る三月の寒いある日、二人は栃木での一年ぶりの再会を果たそうとするけれど…。

    物理的な距離と時間の流れに隔てられる中で温度差が出来て離れていってしまう男女の姿は、世の無常の真理を確かに現しているのと思うのだけど、何かが胸にわだかまってしかたがない。 
    あまりにも対照的になってしまう二人の人生を同時に観ることになってしまうからかも知れません。   
    その対照性から、イアン・マキューアン原作でシアーシャ・ローナン主演の映画「追想」を思い浮かべたのだけど、この作品は「追想」に残された欠片ほどの救いもないという…。

    構成は、恋を知ると共に人生の無常を悟る小・中学生時代を描いた第一編「桜花抄」、高校時代の貴樹を他者の視点から描いた第二編「コスモナイト」、成人後の二人を描いた「秒速5センチメートル」の三編からなっています。

    実在のものを入れ込む緻密な風景描写、世界観を構築しながら登場人物の心情を代弁するような音楽の巧みな使い方など、新海誠監督らしさも存分に感じさせる作品。
    ここから、どんどん次の作品に繋がったんだな、と思うつくり。ただ、人物の画は荒いというか少しつたないくらいなので、人によってはそこで評価が分かれそう。

    個人的には割と好きな部類に入ったのだけど、主人公が悲しい目に遭う作品に抵抗のある人には正直オススメはできない作品。

  • 新海誠へは愛憎なかば。
    この20年ほどつけている読書記録・鑑賞記録を検索した結果、最も古い深海作品は、2014年に「言の葉の庭」を見たという記録なのだが、どう考えても違う。
    1983年生まれの私だが、たぶん記録で遡れない高校生くらいに「秒速5センチメートル」を、たぶんWOWOWの新海誠特集とかで見ていたんだろうなと思い込んでいた。
    ブランキージェットシティの浅井健一が「小さな恋のメロディという映画を 観たことがないなら早く観たほうがいいぜ 俺の血はそいつでできてる 12歳の細胞に流れ込んだまま まだ抜け切れちゃいない」と歌っていたのと同じくらい中高生時代に埋め込まれたような気がしていたのに。
    が、今回鑑賞しながら制作年度を見てみたら、なんと2007年「秒速5センチメートル」公開。
    え、自分24歳じゃん、90年代じゃなかったんだ!? と驚愕。
    2007年っつったら就職して数年。
    いまから思えば、第3章「秒速5センチメートル」における、社会人となった貴樹の男女関係や、仕事を吹っ切る辺りに、自分を重ねてもよかっただろうに、当時は重い至らなかったんだろうな、記憶がむしろ第1章「桜花抄」に集中している。
    たぶん当時の彼女と一緒にDVDで見たはずなのだが……。
    記憶の齟齬? 抑圧していた?
    で、ええオッサンになって新海誠的な「感情の集合体」からある程度距離を取れるようになったり、
    「新海誠が好きだった元カレ」がいた人々にインタビューしてみた
    https://note.com/hummm09/n/n71120bcb127c
    という記事で腹立つほど笑ったり、
    「君の名は。」「天気の子」で古参ファンっぽく皮肉めいた見方をしたりした上で「すずめの戸締まり」に意想外に感動した上で、
    本作を見返してみたら、
    ……やはりムラムラと気持ちの収まりがおかしくなっていまい、隣室で妻子が寝ているからその日は静かに寝たが、翌日車を運転しながら、ああああああーーーーーー!!! と叫んでスッキリした。
    「耳をすませば」よりも感情が変に揺さぶられる、直面したくなかった何物かを目の前に差し出されたような、劇薬ミヒャエル・ハネケ「ファニー・ゲーム」に匹敵する、何かだ。はっきりカルト映画といえる。
    最近知った言葉でいえば「感傷マゾ」ってまさにこれか。
    ……結局内容とは関係なく、「オレと新海誠」になってしまった。
    本作のネット上の感想、漁ればいくらでも漁れるだろう。
    「永遠に感傷に淫する」こともできそう。あぶねー。

  • 本当は「君の名は。」より先に見た。
    でも「君の名は。」の方が良かったので後回し。

    時というものは残酷。そして男性と女性じゃ、女性の方が酷。
    って見終わってすぐの感想。
    中一であんなに密になった気持ち。
    ずっと続いてて欲しかった。

    新海誠さんの作品には風を感じる。空気を感じる。

  • この主人公の、終始モノローグ的な声音が、ずっと悲しい。
    初恋の相手との距離は、13歳時は物理的な距離や時間で表現されるものの、社会人になったらそれはもう心理的な距離感となっている。

    こんなセリフがある。
    「ただ生活しているだけで、哀しみはそこここに積もる。陽に干したシーツにも、洗面所のハブラシにも、携帯電話の履歴にも」

    ただ生活しているだけで。
    ただ生活しているだけなのに、この哀しみの所以は、きっと主人公にもわかっている。


    彼女の姿を探し続ける。いつか隣にいた姿を見続ける。
    また会えるかもしれない、ふと、会えるかもしれない、
    そんなことを思って歩いていたって、そんな淡い期待は往々にして裏切られるし、でも祈るくらいいい、無駄にするのは時間だけだ。
    そこから抜け出したくて誰かと付き合ってみるけれども、どうしても、相手が見えない。透かしたように、風景が見えるだけだ、過ぎた時間が見えるだけだ。

    恋人がそばにいても、孤独しか感じない。
    もう、魂のレベルなんだろう。
    心がずっと、取り残されたまま。

    そしてもう、あの人は自分のことなんて見てはいないというのに。


    愛って孤独だ。

  •  新海誠監督の作品だということで手に取ってみました(といっても,PrimeVideoだけど)。2007年の作品。
     アニメーションとは思えない光の表現や電車の景色など,後ほどに続く映像美の片鱗があちこちに見られます。というか,新海監督の作品って,現実よりも現実っぽい描き方をしているみたい気がします。光なんて,あんな風に射すことはめったにない,けど,きれい…みたいな。
     全体は3話に分かれているものの,それぞれの話は独立していそうでつながっている,そういうことがすべて第3話でつながります。第3話の映像と音楽とのコラボは圧巻です。これ,映画館で見るとけっこう鳥肌が立ちそうです。
     切ない幼い男女の物語と言ってしまえば身もふたもない。この映画の解説に「叙情的に綴られる三本の連作短編アニメーション」とありましたが,まさに叙情詩を読んでいるような映像。
     桜,雪,鹿児島,東京,ロケット,電車,車,カブ,サーフィン,弓道,時間,光,風,星,太陽,宇宙などが,意味を持って画面を飾っています。全部つながっていて,でもそれらと出会えるのはホンの一瞬。すべて必然だけど,一人一人にとっては偶然。なんか,そんなことを感じました。
     心温まることは間違いない。

  • <桜花抄>遠い憧れのつまった図書館の本。神社の猫。カンブリア紀のハルキゲニアとオパビニア。二人だけに過ぎてゆく日々と、二人だけで広がっていく世界。東京の小学校に通う遠野貴樹(声:水橋研二)と篠原明里(近藤好美)は、親の転勤で引っ越したばかりの家庭環境も同じながら、引っ込み思案で体が小さく病気がちなところも同じだった。二人はやがて、お互い似たもの同士で、次第に意識しあうようになるが……。
    <コスモナウト>種子島-夏。この島に暮らす高校三年の澄田花苗(花村怜美)の心を今占めているのは、島の人間にとっては日常化したNASDA(宇宙開発事業団)のロケット打ち上げでも、ましてやなかなか決まらない進路のことでもなく、ひとりの少年の存在だ。中学二年の時に、東京から引っ越してきた遠野貴樹(水橋研二)。こうして隣を歩き、話をしながらも彼方に感じられる、いちばん身近で遠い憧れ。鼓動が重くも早まるから、口調は早くも軽くなる。視線が合わせられない分、視点はいつも彼のほうを向いている。ずっと続けてきたサーフィンで思い通りボードに立てたなら、そのときは胸のうちを伝えたい。乗りこなしたい波。乗り越えたい今。少しずつ涼しさを増しながら、島の夏が過ぎていく……。
    <秒速5センチメートル>遠野貴樹は高みを目指そうとしていたが、それが何の衝動に駆られてなのかは分からなかった。大人になった自らの自問自答を通じて、魂の彷徨を経験する貴樹だが……。
    「ほしのこえ」「雲のむこう、約束の場所」の新海誠監督が、卒業と同時に離れ離れになった少年少女の淡い恋を描く青春ラブストーリー!小学校の卒業と共に離れ離れになった少年・貴樹と少女・明里。互いに特別な思いを抱きながらも伝えられず、時間だけが過ぎて…。二人の再会を描く「桜花抄」、少年・貴樹を別の人物の視点で描く「コスモナウト」、2人の恋の行方を描く「秒速5センチメートル」を収録。新海誠独特なもどかしい距離感が遠距離恋愛や片想いというシチュエーションでより増幅された痛切なラブストーリー。雪のせいで電車が遅れたり、携帯電話がないので上手く連絡出来なかったりなかなか想いを伝えられない困難があるからこそ、会えた時間が大事な人がいとおしくて永遠を願うけどすれ違い熱い想いも冷めてしまうだけど忘れ難いそんな痛切な恋を描くストーリーが、LINDBERGや山崎まさよしのスタンダードナンバーを絡めて描かれる。じんわり甘く切ない傑作アニメ映画です。

  • 3回目の視聴。
    ハッピーエンドじゃないオチに惹かれる作品

    最初に見たときは高校生だったかな。
    電車の遅延、雪、焦る気持ち。
    クールな男子高校生、告白をためらう女子高生。
    味気ない社会人生活、踏切でのすれ違い。
    ラストシーンの、山崎まさよしの曲。

    大人になってから観ると、
    少し味気ない映画だなと感じたが、
    相変わらず、まさよしの曲は
    エンドロールにバッチリだと思う。

  • 「なぁ、桜の花びらの落ちるスピードは?」

    最近、このネタやけに好きになっています。新海作品に必ずと言っていいほど絡んでいるのが西村君。この作品は作画監督として参加している。彼のキャラクターデザインを見てふと思い浮かんだ言葉があった。

    「医学では傷ついた子供たちの心が治せない」

    阪大を出て医学博士にまでなり医学の道よりもこの道を選んだ偉大な先生の絵と比べるわけではないが、西村君も優しい絵を描くんですよね。

    「秒速5センチメートル」
    https://www.youtube.com/watch?v=8HmDXFHpmeo

    幼き頃の淡い恋から始まり、大人の別れまでを描いた作品。「桜花抄「コスモナウト「秒速5センチメートル」の三部構成からなるのですが、まさかの三部目なんですよね~。未練も30年経てば純愛に変わるんですけれど、なんか王道を行っているような作品に感じたのですが、気持ちを押し殺したまま終わってしまったような気がする。

    でも、桜花抄で「この先も、ずっと先も大丈夫だよ」が別れの言葉だったのかもしれない。アニメの世界ではどうしてもハッピーエンディングばかりを期待してしまうが、切ないなぁ~。

    でも、西村君の作品ではこれが一番好きですね!

  • タイトルと映像がただただ素晴らしく、美しい。
    二人の恋心が綺麗で純粋すぎて、でもどこかもろくて儚げで、この危うさが美しくも思えたり、もどかしくも思えたり。

    成就しなかったから、余計にそんな風に思うのかもしれん。

  •  背景の光の表現に目を奪われる。なんという空間の表現。あまりにも空がきれいで。あんな空の下に生きたい。必ず行こう。
     お話としているのは主人公遠野貴樹の内面です。キャラクターのデザインを強くデフォルメしている分それを引き立たせる背景は繊細な描写で、このバランスがとても良いなと思います。
     「好き」と言えずにいることの切なさと美しさを表現しているとも言えるし、「好き」と言えなかったことの後悔と哀しさを表現しているとも言える。これは大人が、もう変えることやり直すことができない過去のできごとやその時の感情に、しみじみする話だなと思います。決して明るい話じゃない。この話が人気だということは、気持ちを伝えられずにずっと昇華できずに生きている人がいっぱいいるということなんだろうな。送れない手紙を、届けないメールを書き続けてきてしまった人たちの、心が止まったまま過ごした時間への追悼なのかもしれない。会うことができるならば会いに行った方がずっと、気持ちを伝えられるなら伝えた方がずっと、ずっと健全。それを現実にしないのは怖いから?14歳の遠野と篠原に、現実にする勇気がないと厳しい意見は言えない。でも18歳では?今では?この話は好きか好きじゃないかで割り切れません。そして、そういう、割り切れない色々な感情が入り混じっているところは、生きているって感じで気に入ってます。誰にだってある、戻れない時間でのやり残したこと。

    第一話 桜花抄
     会いに行きたいとまで想う人がいることの幸せと切なさ。そして、実際に会いにいくことが、会うことができたという、奇跡のような可能性の一つが叶ったお話。ちょっと大げさかもしれないけれど、私にはそんな風に思われました。だって、現実に起こる物語では、遠野と篠原は会えないでお互いに転校してしまうってことがありえるから。そんなお別れだってあるのだから。

    第二話 コスモナウト
     この話が一番輝いていると思う。全3話の中の、一番輝いている時期。季節は夏。

    第三話 秒速5センチメートル
     主人公遠野が根暗過ぎてつらい。


     うらやましくて懐かしくて切なくて苦しい。
     大人の遠野は鬱陶しい。
     
     現実にしないことのノスタルジーと、現実にすることの今と、どちらを大切に思っているかによってこの作品への感想が異なるのだろうと思うと、どんな意見があるのかとても興味があります。

  • 題意は「桜の花びらが舞い落ちる速度」[4]。新海が監督・原作・脚本・絵コンテ、および演出までを手掛けた劇場作品で、惹かれ合っていた男女の時間と距離による変化を「桜花抄」、「コスモナウト」、ならびに「秒速5センチメートル」という短編3話の連作構成
    wikiより

  • 街の風景やちょっとした描写が精巧できれい。キャラクターはオイラの好みじゃないのが残念。海の描写はほかが優れているだけにもっと丁寧にしてほしかった。
    3つの物語の中で、自分の意思を明確にしたのは『秒速5センチメートル』で「1000回にわたるメールのやり取りをしたとしても、心は1センチほどしか近づけなかった」とメールした彼女くらい。『桜花抄』の明里は別れ際のホームで手紙を渡さなかった。『コスモナウト』の花苗はやっと波に立てた日に告白を諦めてしまう。ふたりとも貴樹のことを気遣ってたんだと思う。でも、告白っていうのはそもそも相手のためにするものではなくて、自分の気持ちを伝えることだと思う。あとは貴樹が考えて選択することだ。不倫しているわけじゃないし、貴樹に彼女がいるかどうかも確かめないうちから諦めちゃうなんて。まあ、いちばんの原因は優柔不断な貴樹だとは思うけど。モテたことがないオイラが言うことじゃないか。
    山崎まさよしの『One more time,One more chance』は、個人的に共感しちゃう経験があるので「ズルいよ~」って感じ。

  • 新海誠らしい交わらないラスト。個人的には大衆寄せした「君の名は」よりも好き。
    雑な言葉で表現すると,恋愛や結婚ってタイミングだよねという内容。思い当たる経験が誰にでもあると思う。出会うのが,近くなるのが早すぎたり遅すぎたりすること。物理的な距離や心理的な距離が離れてしまったとき,再び近付くために一生懸命に前を向いて進んでいくけれど,悲しいかな再び近付く頃に相手は違う方向を向いている。
    そして、その過程で巡り合った誰かと結ばれ,家庭を築き,どんどん離れていってしまうもの。伝えたかった言葉を胸に抱えたまま大人になって,伝える相手を失ったその言葉たちはいつまでも自分の気持ちを縛る。

    • 大野弘紀さん
      言葉とはかくも儚い流れ星のようなものなのだと、感じました。

      君の名はよりこちらが好きなので、共感。
      言葉とはかくも儚い流れ星のようなものなのだと、感じました。

      君の名はよりこちらが好きなので、共感。
      2019/11/15
  • 苦しかった。
    景色があまりにも美しく、それが逆に恐ろしくて、怖いとさえ思ってしまった。
    初恋の人と離れ離れになってから、秒速5センチメートルの世界に取り残されてしまった主人公。
    誰も救われない。
    悲しみがつきまとって離れないけど、それでも我々は生きていかなくてはならない。

    小説のほうも読んでみたいな。

  • ★2009年3月9日『秒速5センチメートル』【原作・脚本・監督】新海誠
    帰宅して、BS2を見ていたら、久しぶりに雰囲気のあるアニメを見られたので、メモっておきます。アニメ映画劇場で放送していた『秒速5センチメートル』と言う作品でした。新海誠という監督の作品ですが、画面がとても綺麗で、アニメと思えない丁寧に綴られたセリフが素敵でした。昨年9月にBSHIで放送したようですが、HIーVISIONで見られたらすごくきれいだったでしょうねえ。残念だったのは、最後の第三話「秒速5センチメートル」は殆どカットされて3分の1だったことでした。是非DVDを購入して全部見てみたいと思いました。
    小学校の卒業と同時に離ればなれになった遠野貴樹と篠原明里。二人だけの間に存在していた特別な想いをよそに、時だけが過ぎていった。そんなある日、大雪の降るなかついに貴樹は明里に会いに行く・・・
    「ほしのこえ」「雲のむこう、約束の場所」で数々の賞を受賞した新海誠が一人の少年を軸にして描く3本の連作短編アニメ。第一話「桜花抄」、第二話「コスモナウト」、第三話「秒速5センチメートル」。
    http://www.nhk.or.jp/bs/bsanime/
    http://5cm.yahoo.co.jp/gallery/index.html

  • これ以上何を失えれば
    心は満たされるのだろうか

    あの時失った一つの光と 一つの滴と 星のような微かな温もりが
    あの時は全てだったのに

    どうやったらもう一度出会えるだろう…

    心の何処かが過去に置き去りになって
    体が心を失ったままで彷徨っているかのよう
    失った光を探し求めている

    忘れられれば前に進むことは簡単になる
    楽に生きていけるようになることは分かっている

    忘れられないから苦しくて
    痛みと引き換えに忘れるくらいなら
    この痛みさえも どんなに苦しくても抱きしめていたいと願ってしまう

    それくらい―好きだったから
    大好きだったから
    言えなかったけど

    でも――確かに愛していたから

    だから大切にしたいと手を伸べた
    想いが届かなければ傷つき
    時には憎みさえして

    それでも
    好きだから出会えたのだと今なら思える

    好きだから嫌いにもなれたし
    好きだから愛していると囁くこともできた
    抱きしめてもらえるその温もりに目を閉じて束の間の夢を見ることもできた

    好きだから
    そんなささやかで
    どうしようもなくて
    理不尽で
    時には手からこぼれ落ちるような
    そして時と共に掛け替えのないそれまでも色褪せて
    そうして思い出せなくなるのかもしれなくても

    それだけが 世界を彩っているのかもしれない

    だから信じられたら…
    それは救いとなるだろうか

    取り戻せなくても
    失ったままでも

    思い出す度に 言葉にできないくらいに胸一杯になる
    それは喜怒哀楽のどれかであり 全てであり そのどれでもないもの

    ふとした時に蘇る
    過去がもう取り戻せないものだと突きつけられるようで どうしようもなくなる

    心は一体どうすれば満たされるのだろうか…
    分からないまま虚しさは溶けない雪のように降り積もり
    寂しさは砂漠のように広がっていく

    それでも ここから新しい歩みを
    また始めることはできるだろうか

    何度も裏切られて 信じられなくなった世界を
    君のいない世界を もう一度信じることは―好きになることは―できるだろうか…

    出会えるだろうか
    もうあの時失った一つの光と 一つの滴と 星のような微かな温もりは
    この世界にはないのかもしれなくても

    過去に置き去りにしてしまった心を
    この探し求める繰り返す日常の旅の果てに
    誰かが大切に持っているかもしれない
    もう一度 出逢うために

    そんな奇跡に そんな救いのような瞬間に
    そして――やっぱりこの世界が好きだという言葉を

  • 小学生の時に恋した女の子との遠距離恋愛を忘れられずにいる男の子の話。
    まず、とても映像が綺麗です。とくに空。言葉もきれい。そして作品がピュアで、「観る文学」のようだな、と思いました。新海作品を他にも観たくなりました。

  • すごく評判が良いので楽しみに観たんだけど、私は合わなかった…

    綺麗です。ひたすら綺麗です。
    映像が。風景が。
    感情の流れも綺麗。
    必ずしも届かないのが逆に綺麗。

    ただ私の場合、そこで「…で?」となってしまうタイプでした。
    汚くてもいいからもっと感情の奥の方を見たいというか、現実見たいというか。
    何にもせずに上辺だけ撫で回してる感、ありました。
    あと、山崎まさよしのOne more time,One more chanceに合わせた映像もなんか萎えた。歌自体は好きなんだけど。
    なんか、誰かと恋愛してるんじゃなくて、一人だなあ、と思う。

    でも動けない気持ちは分かる。
    動いてみなきゃわかんないじゃん!なんて言う気はなく、動いても意味ないこともあるのも分かる。
    この映画を好きって言う人を批判するつもりもないけど、単純に恋愛観が違う気がします。
    …もしかしたらただ私の心が汚れただけだったりして。笑

  • 明里は常に貴樹の前にいる。前にいても振り向いてくれていた彼女が、いつからか前を向いたまま歩き出していく。一方貴樹は、遠くにいる明里を見つめたまま。立ち止まっていたことに気づくのには、あまりに時間がかかってしまった。
    男は名前を分けて保存、女は上書き保存。とは誰が言ったか知らないが、この作品を正に象徴する表現だと思う。女性は貴樹という人間をどう思うんだろう、と見る度思うくらい、感覚として異性感で共有できないものなんじゃないか、と思ってしまう。
    個人的には合間に入る「コスモナウト」が一番響く。香苗との関係において貴樹の位置は明里とはまったくの逆だ。貴樹の方が前を向いている。ひどいくらい前を向く。特にひどいのは、原付がエンストした後のくだりだ。さすがに気づけ、貴樹よ。あまりにも優しく、残酷だ。このエピソード中はものすごく香苗の方に共感するのだけど、やっぱり香苗も上書き保存だろうか、、?と考えるとまた複雑な気分に。。。

  • 一言で言うと大嫌い。
    キモヲタの「こういう風に過ごしたかった憧れの青春物語の妄想」を自己陶酔した一人称で恥ずかしげもなく語られて鳥肌が立つというだけの映画。
    神は全能である。よって神は存在するという能力を持っている。ゆえに神は存在するという証明がある。
    新海作品に登場するヒロインは常にぼくの理想の「きみ」だ。よって「きみ」はぼくを愛してくれるという能力を持っている。ゆえにぼくと「きみ」は恋人になる。新海の恋愛というのは常にこれである。ぼくの理想通りの都合の良いきみが初めから存在し、一切の衝突も相互成長もなく二人は思い合う。
    よって新海の作品は承認欲求の欠如を慰撫するための非社会的妄想という域を出ず、ゆえに気持ち悪くて、見ていられない。

  • 栃木は知らないけれど、汽車の音も、ゆっくり降る雪も、山崎まさよしの歌も、みんな懐かしかった。

    でも、雪国で、冬に納屋に泊まるのは、いくら毛布にくるまっていても無理だと思う。

  • この作品は切なくて、大切に想う気持ちに反してすれ違いが生じたまま大人になって13歳の頃の無鉄砲な行動が遠い記憶の思い出となる。儚い映像ときれいな文章がゆっくりと言葉となって視覚と聴覚に心地よさと時間を与えてくれる。
    本以外のコメはしないと決めていたがこの作品は記憶に留めておきたいし、この作品を観た感情も気持ちも忘れないようにしたいと思いレビューする。

  • TVにて
    こういう恋の流れって確かにあると思う.切ないけどね.
    音楽と映像がとてもよくあっている.

  • 何度観ても切なくなる作品です。
    すれ違いの恋に胸が痛くなります。
    思い通りにならないのが人生なのでしょうか。

  • 第一話を見たところでままならなくなってしまったので一旦休憩。

    私にとっては、すごい名作とかすごく好きとかそういうことではなく、何かを揺り動かす力がとにかく桁違いに感じられた。何故こんなに泣けたのかよく分からない。ひとりきりの電車で感じるいざるような焦り、降り止まぬ雪にぬりこめられた重苦しい終末感、自分の力ではどうしようもなかった“あの頃”というものが、自分の奥底に眠っていた感情へじかに接続してくるような、電球のように丸い鋭さがあった。

    大人になってから、涙は感情の発露として勝手に零れ落ちることが多かったように思うが、「涙」ではなく「泣くこと」を誘発してくる作品だった。ただ泣けて泣けて仕方なかったいつかの日に返ったかのように、幾度も襲いかかる波にさらわれた。

    わけを探りに自分の中の暗闇に降り行ってみると、いくたりもの人が同じように歯を食いしばって顔をゆがめ両手でまぶたをこすっている。ここにも、ここにもいる。それは全て自分のようでいて、おそらくは出会ってきた創作物の人々でもある。自分は自分を空っぽにして向かい合い、あらゆる人々と同化し、それを息づかせてきたことに気付くのだ。それらたくさんの私たちが、この作品に揺り動かされて泣いている。とても不思議な心持ちだった。

    断片だけでこのように感情を動かす作品があることを、改めて知った。すべて見た時にどう感じるのか、どちらに転んでも少し怖くもある。

  • まだモラトリアムにもならない時期にできた、僕と君から見たら友達のような関係。しかしそれは他人から見れば恋愛関係の二人。
    やがて思春期になり、自分たちの関係を客観視するようになって初めて気づく。
    「これって恋人同士なの?友達同士なの?」
    やがて疎遠になるが、過去はまるで呪いのように僕に絡まってきて離れてくれないんだ。

    キェルケゴール風に言えば、「僕は君と恋をすることができなかったことに絶望しているのではなく、僕の自己が君なしでいなければならなくなってしまったので絶望しているのである」

    そんな風にとぼとぼと、秒速5センチメートルで、君を求めながらどこか不安に進んでいく

    第二話「コスモナウト」にて主人公が弓を引くのと同じように、彼らの関係もいつか会える日を夢想して孤独に弓を引いている。
    だがそれは遂に叶わない。もし相見えても、僕は僕の中で昇華していた君と現在の君との乖離に直面するだろうから。

    答えが欲しいわけではないが、どこか悲しい話

  • 完全に「おっさんホイホイ」の作品です。
    携帯がない時代にトラブルが起きても連絡が取れない焦燥感や絶望は、今の子達にはもう伝わらないでしょう。
    新海作品らしくとても美しくリアルに描かれた世界の中で繰り広げられる男女のすれ違いは、(色々な意味を込めて)おっさんには響き過ぎる作品です。

  • 秒速5センチメートル 通常版
    (DVD)2009年02月20日 22:01
    2007 新海誠 水橋研二, 近藤好美, 尾上綾華, 花村怜美


    この作品を観て感じたことは関係・距離・時間・人間・超越性です。特に関係性は秀逸でした。

    コペルニクス的転回なのかも知れない。

    人間が織りなす一切の諸関係がコペルニクス的転回によって描きだされていて短編集でしたが濃厚な作品でした。

  • よく親の仕事で引っ越す自分と照らし合わせたのか、何か自分の感じているものと近しいものを感じました。ニューヨークでは孤立している私には恋愛なんぞ程遠いもので、作り物をみて満たされない感情をコントロールしているのですが、最近は非現実的なストーリーに流石に飽きがきていました。このような映画を一番求めていました。
    この映画はエンディングからも、途中のメールを書く場面も、遠距離の恋の「遠さ」をうまく描けているなと思いました。だらだらとした今年の夏休みの終わりに見たせいか、高校の最後の年だという現実に引き戻されたように感じます。自分は主人公のように今できることが果たして全力でできているのか、再び考えさせられました。新型コロナでもう5ヶ月近く家族以外の知っている人に会っていない状況で、昨年末の失敗を繰り返さないようまもなく始まる新学期を気合を入れて向き合わないといけないですね…
    普通の人にこの映画はどのように映っているのでしょうか?

  • 私にはわからんかった…なんか…それしか…。穏やか?っていうか…わかんない…。もともと基盤として持ってるものや生きてる所がまるで違うわーっていう…お金とかの意味じゃなくて「育ちのいい」場所ですごく安定して生きてきたんだよかったねコノヤロウみたいな…。なんか「一般的な幸福」のラベリングへの妬みみたいな…。私はそういうふうには感情動かんからわからんみたいな…。はあ、そうなんだね。みたいな…。なんだろう…キャラクタの傷つき方がやわい…?ぐっしゃあ壊したいのが無いのが…なんか…ふしぎ…。叩き落としたらどうなるのこの人たちみたいな…。こういうこと思うとわたしひでえやつみたいじゃないのまあそうだがみたいな…。そんな感じ。でした。多分ちょっと似た部分を自分が持っててだからこそなんでそっちに行くの?みたいに思ってるんだと思う。

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著者プロフィール

1973年生まれ、長野県出身。
2002年、ほとんど個人で制作した短編作品『ほしのこえ』でデビュー。
2016年『君の名は。』、2019年『天気の子』、2022年『すずめの戸締まり』公開、監督として国内外で高い評価と支持を受けている。

「2023年 『すずめの戸締まり(1)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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