ゆきゆきて、神軍 [DVD]

監督 : 原一男 
出演 : 奥崎謙三 
  • GENEON ENTERTAINMENT,INC(PLC)(D)
4.09
  • (55)
  • (46)
  • (29)
  • (4)
  • (2)
本棚登録 : 295
感想 : 56
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988102387433

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 奥崎謙三は、戦後“神軍平等兵”を名乗り、かつての所属部隊・独立工兵隊第36連隊のうち、ウェワク残留隊において隊長による部下射殺事件があった事実を知り、当時の二人の兵士、吉沢徹之助の妹・崎本倫子、野村甚平の弟・寿也とともに“敵前逃亡"の罪で処刑した元上官たちを訪ね、真相を究明しようと試みる。
    二人の日本兵は敗戦後3日目には敗戦を知っていたにも関わらず、その20日後に処刑されたという。
    だが、当時の上官は処刑に立ちあったことは証言したものの、ひとりは空砲だったと言い、別のものは2人をはずして引き金を引いたと証言。誰が彼らを撃ったのかは不明のままとなる。
    しかし、すでに病人や高齢である当時の上官は容易には口を開きたがらない。
    しかし、奥崎は一歩も引かずさらに詰め寄り、ときにはその煮え切らない態度に業を煮やし殴りかかる。そのうち、殴られた上官妹尾幸男は話しはじめ、少しずつ真実が見えてくる。その中で、彼らは飢餓状況の中で人肉を食べたことまで証言。
    やがて、二人の遺族は奥崎の、時として暴力も辞さない態度から、その後同行を辞退。奥崎はやむを得ず、妻と知人に遺族の役割を演じさせ、処刑の責任者たる古清水元中隊長を訪問し真相を質す。
    また同時に、独工兵第36部隊の生き残り、山田吉太郎元軍曹に当時の様子をありのままに証言するように迫る。
    1983年12月15日、奥崎は古清水宅を訪ね、たまたまその場で対応に出た息子に向け改造拳銃を発砲した。その後神戸に戻り、シズミと握手を交わした。
    その二日後、神戸市福原町にあるお好み焼き店から兵庫警察署に「事件について話したい。」と電話を入れ、駆けつけた警察官に逮捕された。
    その後神戸から広島の大竹中央署に護送される際、駆けつけた報道陣に対し、手錠をかけられたまま右手を振り上げ、「ご苦労さん!!」と言いながら車に乗った。
    殺人未遂などで徴役12年の実刑判決を受け、3年後の1986年9月18日に妻のシズミが没している。
    自称「神軍平等兵」奥崎謙三が、かつての上官に戦争犯罪の追及する衝撃のドキュメンタリー映画。
    「国家とは人類を分断する世界を1つにしない大きな障害」「警察や役人や裁判官は法律や命令に従っているだけのロボット」を持論として、新年皇居参賀の時に昭和天皇にパチンコを発射し懲役刑となり、田中角栄襲撃を計画した罪で逮捕されたことがある奥崎謙三が、かつて太平洋戦争の時に所属していた36連隊ウエワク残留部隊での隊長による部下射殺事件を調査していく。
    アポ無しで訪ね、話をごまかしてとぼけようとする者を殴りつけ、殺された者の遺族を連れて泣き落とし、客商売の最中に訪問してお客さんの前で真相を問い詰めたり、殺された部下や遺族の無念を晴らすためとはいえ、殴りつけたり、部下射殺に加わった上官の一人に「大病したことはあなたの戦争中にしたことの天罰だ」と言ったり、奥崎謙三の言動は人間的にどうかと思うけど、奥崎に追及された上官が「命令に従っただけだ」「生き残るため仕方ない」「命令したけど下士官が部下を射殺する現場にいなかった」とのうのうと言い訳するように、「戦争は人間から人間性を奪い命令で言いなりに動くロボットにする残酷な状況である」ことを暴き、二度と戦争を起こさないようにしようという決意を日本人がするきっかけになり、戦死者の鎮魂になることを思うと頭から、奥崎の言動を否定出来ない。
    しかし、部下射殺事件で下士官に部下の射殺命令を出した上官を暴行したり殺害しようとしたりする奥崎謙三の言動には、テロリストに似たり寄ったりの「信念を持った者」の狂気と独り善がりな歪んだ正義感を感じるのがモヤモヤする。
    監督の原一男の著書「ドキュメントゆきゆきて神軍」では、撮影する中で監督の原一男とカメラポジションまで仕切ろうとしたり、奥崎がアイディアを思いつくと原監督にモーニングコールしてきたり、奥崎が原監督に黙って事前に追及する上官と話し合いして撮影に臨んだり、「判断は私がしますから原さんは黙って付いてきてください」と撮影の主導権を握り自らを演出する奥崎謙三とドキュメンタリー監督としてモラルの一線を守ろうとする原一男監督のせめぎ合いの戦い、部下射殺事件の遺族が何故奥崎との同行をある時点から断ったか?、何故ニューギニアでのロケ映像がニューギニア当局に没収されたか?などの裏側を知ることが出来て、読んだ後で再度見たら新たな発見があり、「ゆきゆきて、神軍」のシナリオも掲載されていて映画鑑賞の助けになる1冊。
    「靖国神社に行ったら、英霊が救われると思っているのか?貴様!」

  • 元々不安定であり最前線での経験でおかしくなってしまった人が、自らの信じる正義を全うしようとする。
    この映画を元に政治理念をどうこう言う事は出来ないが、戦争の真実の一端が見える。
    フィクションの反戦映画とは全く違う怖さを感じた。

  • まあ、なんとなく噂は聞いていたんですけれども…見ごたえのあるドキュメンタリーでした…

    ヽ(・ω・)/ズコー

    この時代の六十代の人はなんというか今の時代の六十代とは違う感じ…頑固で融通が利かなくて…だけれども迫力があってすげぇ…とこんな感想しか言えぬ青二才の僕は思います…。

    ヽ(・ω・)/ズコー

    今ではもう戦争を経験した世代がかなり少なくなっている…ってまあ、これは仕方がないことなのですが。このDVDを見て戦争とは本当に悲惨なものだ…という感じを少しでも感じられたら後世に生きる我々はたとえ政治上で何があっても戦争だけは起こさない! と胸に誓えるのかもしれませぬ…

    今現在の日本はなんだか戦前のような空気に包まれつつありますが…秘密保護法とかね…現総理もこのDVDを見るべし!!

    などと言うことは僕の口からは言えませんが…まあ…見たら考えが変わるかもしれませんネッ! おしまい…。

    ヽ(・ω・)/ズコー

  • ★粘着質対粘着質★主人公の奥崎謙三の、戦争を総括しようという粘り腰はすさまじい。皆が隠そうとすることを暴こうとする。面と向かって罵倒し、突然切れて殴りだす。近所にいたらとても迷惑だし、一線の越え方が常軌を逸ししているが、不器用ということだけはよく分かる。「白豚」「黒豚」と言って、「自分はやっていないが」と注釈を付けながら、何人もの元兵隊が戦地で人肉を食べていたことを話すのも衝撃だった。確かに昭和50年代にはまだ、傷痍軍人を街中で見かけた。戦争は遠い昔ではなかったんだ。これに付き合って映像にまとめた監督、カメラマンの辛抱強さもすさまじい。

     しかしこんな人がどうやって生計を立てていたのだろう。いまやリチウムイオン電池で脚光を浴びるGSユアサだが、当時は町の中小のバッテリーや相手の商売で、奥崎が「YUASA」のジャンパーをずっと着ていたのが印象的だった。

  • 天皇の戦争責任を問うアナーキスト奥崎謙三のドキュメンタリー。
    ニューギニア戦線で終戦後処刑された2名の兵の死の真相を追求すべく、処刑に関わった6人の上等兵・衛星兵を訪ねていく。

    ヤバいと評判の映画だったが、見てみたところ実際にヤバかった。そして見ごたえがあった。


    ■奥崎謙三の人物について

    言っていることは(常識的には)ムチャクチャだが、彼なりのロジックがあり、正義があり、筋がある。その筋を曲げずに必死に論理的に口角泡を飛ばして滔々と説明する様は、狂人のそれではあるが、この人物を一目させる魅力にもなっていた。

    口調や挨拶は丁寧だが、とはいえ基本的には相手を追求するために訪れているのであり、引くことは全くしない。「英霊の為に」「真相追及の為に」という大義名分を掲げて迫られる方はたまったものではない。

    それも、飲食店営業であれ、早朝であれ、奥さんが迷惑がっていてさえ、上がり込み押し通すので迷惑。「この人たちは身内が死んでいるんだ。人の死と、銭稼ぎと、どっちが大事なんだ」と迫る。

    丁寧ながら、スイッチが入ると激昂して暴力を振るうことを厭わない。
    「なんだその態度は」とか、殴りかかる。

    その上で自分で警察に連絡する。追及に当たっても、自分で警察を呼んで「この状況は拘禁に当たるでしょうか?」と聞く。この開き直りは滑稽であるが、「~~だから自分は天皇ヒロヒトにパチンコを飛ばした」「許せないので(前に訪れた上等兵を)ぶん殴ったわけです」などと平然と説明し、法を恐れない態度を淡々と伝えるので、追及される方は内心はぎょっとしているだろう。

    暴力について、自分は正しいと思ったらこれからも振るっていく、と断言しており、この点もやはり筋を見せている。



    ■「演技」である可能性について。

    映画から見えた人物像は以上の通りの「純粋すぎる人物」だったが、一方でwikipedia等をみると、それが「演技」だった可能性が示唆される。

    まともな左翼活動家や、「ひとつの正義の為に筋を通した人」を演じた、やはり頭のおかしい人だったのではないか、実際には筋も何もない人物だったのではないか、という可能性はぬぐえない。

    宇宙人のようなスピリチュアルに傾倒したり、書籍を売り上げようとしていたり、議員に立候補したり、事績を見ると俗物的な側面も垣間見える。

    そう考えると、不気味さというか、恐ろしさもある。

    いずれにせよ彼はやはり狂人で、何が彼を狂わせたかと言えば、それはやはり戦争なんだろう。戦後苦労して何とか商売しようとしていて誤って人を殺して10年間独房に入れられて、自省する中で戦争体験がよみがえり、狂ってしまったのかもしれない。



    ■面白かったやり取り

    冒頭で東京に行くにあたり、自分から警察に連絡して面談し、仁義を切っている様子はおもしろかった。「勝手にいかれると立場があるでしょうから」などと伝える。警察も身体の心配をしてくれたり。

    奥さんはこんな人に付き従っていて辛くないのだろうか、と思ってみていたが、最後に殺人未遂で留置所に入った後の奥さんの様子はノリノリでサポートする気満々で、むしろ街宣車で夫を擁護していたりして、意外だったが、ほほえましかった。



    ■追及された人たちの反応

    それぞれの反応を一応まとめる。

    【処刑された兵の妹】
    追及する姿勢は強硬。霊が話しかけると言ったり、階級が低い人から食べられたに違いないのだと断定したり、思い込みは激しめ。

    【元上官】
    訪ねてきた奥崎氏をみて、何も言わず挨拶だけして家に招き入れるさまは、内心は迷惑そう。だが、実際にはそれなりに会話してくれた。

    【石和の人】
    のらりくらりとして、「それだけは言えません」「これだけは言わせていただく。やましいことはないもなかった」などと紋切型で言い切りつつも、追及されてのらりくらりとかわすさまは狸おやじという感じ。のらりくらりは下策。

    【衛生兵】
    困りつつも、わかっていることを伝えてくれた、気弱そうな人物。

    【殴り合いになった人物】
    最初に会った際は憮然として、ゆえにケンカになる。「なんだこいつは」「なんだいまさら」と腹立たしく思っていたのだろう。
    そうした経緯もありつつ、二度目に会ったときには前回のことも気にせず、朝五時という時間でも当時のことを話してくれた。過去には誠実なのだろう。

    【射殺した古清水隊長】
    関係者の証言を見れば射殺は明らかだが、やっていないと言い切るさまはどうなのだろう。もちろんカメラも回っているし、今更言えないというのはあっただろう。が、他の人とのインタビューが無ければ古清水の話を信じてしまいそうで、つまり「嘘」で、彼なりに事情はあっただろうにせよ、印象はよくない。

    【最後の人】
    病気飲みにありながら、当時はみんなが仕方なかったし、それぞれにそれぞれが考えがあるのだ、ということを、感情的になりながらも赤裸々に話してくれた。



    ■真相について

    戦争期の非合法な処刑の真相解明(当初戦病と言われた2名の兵が軍法会議を通さず1945/9に敵前逃亡を理由に処刑された)で話が進みつつ、中盤から展開し、カニバリズムの話になる。

    現地人は「黒豚」、白人は「白豚」と呼んで食べていたこと、上官は知らなかった可能性があること。
    それはある小部隊のちょっとした出来事ではなく、ある程度の規模で行われていたこと、当たり前のこと、公然の秘密だったらしいことが語られる。

    食べるのは「白ブタ」で、なぜなら「土人」はすばしっこくて捕まえられないし負けちゃうから、という語りはリアルだった。

    そして、日本兵同士でも食べていたことが明かされる。すべての舞台ではないせよ、くじ引きを引いて殺したり、役に立たない人物から食べられた、おれは沢の方角が分かったり役に立つから免れたが、誰かは誰かを殺そうとし、誰かはそれに反対し、ということが横行していたことが語られる。

    集団においては、次は自分の番かもしれない、というリスクがあるようなことはしないのでは、と思ったがそうでもないらしい。

    ところで、軍法会議を通さず処刑、のような横暴も当時の末期にはまかり通っていたのかと思ったが、これが問題として扱われているし、命令が無ければそんなことはしない、という言い方からも、そこまで無法ではなかったことがうかがえる。
    その一方で、兵同士で食い合ったりということもあり、場所によって温度感に差はありそう。

    ウクライナ戦争でワグネルは処刑もやりまくっているが、蓋が空けば倫理のタガが外れる、というのは古今東西かわらないだろう。が、それが平時に戻ったときにどう扱われるか、「そういうものだ」なのか「公然の秘密として後ろめたく蓋をする」のか、その違いはあるのかもしれない。



    ■1980年の昔ながらの風景に懐かしさ。

    とにかく映像が懐かしかった。
    車も古いし、草木が茂って、家の居間なんかも雑然としてもっさりとして。藤子不二雄のSF短編集とか初期のドラえもんみたいな景色が広がっていた。

    女性もみんな昭和のギャグマンガのモブのおばちゃんばかりで、割烹着をきて、今はなきステレオタイプ。現代の画質のきれいな作りものみたいなドラマではない、あの時代のドラマ。


    その先に自分の子ども時代も続いていて、なんだか胸が締め付けられるような情景だった。



    EOF

  • 6/6~14の一週間強の日程にてMoMAで開催されることになった久々の日本人監督単独での回顧上映企画は原一男監督に焦点を絞ったもの。原一男監督を知ったのはもちろん「ゆきゆきて、神軍」(1987) を通してであったが、昨年Japan Societyで開催されたJAPAN CUTSでの「ニッポン国VS泉南石綿村」(2018) の上映に合わせて訪米されたときにお会いできたこともあり、ぐーっと身近な方になっていた次第。その時はその場で販売されていた本を買ってサインの列に並んでみたりとミーハーぶりをしっかり発揮したりもした(苦笑)

    ところが今回はその上映日程詳細が発表さるるずいぶんと前から感知していたにもかかわらず直前になっって夜間・週末の仕事が入ってきた。なんたる口惜しきことか…。それでも予約を済ませチケットを手にするところまで段取りを整えていたのはその初日本作の上映に合わせて監督御夫妻(奥様小林佐智子氏はプロデューサー)に加え、ゲストとして原監督を「ソウルメイト」と称するマイケル・ムーア監督が登壇する予定となっていたため。日本との電話会議を終えて急いでMoMAにたどりつくと終幕間近ではあったが、ドアセキュリティに無理を言って入れてもらうとまさにエンドロールが始まるタイミングでセーフ!会場はマイケル・ムーア監督の知名度もあってかSOLD OUT満員であったが、退出した人の席に座って目的のQ&Aセッションに立ち会うことができた。

    マイケルからの映画タイトルに関しての問いかけに対し、小林プロデューサーの受け答えが印象に残る。

    「奥崎氏の使う『神軍』という言葉がまず最初にあり、その硬い、厳しい響きを伴う言葉に対してなにかやわらかなやまとことばを当てたかった。それゆえ『ゆきゆきて』という言葉を当てたのです。」

    で、英語タイトルはなぜそうなったのか?という部分に対しては「当時お世話になっていた大御所の方にお願いしたのでそこにはあまり口ははさめなかった次第で…」とちょっとはぎれ悪く…(笑) どちらにせよ「やまとことば」のニュアンスを英題に含めるのは無理だったのであきらめたということだったのでしょう。


    その四日後に再鑑賞の機会を得る。今回は三度めの鑑賞で奥崎氏のもつ純粋な人間としての部分ばかりが突き刺さり、彼の唐突で暴力的な行動は何割かの衝動に駆られたものであったとしてもその割合は少ないのだろうな…とい感覚に襲われた。この感覚はきっと鑑賞回数を重ねるために強くなってゆくのだろうと思う。

    彼の著書、今でも手に入るのかな…

    おっと、やばい思想になってきた、この辺までにしとこう(苦笑)

  • 何度見ても強烈な作品。個人の中の歴史の感覚と、国の歴史の感覚の違いみたいなところを感じる映画でもあるし、戦争中に行われた犯罪に近づいていく過程はミステリー映画のようにも見える。そして奥崎さんが激昂するたびにどうしてもツボに入っちゃう・・・(笑)

  • 1987年 日本

    監督 原一男

    奥崎謙三


    何なんでしょう、この映画は、凄すぎます。
    奥崎謙三って言うちょっとこわーーいお方のドキュメンタリー。
    こわーーいって言ってもこの時代ならこんなもんかな?

    かつて所属していた連隊の残留隊で部下射殺事件があったことを知り、真

    相を探るために当時の関係者のもとを訪ねまわるお話。

    たぶん、このおじさんの言うてること、やろうとしてることは正しいんだ

    ろうけど、手段がねぇ。
    いきなり対象者を殴りつけたり、口調も高圧的だし。
    でも、ふと感じたのは突然殴り合いが始まったり、口調が荒くても周りの

    人が動じてないってこと。
    時代、、、なんでしょうね。
    今ならありえない。

    そして、上官と間違えて息子を撃ってしまって懲役くらったようなこのお

    じさんに対して、警官が「先生」って呼びかけてるのが超不思議。

    他の出演者の方々はベース口が重い。
    それは戦地で辛い思いをした人、みんなに言えることであって日本の戦争

    体験記がほとんどないことと同じ。
    人肉食すなんて、噂では聞いていたけど、やっぱり衝撃的。

    くじびきで殺すなんてのも信じがたいし、、、
    酷い話で口を開きたくない気持ちもわかるけど、私たちは知らなければな

    らないですよね。

  • 正直引くけど真っ直ぐな人なんだと思うよ。
    憎めない。信念があるんだなこの人は。

  • 宅配レンタル>何となく前々から気になってて見てみたかった作品。やっと見れた。
    1987年公開。ドキュメンタリー。どこまでがほんとにドキュメンタリー?なのかが少々疑問にも残るけど。
    なかなかの衝撃な内容でした…でも一概には理解し難いというか何というか…。戦争を知らない世代だといまいちピンと来ない所もあったりする訳だが。
    この奥崎謙三という人物の信念に基づいた行動も凄いけど、どうなんだろうなぁ…上官に対する戦争責任への追及はなかなかできる事ではないけれど、感情的になってしまうせいか?直ぐに暴力に走ってしまうのはいかがなもんかと(^^;)。。先の戦争に関わった最終人物を突き詰めれば昭和天皇にも責任があった事は否めないとは思う訳で。でも考えが偏り過ぎてないかなぁ…ある意味、奥崎さん自身も戦争被害者。激戦地ニューギニアにいき、生死を彷徨う程の壮絶体験をしただろうし、精神も病んでしまうだろう。亡くなった戦友への無念を晴らすべく…だけれど、それを行ったとしても気持ち的に晴れた部分はあったのだろうか。。
    しかし彼の行動は突飛というか大胆というか…矛盾点もあったような…奥さんが大変なんだろうなぁと(^^;)。。潜入ルポみたいでした。見た直後は凄い映画だなぁとは思ったけど中立的に考えた方が良さそうかもね。
    戦争体験された話は生々しい内容でした。

全56件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1945年6月、山口県宇部市生まれ。1972年、小林佐智子と共に疾走プロダクションを設立。同年、『さようならCP』でデビュー。74年には『極私的エロス・恋歌 1974』を発表。87年の『ゆきゆきて、神軍』が大ヒットを記録、世界的に高い評価を得る。94年に『全身小説家』、05年には初の劇映画となる 『またの日の知華』を監督。2017年に『ニッポン国VS泉南石綿村』を発表。今年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)にて、全作品が特集上映された。

「2020年 『れいわ一揆 製作ノート』 で使われていた紹介文から引用しています。」

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×