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Amazon.co.jp ・映画 / ISBN・EAN: 4988182110181
感想・レビュー・書評
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粗筋などの覚書。映画に特に興味無い方は、黙殺願います。
先日DVDで観た「ミラノの奇蹟」(イタリア・1951年)。
特段に有名な名作映画っていう訳じゃないのです。随分と昔に、作家の井上ひさしさんの書いたものを読んでいて、詳細はともかくとても褒めていた。「自分にとってベストワンだ」みたいな勢いで。
へー、っとその頃から思っていて、タイトルは覚えてた。先日、ツタヤの宅配レンタルをネットで見ていて、ふっと思って検索したらあった。映画館で観たいところだけど、つい借りちゃった。という訳で鑑賞。
軽快な喜劇。おとぎ話。冒頭で、イタリアのある村で、老婆が畑仕事をしようと・・・と、赤ちゃんが畑に捨てられている。拾って家に連れて入ると、アッという間に赤ちゃんは少年になっている。
あー時間経過だなと思ったら、アレっていう間に、おばあさんが病死。頑是無いままの少年が霊柩車について歩くと、孤児院の門に連れられて入っていった。と、思ったら成人して孤児院の門から出てくる。ここまでの語り口、良いかんじ。
という訳で大人になった天涯孤独の住所不定の無職の男。顔つきと雰囲気を見ると、チョット足りないんじゃないか?というくらいの素直で上品、疑うことを知らないムイシュキン白痴公爵的なヒトだと分かる。笑顔が素敵。で、ここからがまあ、本筋。
持ち物を盗んだ泥棒さんと仲良くなった。それが縁で、ホームレスの村みたいな場所に居着く。みんなに好かれる。いつの間にかそこの代表者みたいになる。あばら家をいっぱい建てて村みたいになる。新規入居者もいっぱい来る。割り振りをしたりする。同じくチョット足らなそうな純朴な娘と見つめ合ってイイ仲になる。楽しい感じになってくる。この村の感じが、なんていうか、カムイ伝の貧民集落みたいな、ニンゲン性が剥き出しながら、基調は喜劇で楽しい。
その土地は、ブルジョア資本家の私有地だった。そこからある日マンガみたいに石油が噴出。資本家たちまち警察動員。全員退去させようと。話し合いにも応じない。発煙弾?みたいなものに巻かれて、絶対絶命。どうするどうなる。やっとつかんだシアワセ、崖っぷち。
と、そこに死んだおバーさんの精霊?が空から飛んでくる(笑)。
願いが叶うよーっと言って白い鳩を渡す。おバーさんは天国から脱走?してきたらしく、後を追って男性天使が飛んでくる。おバーさん逃げる(笑)。
その鳩を手にしたら、主人公(トトという名前らしい)の願いが何でも叶う(笑)。みんなでふーふー息を吹くと、煙が晴れる。突撃を命じる警官がみんなオペラみたいな声になり、突撃できなくなる。放水攻撃が始まると、貧民村の全員に立派な傘が現れる。ナンデモあり。という訳で資本家、一旦引き下がる。
そこから村内大騒ぎ。トトが神様になった。あたしにミンクのコートをちょうだい。立派なタンスを頂戴。背を高くしておくれ。ドレスをちょうだい。全部叶っちゃう。村内バカ騒ぎ。トトはなんだかんだあって、回収に来た男性天使に鳩を奪われる。とたんに万能の力は失う。失うけど、恋人とは愛があって良いかんじ。
いい感じで朝日を見つめてたら資本家の命令を受けた警官隊が再度突撃。あっけなく村は壊滅、リーダー格の男性は皆逮捕。もちろんトトも逮捕。囚人護送馬車に詰め込まれてミラノの市内へ。
びっくり悲しんで、チョット足りない恋人は、あの鳩が必要だ、と、ごくごく普通の白い鶏をつかんで馬車の後を全力疾走。けなげに走る走る。追って走る。いつの間にか精霊のおバーさんも一緒に走っている(というか飛翔している)。こっちは本物の万能の鳩を持っている。馬車に追いつく、追いつく。
恋人が鉄格子越しに鶏を渡す。同時におバーさん(恋人には見えないらしい)も、万能の鳩を渡す。トト、受け取った。さあ万能だ。どうするどうなる。
囚人護送馬車がミラノに着く。立派な大聖堂。お金持ちの街。ため息が出るような、ホントに立派な教会だらけ。世界が恋するミラノの街並み。
さあ見せ場のラスト。馬車が止まる。カメラが高いところからの広い広い画になる。街並みと大聖堂が絶品だ。その画の中で、貧民が押し込まれた何台もの護送馬車が。ドン!イッキに仕掛け小屋みたいに全ての馬車の天井と壁が開く(笑)。奇蹟のはじまり。解放されるトトたち。大聖堂の広場に乱入。警官隊も慌てて乱入。ひっちゃかめっちゃかの大騒ぎ。恋人と手に手を取ったトトが叫ぶ。「みんな、ほうきにまたがれ!」。
朝の広場では、ほうきをもって掃除する市民がいっぱい。ぐちゃぐちゃの乱闘の中で、トトがほうきを持つ。恋人とまたがる。走り出す。走り出すと浮き上がる。そのまま飛翔する。追って追って、貧民たちが銘々にほうきにまたがって飛び上がる。集団が鳥の群れみたいに、大聖堂の脇を飛んでいく。笑顔笑顔。字幕。
「幸せの国に向かって」。終わり。めでたしめでたし。
と、言う、なんともノーテンキで幸せな映画だった。
1951年の映画。もちろん特撮的なものは、あからさまな二重撮影。それでも飛翔感、ファンタジー感覚は、宮崎駿の原点か?というくらいに荒々しくも力強くて魅惑の映画体験だった(DVD鑑賞だけど)。
ナンと言っても、ホームレス集団の村落の描写が秀逸。
オモシロオカシク、楽しく深い。偏屈だったり粗暴だったりする、キテレツなキャラクターが目白押し。例えば。
寒天冬季の曇り空、雲を割って太陽が日向を作る。半径5mの輪くらいの日向ができる。全員がソレっと日向に押し寄せる。日向の輪に満員電車状態でわれもわれもと温まる。日向が移動すると、ダッシュでみんな移動する(笑)。ほとんどチャップリン。
村落が、多分トトたちの尽力あって、秩序あるあばら家の村になる。
偏屈なおばちゃんが妙な商売をしている。自分のものである(らしい)空き地に椅子を並べて、1リラで座らせる。何をしているかというと。
「夕日を見れるよ、夕日見れるよ。1リラ1リラ」
映画や演劇の代わりに夕日落日を見物するのだ。トトも彼女と並んで、ニコニコ夕日を鑑賞デート。幸せそうなのだ。
村をあげてのお祭りのだ。歌ってみんなで集合だ。みんなに番号が配られ、抽選が行われる。当選者。何が賞品?
「当選者はこのチキンを食べれます」
当選したじいさんが、むしゃむしゃチキンを食べる。美味しそう。それを村民が皆、じーっと見ている。それだけ(笑)。
この辺の痛快さ、愉快さ、アナーキーさ、ロックな感じ、そこを突き抜けて何かハッとさせられる感じ、すごいですねー。「荒川アンダーザブリッジ」の本家って感じですね。アレはアレで漫画の初期は大好きなんですけどね。
なかなかイカしている。監督はビットリオ・デ・シーカ。「自転車泥棒」から「ひまわり」まで、何でもござれのイタリアの巨匠。
1951年の公開。まだまだ戦後資本主義国は貧しかったはず。ましてや敗戦国のイタリア。21世紀から見れば、トンでもなく絶望の淵にいた貧しさと、身分階級的なわかり易い理不尽に満ちていた時代でしょう。その反動として、ユートピア的な共産主義/社会主義がまだ理想としての力を持っていたんでしょう。共同体とか連帯とかという言葉が熱をもっていたんでしょう。そんな中で、徹底して誇張して戯画化して、真剣にお遊びをして、貧しさの理不尽と絶望を娯楽にしたこの映画、内容的にも、映画としての表現力も、確かに素晴らしいものでした。
あと、映画史的に言うと、フェリーニ以外の映画で、当時のイタリア映画の職人的な技能の高さを観れる映画でもありますね。チネチッタ制作かどうか、わかんないけど。
と言って、昔のヨーロッパ映画好き以外には、とっつきにくいでしょうが。あと、半世紀以前の映画の宿命として、現代の視聴感覚からするとテンポがタルいです。僕も正直に懺悔すると、ほぼ1.5倍速で鑑賞。映画館ならのめり込めるだろうけど。家庭のDVD鑑賞なんでね。
資本主義発展初期の熱みたいなものを失った現代の、長引く不況と格差社会の中で、私たちはどうやって奇蹟を 万人に共通な、愉快な娯楽にできるのでしょう。足元に見える暗闇は変わらないのですけどね。
なんて、大真面目な言葉で結びとしましょう。
井上ひさしさんらしい、確かに素晴らしい映画でした。覚えておきたいものです。 -
授業。ネオリアリズモ。
手法・表層はファンタジーでも、中身はリアリズム。
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